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主観的な感情を重視する教育を受けていた記憶が浮上 [自己一致(統合)するために]

こんにちは!

昨晩もなぜか非常に無意識が動いているような、無意識のエネルギーが動いている感じでなかなか眠ることができませんでした。

何とかそれでも朝方にかけて少し眠ることができたようです。
そして目覚めたときにまた背中の左側が非常に痛くなっていましたが、それと同時に腰から背中全体にかけて痛くて、また、胸のあたりの背中側も痛くて、もしかしたらハートチャクラがやっと開かれようとしているのではないか、と感じました。

そして、誘導瞑想の中でも、だんだんと、私がかつて主観的な感情中心主義を擁護するすごい教育を受けていたことを思い出してきたのです。

昨日のこのブログでも書いたかと思いますが、ジェリーワイズさんが話していたことで、幼い子供の時に主観的な感情とか視点とか欲求とかを親から拒否されたりそれをよくないこととして罰されたり無意志されたりすると、子供の中では自分の主観は悪いもので受け入れられないものであり、間違ったものであって正しいのは、親の視点であり親の感情であり親の考えであり親の欲求である、という思い込みを持ってしまう、そして、それが客観的なものとして刷り込まれてしまう、ということです。

そしてそれがまさに私の状態だったと分かったのですが、それはつまり、私の中で私の主観(感情や欲求)というものは、客観的な視点よりも劣っている、と言う思い込みだったのです。
そういう風に親から刷り込まれていたのです。
しかし、気づいたことは、その擦り込みの中の客観的な視点は、言い換えると親の感情的な反応にしか過ぎなかったのです。それを私は客観的な絶対的真理だと間違って思い込んでいた、ということです。それは、私の中の子どもの部分がそう思い込まされていた、ということです。

しかし、その客観的な真理だと思っていたのは、ナルシストの親の自己中心的な親の主観にすぎなかったのだ、と分かったのです。
そのために私の主観は出てくることができずに、悪いもの、受け入れられないものとして無意識の中に押し込まれていたのです。

しかし、私が生きて行くうえで一番大切なものは私の主観なのです。
それがないと私が私として生きて行くことはできないのです。
その主観と客観の違いが分かってきたところで、私はかつて、アメリカの大学でアメリカ文学とかアメリカ文化とかそういうものを学んでいた時に、主観的な視点を最重要視する教育を受けていたことを思い出したのです。

そのアメリカの大学で学んだ時の自分の主観とか感情と言うものがいかに重要で大切で至高なものであるか、という考え方の中でものすごく生き生きとして生きていたことを思い出したのです。
そして、その時のような状態に戻りたい、とずっと願っていたことを思い出したのです。

そして、やっと初めてその時のそういう教育を受けていた時のことが記憶に戻ってきたのです。
そして、その時の生き生きとしていた自分がよみがえりかけているのを今感じているのです。

それは、社会の既成概念とか、社会の中でこうあるべき、とか、そういうものに対抗する、自分の中から湧き上がる主観とか感情とかそういう本当に人間的なものが一番大切なのだ、という生き方なのです。

私はまさに大学でそういう教育を受けていたのでした。
それが埋もれてしまって子供時代のトラウマのために、引っ込んでしまって出てこられなくなっていたのです。

今、誘導瞑想とか、心理カウンセラーの話からだんだんそれが分かってきたのです。
それにしても、やはり誘導瞑想の力がすごいと思います。
とにかく、集中してやって、これまで避けていた潜在意識の中の親との関係から逃げるのでなく、その痛みの中に飛び込んで抜けるしかないと思うのです。

また、今日は再び母にバラを切られた怒りがものすごく出て来て、もしかしたらやはりまだ、抑圧された怒りがあるのかもしれませんので、もっと自分を受け入れて行かれるように集中して誘導瞑想していきたいと思います。





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親による子供の対象化をされていたことが判明 [自己一致(統合)するために]

おはようございます。

毎日、できる限り誘導瞑想をしています。
というのも、誘導瞑想をすればするほど、色々な無意識のからくりが分かって来て、親から仕込まれたネガティブなプログラムが判明してくるからです。

と同時に、また最近、非常に優れた虐待親から解放される方法の解説をしてくれるYouTubeのチャンネル(人物)を発見したので、その人の話も聞いて大変参考になっています。
この人はジェリーワイズさんと言う人で、チャンとした心理学のカウンセラーであり、かつては牧師もしていた方のようです。

自分の問題を考えるときに、専門的な概念を与えられると、自分の問題意識を整理して客観視する助けになります。

今回は、objectification (対象化)という概念が出てきました。
これまでは、男性から見て、女性を性的に対象化するという概念は知っていたのですが、今回はナルシストの親が、子供を対象化する、という概念で使われており、まさに私も幼い頃に親から対象化されていたのだ、ということに気付いたのです。

それはつまり、親が自分を愛する道具として子供を使う、ということであり、子供は人でなく、モノ(object)として扱われている、ということです。私はまさに幼い時、親からものとして扱われている感じがしていました。人として扱われなかったのです。

親が子供を対象化するという概念で、私が幼い時に父から受けた扱いを考えると納得できたのです。

これまで、役割交代、それから、情緒的近親相姦、という概念でも納得していたのですが、この対象化、というのも非常に納得できます。

こうしてみると、父は本当に自己愛性人格障害みたいな人だったと思いますし、母も同様に別のやり方で私を対象化していた(マイナスの感情をぶつける対象にしていた)と思います。

ともかく、自分を育てることを禁止されていたのです。
ネットで調べると、以下のサイトで非常に分かりやすくそのことが説明されていました(英語ですが)。まさに、私のことが書かれているような感じがします。
読んでいてもつらくなるので最初の所だけ読みました。


https://sites.google.com/site/mypoisonousparent/1

あと、ジェリーワイズさんはYouTubeで非常にいろいろな概念を説明していて、本当に私にぴったりです。

ですが、やはり、自分の無意識を掘り起こすには、誘導瞑想が今のところ必須のようです。


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パッション(情熱)が復活している兆し [自己一致(統合)するために]

おはようございます!

いまだに、私の気持ちを無視して、私が大事にしていたダマスクローズ(バラの一種)を勝手に2回にわたって切ってしまい、結局、私の大事なバラは一つ残らず台無しにしてしまった母に対するものすごい錨は噴出しています。

しかし、今日も広場で気功をして帰る時に気付いたのです。
私の中で、自分の内側から湧き上がってくるものに任せていると、自分の情熱を持てる者が何であるかが分かってくるということが。。

今のところまだ、いろいろなことに興味が湧いたり、これまで興味を持っていたことや、関心を持っていたことや過去に訪れた場所や、ともかく、無意識に追いやられていたいろいろなことが浮上して、そのままに任せているのですが、だんだんと、自分の本来の方向に流れていくようになってきているようです。

これまで完全に蓋をされて、出てこられなかった流れが少しずつ出て来て、自然にちょろちょろと流れ出している感じがするのです。

今もそれを止めようとする力も働いていますが、それは本来の自分がそうしているのではなく、父や母の命令で操作せられていたん名残でそうなっているのだと思うので、それが分かって来て、ますます無意識の自分を掘り起こしていきたいという感じです。

そうすると、本来の自分が持っていた情熱とは何であったかが、分かって、どんどんと本来の自分が出てくるようになる気がします。

やっと、自分が底のほうにあって、その流れというか、バイブレーション(波動)が意識に浮上してきているようです。

気功も健康法として毎朝やるのが良いように思います。

あと、今朝は、ジョン・スタインベックのビデオを見て、やはり私はアメリカの文学に関心があることを思い出しました。



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一昨日あたりから左に向いて開いているようです [自己一致(統合)するために]

こんにちは

一昨日頃から、というか、その前の夜くらいから、眠ろうとすると
また、母にバラを切られたことの怒りがもりもりと湧き上がって来て
ものすごい怒りが出て来て眠られないくらいにすごいエネルギーが
湧き上がってくるのです。

そして、それはますます自分の身体の中で左向きのエネルギーになって
いって、どんどんと左側にあって埋もれている無意識の部分を
開いて言っているような感じです。

そしてそれは幼児期から子供時代に父や母によって、脅されて
また恐怖によって自分の中で認められなかった、愛されなかった
自分が反撃して、父や母の脅しによって恐怖に曝されているにも
かかわらず、その脅しに真っ向から向かっていってありのままの
自分の感情を出そうとして言っているようです。

これまではその脅しに負けて、恐怖に負けて自分を出さすに父や母の
脅しから身を避けるために、エネルギーが右側に向かって逃げて行って
いたようです。右側は自分の本当の気持ちではなく、本当の気持ちを
ごまかして、父と母の恐怖から逃げるための自分の逸脱したエネルギーの
ようです。
それを繰り返すことで本来の自分のエネルギーを否定して抑え込んで
偽の自分を創り出して生きていたのでしょう。

なので、左を向いて、自分を愛するためにどんどんと左にエネルギーを
向けているのです。というか、自然にエネルギーがそちらに向いているのです。

そして、瞑想をすることでそのエネルギーが自然に左を向くようですし
眠っている間にもそうなるようです。

自分の中にエネルギーを向けると自然とそうなるようです。

そして、今日は先ほど瞑想をしていると、昔、カウンセリングを受けていた
牧師に対するものすごく複雑に入り組んでいて自分もそのカウンセラーも
許せないという、そして自分がそれに引っかかってしまったという恥の
感情がすごく強くてどうしてもそこから逃れられなかったのですが、
少しそれが緩んできているように感じたのです。

そして、特にその当時その牧師の引率で教会信徒たちのイスラエル旅行
に参加したときのイスラエル旅行の記憶もやっと少しよみがえってくるように
なったように思いました。

それもこれまではやはり自分を責めていて記憶がよみがえってこなかった、
あるいは、マイナスの感情を伴った記憶しかよみがえってこなかったのが、
すこしその自分を責める気持ちが緩んできて、ニュートラルな気持ちで
あるいは、プラスの気持ちで記憶を思い出す余裕が少し出てきている
ように感じたのです。

どんどん癒されていきたいものです。









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ありのままの自分を受け入れるとは、が分かりかけてきました [自己一致(統合)するために]

おはようございます

昨晩、眠る前に誘導瞑想をしたのですが、そのあとふっと気づいたことがあるのです。

それは、私がこれまでにやってきたことのなかで、社会的、道徳的に
良くないと思われることをいくつかやってきていることに気付いたのです。
そして、そのことに対してやましい思いが出て来て、自己嫌悪になりかけたの
です。

ただ、今回はその自己嫌悪がそれだけで終わるのではなく、そのような自分を
これまでのように否定するのではなく、むしろ受け入れようとする気持ちが
働いているのに気づいたのです。

つまり、それがありのままの自分を受け入れる、ということなのだろう、
と初めて分かったのです。

そこへ行く前に、瞑想に入る前、そして入ってからもすごい左側に
苦しいものがあったのですが、ともかくその苦しい自分を受け入れて、
自分をとにかく愛するということを自分に言い聞かせていたのです。

つまり私は幼児期からありのままの自分を愛され、受け入れられたことがなく、
罰されて、責められてばかりだったので、それを変えるために
自分で自分を愛することを試みていたのですが、そこから、
これまでは自分で自分を責めていて絶対に受け入れられないと思って
いたような、自分の罪の性質と言うか、欲の部分を受入れて
認められるような部分が浮上してきたものと思われます。

これまでは、自分の欲はいけないものとして、親からさばかれていたので、
自分でも、自分の欲を良くないものとしてせめて抑圧していたものと
思われます。

欲とは、欲望なのですが、その根は幼児期の甘えから発生する欲望であり、
その欲望こそが生きるエネルギーになっていると思うのでその欲望を
全て押さえていたところからポジティブな生きるエネルギーまでも
押さえつけられていたものと思われます。そして、自分が全く出て
こられなくて、自分が生きられなくなっていたのです。

根本的な甘えが認められて自分の欲望が意識に登って、それから初めて
その欲望を自分の意志で選択できるように自分を育てていくことが
できるのだと思います。

欲望をすべて押さえつけていたのでは、欲望が無意識のままになって
しまい、無意識の欲望によって自分が振り回されてしまうのだと気づいたのです。

それに気付いた時に、世の中の犯罪の多くもそういう無意識の欲望によって
起こされているのではないか、と思ったのです。

そうすると、幼児期に自分の欲望を意識化していくことがどんなに
大切かが分かるというものです。ただし、幼児期にできなかったとしても、
いつからでもそうやって無意識の中に埋もれている自分の欲望を
意識化して、健全な方法でその欲望を満たしていくことが大切である
ことに気付いたのです。

すべては、無意識の意識化から始まることが分かったのです。

また、それは、条件付きの愛から、無条件の愛への移動のようです。
これまでは、幼児期の親から条件付きの愛しか与えられなかったので
自分でも自分に条件付きの愛しか与えられず、無条件の愛と言うものを
知らなかったのです。だから、ありのままの自分を受入れることが
出来なかったわかです。それが、自己愛欠乏症になっていたのです。
それが、共依存と言うものです。

やっとその辺のつながりが分かってきました。

やっと自分の核にたどり着くも、麻痺しているようです [自己一致(統合)するために]

こんにちは

一昨日あたりから、ちょっと仕事のことでショックなことが
あり、悶々としていました。

そのこともあって、昨日の朝の目覚めでも感じたことで、
さらに、今朝の目覚めの時にも出てきたことですが、

今、私の恐らく本当に小さい時の幼児期に親から受け入れられず、
また父親から怖い顔でいつも怒られていたせいで、
すっかり無意識化に埋もれていた自分の核が左の肩の下の方
から、出てきていて、まさにこれまでずっと出てこれなかった自分の
本来の部分が浮上しているのですが、

そこがものすごく下の方で落ち込んでいて、しかし、
今回のショックがあったことがその本来の埋もれていた自分にも
届いているようだ、ということです。

それで、よけいに、今回のショックを強く感じていて、
それは、幼児期には良く感じていたものすごい落ち込むようなショックなのです。
どん底に落とされるような、恐怖を伴うものすごい落ち込みのショックです。

おそらく、この落ち込みを乳幼児期や幼児期に何度も味わっていた
ものと思われます。

それで、その核の自分が引っ込んでしまったものと思われますが、
今、浮上してきていて、そのショックの落ち込みを再び感じるように
なったのだと思われます。

それは、身体の左側の深ーいところから、頭の左半分に向かって
浮上しているのです。身体の左半分に亘ってそれが出ているのです。

ショックの落ち込みのため、自分の核が意識の下に潜り込んで
出てこれなくなっていたようです。

それは、乳幼児期に自分が傷つかないために、引っ込んでしまって
自己主張をしなくなって、親の感情を取り入れて、親の感情が
自分の感情になってしまい、自分を押さえつけるような自我が
出来てしまっていたものと思われます。

そのために、本来の埋もれた自分の核と、親を取りれて自分を
怒って押さえつけて自分で自分を責める超自我(批判的な親)のような
もう一人の自我ができてしまっていて、その間でものすごい葛藤を
繰り広げていたものと思われます。

それで、自分の中が統一されずに、自己矛盾と自己不一致で
ものすごい苦しみと葛藤になっていたものと思われます。

その自分の中にできていた親から来ている自我(超自我?)を
ずっと壊し続けていたのがなかなか壊れなかったのですが、
やっとひびが入っているようです。

それで、今朝の目覚めではその部分が再び出て来ていたのですが、
下にいる本来の自分の核が初めて意識に昇って体の中から
浮上しているものの、そこに出てきている本来の自分はこれまで仮死状態
だったせいで、ものすごいマヒ状態で動かれないような状態になっているのです。

本当にマヒしていて、身体が動かせないような、生きているのか
死んでいたのが生き返りかけていて、麻痺状態が続いているような
かんじで出てきているのです。

毎日少しずつ変化しているので、ここからさらにもっと出てくると
もっと元気になってくるのだろうと思っていますが。。。

これまでその本来の自分がつぶれていたために、自分の意志が原動力
になって自分を動かすことができずにいたために、決定ができなかった
者と思われます。

ともかく、ひどい自己矛盾の原因は、左側の親の自我が自分の
本来の自分を生きられないようにしていたためと思われます。



午後から寝て、母の重みと戦っていました [自己一致(統合)するために]

さっき書いたブログの続編です。

・・・さっきの続き・・・

また、今日は、午後、早い時間から再びものすごい眠気と疲労感に襲われてきて、
起きていられず、これまでと比べてもかなりひどい感じがしたので、
布団に入って寝ました。

そうしたら、すごかったです。体の左側にすごい引っ張りが起こっていて
まるで、体がすごく変な感じで引っ張られている感じで、ずっと寝ていました。

それで、感じたのは、やはり本当に多分赤ん坊のころからの記憶だと思いますが、
母に自分の依存欲求が受け入れられなくて、私の泣いているのを、
受け入れて慰めて欲しいという欲求が母に無視されて、その自分の
ありのままの感情が埋もれてしまっていたのが分かってきました。

それが、左の腕の下の方からすごい力で塊となって出てこようとしている
のが感じられました。
それでそこらへんがすごい筋肉の痛みとなっているのです。

また、昨日あたりからは、ピア・メロディーさんという方の「Facing Codependency」
という本を読んでいるのですが、すごく私にぴったりの箇所が
ありました。

まさにそれが、乳幼児期に泣きながら母にすがりついていって、
台所でお皿を洗っている母の足許に泣いて行っても、母は見向きも
せず、無視してお皿を洗い続けている、というシーンが描かれていて、
そういう体験をした子供は、自分の感情を抑圧して自分の感情や
自分というものが分からなくなってしまう、と書かれていて、

まさにそれが私の体験なので、その私の体験を認められた、という
感じたしていたのです。

それを認められる、ということはとても大切で、本で読んだだけでも
カウンセリングを受けているのと同じ効果があるのではないか、
と感じています。。

自分一人だけが体験した苦しみで誰もわかってくれる人はいない、と
思っていたらとても苦しいですが、それと同じ体験をしたという人がいて、
そして、私の体験したことは確かに苦しい体験であり、私の体験した
感情は、それは虐待ともいえる、ひどい体験だったのだ、ということを
認めてもらうことは、自分の感情は間違っていないのだ、とお墨付きを
もらうことになるのです。

つまり、私の感情を、批判されることなく、受け入れてもらえるという体験を
することになるのです。

これまで誰にも認めてもらえなかった幼児期の感情を認めてもらえるという、
カウンセリングにも似た体験ができるので、それはとっても必要なことだと
思います。

そういうことで、すごく左側の部分が再びすごく痛くなっていて、下から
自分のこれまで抑圧していた母に押さえつけられて出られなかった自分が
出てきているようなのですが、

今日、昼に寝ているときに、私が子供のころ繰り返し見ていたもうひとつの
夢を思い出したのです。

それは、母が私の上にのしかかって、私の首を絞めているか、
あるいは、母がナイフを持って振り上げて私の首にそれを振り下ろそうと
している、という夢です。

おそらく、首を絞められそうになっている、という夢なのかな、と思います。
母に押さえつけられているので、私は重くて動けなくて、殺されかかって
いる、という夢ですが、それも繰り返し見ていたのでした。

そして、今日の昼に感じたのは、母の下に埋もれている自分というのは、
本当にすごく下の方に行ってしまっていて、すごく無意識のずっと下の
方にある、ということです。

だから、母から分離することはそれだけ難しかったということなのかもしれません。

それだけ、母からは押さえつけられていて、自分が本当に無意識のうちに
母の怒りとか私に対する敵意とか、母の悲しみとかマイナスメッセージとか
私への無視とか、とにかく、母のマイナス感情の全てを私がそれに対応して
母を受け入れさせられていたんだな、と思います。

そして、そんな母に対しては、本来の自分の感情を出すことはできず、
常に母の感情に気を使って、母に気に入られるようにいい子に振る舞って、
本来の自分の感情とか、気持ちとか、欲求を隠すようになってしまって
いたんだな、ということが分かってきたのです。


Facing Codependence: What It Is, Where It Comes from, How It Sabotages Our Lives

Facing Codependence: What It Is, Where It Comes from, How It Sabotages Our Lives

  • 作者: Pia Mellody
  • 出版社/メーカー: HarperOne
  • 発売日: 2003/04/29
  • メディア: ペーパーバック



今朝の目覚めも左側が痛く、苦しかった [自己一致(統合)するために]

こんにちは

昨日も実は昼過ぎには苦しくなり、また横になって休みました。
そして、今朝の目覚め時にも、左側がすごく引っ張られているような
感じて、また、「行きたくない」と、そしてすごくみじめで苦しい
恥の感情がでていました。

なかなか苦しいですが、右の脳が働いていなかったのが
働こうとしていて、無意識が意識化されているのだろうと
思っています。

本当に自分が左を向いて行かないといけないのだと思います。

また、昨日も書いたのですが、わたしがまとわりつかれて困った
アメリカ人の女性が、私の都合を考えず、また、私が「仕事で忙しいのだ。」
といって訴えているのを、まったく聞く耳がなく、自分が私に
受け入れられて自分の話を聞いてもらいたいという一心で、
私の都合にまったく共感する能力がない、ということで、
それは、まさに、彼女の中で無意識になっていて、私の感情が
意識できない状態になっているのだと思うのですが、

まさに、私も過去において、そういう彼女と同じような
状態になっていた時期があったのではないか、ということに気付かされたのです。

それは、自分のことに心がいっぱいで、目の前にいる相手の
ことや相手の立場や状況を思いやり、相手の気持ちに共感する
ことができない、という状態です。

今回、このアメリカ人の女性のターゲットにされたことで、
そういう場合に、その相手の人がどういう気持ちになるか、ということが
身をもって分かったような気がしたのです。

それは、自己愛性人格障害的な態度ではないか、と思うのですが、
つまり、自分が相手に受け入れられることが最優先であり、自分の
今年か考えていなくて、相手の気持ちを察することができない、という
状況です。

その時、それは、相手にとっては分かってしまい、その時点でもう
嫌気がさしてしまうのです。つまり、相互の交流が起こっていないことが
分かってしまい、とても関係を続けられない、とおもわれてしまうからです。

交流が、一方的で、双方向でないからです。

相手のことに興味を持って、相手のことを尋ねることをしなくなるのです。

今回のアメリカ人女性もどんどんと、私のことに興味を示すのではなく、
私を連れ出して、自分のしゃべりたいことを喋りまくることにしか、
興味がなくなり、私の都合をまったく無視しても自分の欲求を満たすことしか
頭になくなっていたようだからです。

そして、そのことで、自分が満足することしか考えられなくなっていたからです。
つまり、私の都合を無視しても、自分の満足を得ることを強迫的に
求めていることが感じられたので、それは、中毒といってもいいでしょう。

私も過去において、そういう風になっていたことがあり、それでは
相手の人は逃げたくなるのも無理はなことが分かったのです。

自分の中に空っぽの部分があり、本来の感情が出ていないと、そうなるようです。
それが、自己愛の欠乏症の症状でしょうね。
彼女もおそらく、そういう症状が出ていたものと思われます。

あとは、今、「谷間の百合」を読んでいますが、面白いです。
もっと、フランス語を勉強して、こんなフランス文学も原語で読んでみたい、
と思っています。
そうなれるように、フランス語が上手くなりたいと思い、頑張ることにしました。


谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1973/02/01
  • メディア: 文庫



ものすごい恥の感情に襲われていました [自己一致(統合)するために]

こんにちは

昨日は、ジョン・ブラッドショーの「恥からの癒し」に関する本(英語版)
を読んでいました。

これは、少しずつ読んでいるのですが、大変参考になります。


Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

  • 作者: John Bradshaw
  • 出版社/メーカー: Hci
  • 発売日: 2005/12/30
  • メディア: ペーパーバック



それから、「異邦人」の次のフランス文学として、バルザックの「谷間の百合」
も読み始めました。
調べてみると、バルザックは幼少期に母親に愛されなくて、とてもつらい幼少期を
過ごしたようです。そのため、大人になってから女性遍歴が多かったとのことです。
しかし、文学者としてはものすごく才能があったようなので、これから、取り組むのが
楽しみです。


谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1973/02/01
  • メディア: 文庫



ところで、そうやって本を読んでいると、これは昨日の話ですが、ものすごくまた
苦しくなりました。
それと同時にすごい、恥の感情が出てきて耐えられなくなったのです。

それで、もう起きていられないので床に入ってその苦しい感情に耐えていたのですが、
これまでで最高くらいの激しい恥の感情に襲われていたのです。

それは、通常では考えられないくらいの鮮烈な恥の感情です。
おそらく、自分の人格の幼児期の部分の中核のところに、父親から怒った顔で
私自身が怒られて、私の人格と私のありのままの感情、そして幼児の私にとっては
私のありのままの自分が父親から怒られて拒否されたと感じたことから、
そこにものすごい恥の感情が生まれたものと思われます。

それがいま再現されて出てきているのだと感じます。

というのも、その恥の感情が出ると同時に、私の頭の左側のほうで
その父親の怒った顔と父親の怒っている感情が私の目の前に出てくるからです。

その父親の怒った顔と怒った感情の焼き付けがひどすぎるのです。

それは私の左側のほうにものすごく大きく残って私自身の感情と
まじりあっているようです。
おそらく、父親が私のありのままの感情を否定する感情を受け入れて
取り入れてしまったものと思われます。

ともかく、左側の体の中に、怒った父親が入り込んで私を迫害しているのです。

そのため、父かから恥の感情が入り込んで私自身の感情を感じられなくなっているようです。

私が自分の感情を持ってそれを表すことは恥ずかしいことだ、恥だから絶対に
それを出してはいけない、というメッセージを父親から怖い顔で恐怖で植え付けられて
いるようです。

そのため、私が子供のころによく見ていた夢で、汲み取り式のトイレの下の
巨大な汚物の海の中心に私が一人でぽつねんといる、という夢の意味が
分かってきたのです。

それは、父親からそうやってありのままの自分の感情は、「臭い汚物」
として、拒否され、押さえつけられ、恥ずべきものとして、無意識の中に
追い込まれた、ということで、そこにいる私は、トイレのうえの世界からは
断絶されて、出て行くことができない状態になっている、ということです。

その中の自分は、ありのままの自分なのです。

そのありのままの自分が父親から拒否されているわけです。

その自分の状態はまあ、前から分かっていたのですが、その自分の状態と
親との関係がいまいち完全に分離して理解できていないのですが、
ピア・メロディーというひとのビデオをYouTubeで見ていたら、ちょうどその
「児童虐待と恥」の関係について話していて、とても参考になりました。

ピア・メロディーさんの本も日本語になっているものもあるようですが、
できれば、原語(英語)のものを読んでみたいものです。


左の下腹の部分から感情が出てきている感じ [自己一致(統合)するために]

こんにちは

最近、週に一度くらいの頻度で、町営の温泉に浸っており、
その後は本当に気持ちが良いです。
それにその後しばらくは体が芯からポカポカしています。
昨日も町営の温泉に入ってゆったりしたので、今もそのときの
リラックス感と、気持ち良さが体と記憶に残っていていい感じです。

ところで、今朝の目覚めの時には初めて、私の中の感情が
表面に出てきている感じがしました。
そして、最近、その感情というのが下腹の部分にあって、そこから
出てきているように感じていたのですが、まさに、今朝も
体の左側の下腹から上の側面に掛けてすごく痛くなっていて
そちら側から感情が出てきているように感じました。

感情が出てき出した、と感じたのは今日が初めてのような気がするのですが。
もっともっと感情が出てきてほしいな、と思っているところです。

また、先日カフカの「変身」を読んで面白かったことから、
こんどは、別の作家のものも読んでみようか、と思い、
うちの本棚にあったカミュの「ペスト」を読み始めたら、
これがまた、予想外にとっても面白いのです。
今日もこれから読もうと思っているところです。


変身 (角川文庫)

変身 (角川文庫)

  • 作者: フランツ カフカ
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 文庫





ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者: カミュ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: 文庫



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