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やっと左側に自分が出てる感じ [心の成長]

おはようございます。

今朝もすごく色々と気づきがありました。

今、新しいことを始めようとしているのですが、
(といういか始動しているのですが)
それは、まあ一種の商売です。

それが軌道に乗るにはどうしたらいいかを考えているのですが、
それは、やはり、商売だったら来る人に信用してもらえることが
第一ですよね。

それで、そういうことがどうしてもわたしのなかで 
腑に落ちなかったのです。
これまでは、結局自分が本当に深いところで、つまり、幼児期の
その部分で、自分が押しつぶされていたために自信がなかったのです。

自信がない、ということは自分を信じていない、ということですよね。
だったら、自分が自分を信じていないのに、人に自分を信じて
ついてきてください (というか、私から物を買ってください)
といえないです。

それが、ずーっと私が前に進めなかった原因だとわかりました。

以前から、そこが私のネックだとわかっていたのですが、そこから
抜け出せなかったのです。

どうしても、自信というものがもてず、、自分がなかったのです。

それが、やはり、幼児期に父から怒られ続けていたこととか
ははからも悲しいことがあった時に優しく、その痛みを和らげるような
態度や言葉をかけてもらって、愛され、なだめてもらうことがなかったから、

だから、自分が感じる感情を受け入れてもらえなかったために、
自分がこれでいい、自分は自分であっていいのだ、ありのままの
自分でいいのだ、ありのままの自分が素晴らしいのだ、という
実感を持てなかったことが、自分が存在しない、そして、自分に
自信が持てない、だから、前に進めない、という状態に
陥っていたことが分かったのです。

それは、商売をしようとするとき、人に物を買ってもらおうとするときに
それが、できない、自信がないから。。。
失敗したらどうしようと思っているし、買ってもらった後でクレームが
出たら困るから、という幼児期に父から自分が拒否され、責められ、
怒られた記憶が出てきて、それを心の中で繰り返して自信を失って
いたことが、原因だったのだとわかったのです。

もちろん、根拠のない自信は困りますが、根底に自分はOKだと
言うのがないと、前に進めないことは確かです。

ともかく、そこが落とし穴になっていたことが分かったのです。
そして、その落とし穴のふたが取れたので、その中に入って行って
自分を取り戻すことができそうになってきているように思います。

父の声がずっと私を苦しめていたのです。起こった父の声と態度が
私の頭の中で繰り返しているからです。

脳の記憶の中に叩き込まれていたからなのです。
その記憶を取り除くしかないのです。

というか、それは自分ではなく、父の記憶が私の中で繰り返されされているのだ、
という風に、区別をすることなのですね。

そして、その下に、本来の自分の感情があって、すごくそのことで傷ついて
いるのです。その本来の自分の傷ついている感情がもっと強くなって
本来の自分のほうがそれにうち勝っていかないといけないのです。
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久しぶりでクリニックを訪問 [心の成長]

こんにちは

前回は10月30日に書いているようです。
久しぶりなのですが、先週末、4月以来、半年以上ぶりにメンタルクリニックの
先生のところを訪問しました。

EMDRを自分でやっていてそれ以来、自分の中の優先順位が変わって
また仕事もやらなければ、という気になったので、あまり自分の内面を
見つめてこのブログに書くという暇もなかったのですが。

たまには、書いてみようかなと思いました。

また、久しぶりでメンタルの先生に会って、自分の変化というか、多少の
進歩も感じているところです。

今、仕事を自分で始めようとしているものもあり、そのほうでも鍛えられて
いると思います。

精神的にタフになることが求められているのです。

メンタルクリニックでは、先生から絵を描くとか、文章を書くとか
これまでと違うことをしてはどうか、と言われました。

また、私の体の左側に圧迫感があり痛くなっていることに関して、
話し合ったのですが、それはやはり私の感情がつぶれているから、
というか、つぶれていたからだ、ということでした。
つまり、右脳が働いていなかったのですね。

今、それを生き返らせようとする蘇生術をしている感じです。

そして、先生の書かれた絵を見せてもらいました。
ものすごく、変な顔とかした女の人の怖い顔の絵がありました。

何なんでしょう。

私の心の中を表しているのでしょうか。
また、その後で、心が穏やかになるような風景がもありました。

ともかく、動きが必要だということです。
ずっと、同じところにとどまっていて、なかなか抜けられず、
体の左側が痛いのは、まだ、恨みがそこにあるからだ、そして、
許していないから、頑固なのだ、、と言われました。

それはわかっていて、変えたいのだけれど自分の意志では変えられないのだから、
そこがつらいところですね。

また、EMDRを自分で少しやってみようかという気分ですが、
今度は、自分の肯定的なイメージを描いて成功している自分を描いて
イメージトレーニングするようにしてみようかと思ったりします。


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また、左側から恐怖が出ています [心の成長]

こんにちは!

今日はまた、身体の左側がものすごく痛くなっていて、すごく上から押さえつける力が
あって、すごく痛くて苦しくなっています。
そして、さらに、また、恐怖が出てきています。

あと、わかったことは、その左側で上の方から内なる自分である私を裁いている力が
のしかかっているようです。

その自分を裁く思いというか、裁いている声というかが、ずーっと自分を苛んでいた
事に気づきました。

これまでは、その声がずっと聞こえていて(といっても、幻聴ではなく、心のなかで
聞こえてくる声です)、自分を責めていたのですが、それは自分がダメだから仕方の
ないことだ、と思っていたのですが、実はそうではなく、ずーっと昔に起ったことで
今も自分を責め続けているとしたら、それは、自分を厳しくさばくサタンの声に自分が
従っているのだ、ということに気づいたのです。

それは、自分を裁きすぎていて、正常ではない事に気づいたのです。
とにかく、私の左側の中には、自分をものすごく厳しくさばいて、過去に起ったできごと
について、すごく批判的な目で見ていることに気づいたのです。

やっと、その中に埋もれていた自分が出てきたので、自分を責める声と、自分自身との
区別ができるようになったのかもしれません。

とにかく、その自分を攻める厳しい裁判官の自分は、サタンの声に従っているのだ、という
ことがわかったので、そのサタンの声と戦って、自分はイエス様のお陰ですべての罪が
許されたものであり、そんなに責められ裁かれる必要のないものだ、という思いを強くして
行かないといけないのです。

私の中ですごい葛藤が起こっていて、その2つの力が戦っているようです。
なので、すごく苦しいのです。
また、その裁く声の中には、私に恥の気持ちをもたせる力があるのです。
私はその出来事に対して、恥ずかしいと思うように仕向けられていたのです。
だから、自分の中にものすごい恥の感情があったのです。
でも、それは自分を裁く裁判官がいたからだ、ということが分かってきたので、
その裁判官を追い払えば、恥もなくなるのだと思います。そういうふうにわかって
きたのです。

サタンの声と戦うといえば、ジョイス・マイヤー(Joyce Mayer)の本とか
思い出します。たとえば、「思考という名の戦場」が代表的です。
彼女はいつもそういうふうに心のなかで裁判官の声と、イエス様の
許しの声とが戦っていることを言っています。

それが、やっと私にもピンとくるようになったようです。
これまでは、そこまでさえたどり着いていなかったのです。


新訳 思考という名の戦場

新訳 思考という名の戦場

  • 作者: ジョイス・マイヤー
  • 出版社/メーカー: サムソン・パブリケーションズ
  • 発売日: 2007/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





争いのない生活―壊れた人間関係をいやし回復される神

争いのない生活―壊れた人間関係をいやし回復される神

  • 作者: ジョイス・マイヤー
  • 出版社/メーカー: サムソン・パブリケーションズ
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 単行本




ザ・メッセージ第1集

ザ・メッセージ第1集

  • 作者: ジョイス・マイヤー
  • 出版社/メーカー: エターナル・ライフ・ミニストリーズ
  • 発売日: 2004/10
  • メディア: -


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自分がとても律法的だったことに気づきました [心の成長]

おはようございます!

昨日も少し気づいたことで、今朝の目覚めでもまた浮上していたことですが、
とても重要な事に気づきました。

それは、私が深いところでとても律法的な考え方をしていた、ということです。
それは、イエス様の愛の教えとは逆のことで、パリサイ人の考え方です。

私は表面では愛があるような考え方をしていたのですが、もっと掘り下げて
殻の中の傷ついた子供の部分、父親から押さえつけられていた子供の部分では、
とても律法的な考え方をしていたことがわかったのです。

しかし、実は、幼児期に父がとても厳しくて、いつも厳しく叱られたり、
泣いたり、甘えたりするような弱い感情を出すことは厳しく禁じられていたので、
父親のことを律法的だと思っていて、すごくそういうのが嫌だったのです。

でも、その父を自分の中に取り入れてしまっていたので、自分もすごく律法的な
考え方をしていたことが、わかったのです。

それは、昨日か一昨日、ハワイのニューホープのウェイン・コデイロ先生のメッセージで
たまたま、マルコ伝の中の話で、イエス様の元に大勢の病人がやってきた時に、家の中が
いっぱいで入られないので、4人(?)の友人たちが病人を床に載せたまま連れてきて、
屋根に登って屋根に穴を開けてそこから床に寝た病人をイエス様の前に吊り下げた、
という箇所が出てきたのです。

そのときに、私は、自分の中の律法的な考え方で、そんな人の家の屋根に穴を開けるなんて
ことはできない。その人に訴えられたら困るじゃない。
と思ったのです。

でも、イエス様はその友人たちの信仰を褒めて、その病人はその時に癒やされた、というのです。

イエス様は、律法ではなく、友人たちの愛(信仰)をほめられたのです。

つまり、私は自分の考え方がすごく律法的な方向に向いていることに気づいて
それは、愛の反対だ、パリサイ人の考え方だ、ということに改めて気づいたのです。

そして、父親の厳しさが私にも乗り移って厳しい考えを自分に向けていたことがわかったのです。
自分に対しても、律法的な目で自分をさばいていたのだと思います。

だから、それがだんだんと分かってきたので、良かったし、これからは自分を裁くのでなくて、
自分をもっと許して受け入れられるように仕向けていこうと思っています。


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父に押し付けられた価値観や考えと反対のことをやってみようと思います [心の成長]

こんにちは!!

先日から、このブログにも書いている、服部雄一氏の本ですが、
これまでは多重人格の本を読んでいたのですが、今は、「ひきこもりと家族トラウマ」
という本を読んでいます。これも服部雄一氏が著者ですが、もっと最近のもので、
ハーベストタイムのテレビでもこの本を紹介していました。

それで、とても興味をもったので、アマゾンで購入して読んでいるのですが、すごく
参考になり、私の考えていたテーマととても合っているので、服部雄一氏のことを
しってとても良かったと思っています。

服部氏は、精神科医ではなくて、心理学者で修士号しか取られていないようです(
博士号ではないようです)が、日本とアメリカの違いなどとても鋭い指摘をされていて、
私の感じていることが具体的に書かれているので、大変自分の考えを確認するという意味で
とても良かったと思います。

それから、家族の中で親から子供に与えられるトラウマについても、私の経験や考えと
一致している部分がとてもあり、また、そのトラウマからの治癒の仕方についても
書かれていて参考になります。
また、親子の世代間の価値観の違いがひとつのトラウマを生む原因になっている、
というのは初めて聞いたことですが、すごく自分の親との関係性を理解する上で
役に立つ視点でした。
(親の時代の価値観は、貧しい時代の価値観で、子供の時代の価値観とはちがうのに、
親の価値観を押し付けられていることとか)

服部氏のカウンセリングの中で、父親から価値観を押し付けられて、引きこもりになった
青年は、あえて、父親から与えられた価値観とは逆のことをしてみたり、これまで
やらなかったようなことを先生の支持のもとでやってみたという記述がありました。

それは、私にとってすごく参考になりました。
というのも、私は父親の価値観をすごく押し付けられていて、それが自分に染み付いている
と思っていて、本来の自分がやってみたいことを止めていると思っていたからです。

だったら、それと逆のことをやってみればいいんじゃないか、そうすれば、父親の
価値観から脱出して、父から離れられるんじゃない、と思いました。

父から押し付けられたことについて恨み続けるのではなく、父に反抗して、自分の
やりたいことをやってみればいいのだ、というふうに考えが変わったのです。
今、誰もそれを止める人はいないのですから、自分がやってどんな気持ちがするか
試してみればいいのです。

父から怒られることを恐れて、父の言いなりになっている内側の子供の部分が
父への反抗期に突入することが必要なのだ、と思いました。
そうしてやっと、父を乗り越えて、父からの影響から逃れて、一人前の自分に
なるのですから。

内側にいる子供の自分に、親と逆のことをする反抗期を体験させてやることなのだ、
と思っているのです。



ひきこもりと家族トラウマ (生活人新書)

ひきこもりと家族トラウマ (生活人新書)

  • 作者: 服部 雄一
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本



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今朝の目覚めでは親としての母や父から学びたいという自然な感情が始めて出てきました [心の成長]

おはようございます!

今朝はなんだかこれまでよりも気温が低く、曇り空のようです。

また、昨晩も早めに眠たくなったようで、何時ころに寝たのかはあまりよく覚えていないのですが、
ともかく、今朝もまだ薄暗いうちに目が覚めてなんとかまた寝床の中にいるうちに少しずつ
明るくなったようなので起きてみたら6時過ぎでした。

それで、最近は、朝、走っているので、また、今朝も走ってきました。

今朝の目覚めのときには、これまでとは全く違う画期的な感情が出てきていました。

つまり、普通、子供は母親のやることを見て、真似していろんなことを学びますよね。
そして、父親からも、社会との関わり方とか、仕事に対する態度とかを学ぶと思います。

それが、これまでの私はものすごく葛藤があって親への反発とか憎しみとか恨みが強くて、
親から学ぶなんてことは考えられなかったのです。
むしろ、親を馬鹿にしていたのです。なぜなら、私の気持ちさえも理解できない親は頭の
悪い、バカだ、と決めつけていたのです。だから、親のやっていることは、バカバカしいし、
私とは関係ないことだ、と思っていたのです。

それが、結局は私の防御だったのでしょうか。
親との関係がないように、自分で親を避けていたのです。
でもそれは、そんなに単純なことではなく、裏では愛されたい欲求が否定されていたので、
すごい葛藤の中にあったし、良い子を演じていたので、すごく心のなかがもつれていたのです。

ともかく、今朝の目覚めでは、母から学ぶことはたくさんある、というか、今実際に
私がやっていることが、母のやっていたことをやっているのです。

というのも、最近、というか、今年になって急に野草に興味が出て、また山菜にも興味がでて、
そして、回りが山なので、回りに生えている山菜を取ってきて食べたりすることに急に興味が
湧いてきたのです。

そして、子供の頃母がよく野のものを取ってきて食べさせてくれていたことを思い出し、
今、それができる環境なので、母がやっていたことを思い出して今、私がそれを真似てやっているのです。

というか、山菜を取ってきて食べるということは、母がやってくれていたことを思い出す、という
ことにつながって来ているのです。

すでに、よもぎをとってきて、よもぎ餅をホームベーカリーで作って食べたし、
山椒の葉をとって山椒味噌を作って食べたし、その他にもせりを取ってきたり(まだ
食べていませんが)、昨日はふきをとって、下ごしらえをするところまでやりました。

そのふきについては、本当に母のことが思い出されるのです。
子供の頃の私はふきが大嫌いだったのです。というか、あのふきの何とも言えない臭い
におい、(あれは、アクの匂いだったのか)あの独特の匂いが大嫌いだったのですが、
母は、ふきが生えていると取ってきて、ゆでて、皮をむいて煮ていましたね。

そのことを思い出しながら、私もふきの下ごしらえて皮をせっせと剥きながら
母のことを考えていました。
田舎に育ったので母は、せりも取ってきていたし、あと山菜も、特にワラビを
取りに行っていました。それは子供も手伝ったのですが、、、

ともかく、ふきは子供の頃は嫌いだったのに、今こうしてふきの下ごしらえをしている
自分は、やはり母からたくさん学んだのだ、と思ったのです。
これまでは、母からのマイナスの影響に焦点が置かれていたですが、今、母から学んだ
プラスのことに焦点が移っているのかもしれません。

そして、それと同時に、父についてもこれまで悪いイメージしかなかったのが
少し、視野が広がって父の仕事ぶりについてとか、父の仕事に対する真剣さとか
そいういうものを見習うべきだ、という風に思えてきたのです。

これは、私にとっては本当に驚くべき変化なのです。

親に対するマイナスイメージがプラスイメージに変わってきているのです。

そしたら、親への感謝が出てきて、親から良い面に関しては学びたいという、普通の子供の
環状になるのではないか、と思ったのです。

そうしたら、親と対等になれて、親の良い面から学び、それと、自分独自の考えも
取り入れていく、というふうに穏やかな関係を自分の中で親と持つことができるのでは
ないか、と思います、。

ともかく、すごい心の中の変化に自分でも驚いています。





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これまでは子供の考え方だったのかもしれません [心の成長]

こんにちは!

今日も、またまた曇り空ですが、少しだけこれから晴れてくるかな、という
期待感のある空模様です。

ところで、今気づいていることは、私のこれまでの考え方は、子供の考え方
だったのかな、ということです。

私の内なる子供が子供のままにからの中で閉じ込められていて、外の世界との接触がなく、
大人になる機会を失っていたのかもしれない、と思います。

だから、考え方が子供のような考えのままにとどまっていたように思います。

これから、その子供のままにとどまっている部分に、理性的な部分や、自分に対する
正しい、養育的で関係をちゃんと持つ親としての部分とが協力しあって、その三者のあいだに
コミュニケーションがとれるような脳になっていかないといけないと思っています。

そして、また、目覚めに気づいたことは、私が本当に子供の頃に自分はこういう人間で、
自分はこういうことが好きなのだ、という部分をすっかり忘れてしまっていた、つまり、
無意識の中に埋もれさせてしまっていた、ということに気づいたのです。

本当は自分はどういうことが好きで、どういうことがやりたかったのか、子供の頃の自分の
感じ方とか、好きだったこととか、やりたかったこととか、もっと思い出してそれを今の自分が
子供の感じ方を認めて、許して、さらに励まして実際にやって見るように助けて促すことが
必要なのだと思います。

子供の頃の私の得意だったこととか(お習字とか、絵とか)そういう自分のやりたかったことを
助けて上げるのが本来の親だと思うのですが、子供の才能を見出して、引き出してあげるという
のが親だと思うのですが、私の場合は、埋もれさせてしまっていたと思うのです。
それは、親からの禁止というものが、自分の中に取り入れられてしまって自分の一部になって
自分でそれを止めていたからだと思うのです。

でも、本当は、神様は、あなたのタレントを地に埋めてはならない、と言っているのです。
タレントは使って増やさないといけないのです。

と、神様の教えにもある通り、そういう方向に自然に自分を許して、自分のやりたいことを
ドンドンとやって見させることが自分が自分の親になって自分の中の子供を育てるということ
だと思います。

そうすれば、自然と自分の成長が素直に促されていくのだと思います。
これまでは、成長がねじれたり、止められたり、抑えられたりしてグニャクニャの木
になっていたのです。
それを素直な自分自身の気になるようにほぐして、育てていくことが必要なのだと思います。

ありのままの自分が一番素晴らしいのだと思うのです。



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今朝の目覚めでは意識のしたの無意識レベルの怠惰な気持ちが浮上 [心の成長]

おはようございます!

来週の月曜日までに青色申告をしなければならないのでその準備が大変です。

と同時に、翻訳の仕事の納期も来週の月曜日なので、大変です。
仕事はほぼやってしまったのですが、まだ、チェックとかあと少しの残りとか
用語の確認や修正をやるので青色申告を終えてからやろうと思っています。

それは良いとして、今朝の目覚めにはまた自分の無意識の本当の気持ちが意識にn
浮上したように思いました。

というのは、私はこれまで意識では海外へ出かけたい、とすごく思っていたのです。
ですが、今朝の目覚めの時に出てきた無意識の深いところでは、海外なんか面倒くさくて
行きたくもない、楽なところでじっとしているのが一番いい、と思っているのです。

つまり、自分で何もしないでじっとして楽にしているのが一番いい、と心のソコでは思っているらしいのです。

だから、どこへ出かけていくのも億劫になっているし、とりわけ人にあったり、知らない人に合ったり、
話をしたりするのが面倒くさいと思っているらしいです。

だから、本音のところでは私は、本当は海外へなんか旅行したくないし、面倒なことは絶対に
したくない、と思っていること、それが私の本音だとわかったのです。

不思議ですが、これまでは、意識の面では自分が自立して人の助けを借りずに自分だけの医師判断で
どこへでも出かけていけるはずだ、と思っていたし、そのほうが楽しいのだ、と思っていたはずなのですが、
結局は、自分というのは気が小さくて、自分一人で何もするのは嫌なのだ、そして、いろいろと
考えるのも、面倒くさいので嫌なのだ、という本音のところが出てきて、意識に浮上しているようです。

それはある意味では自己一致なのかしれませんね。
自分に無理をしても同意してもギャップが出てきていしまうので、
自分に無理せず、本音で生きたほうが楽なのです、多分。そのほうが、
気楽になんでもできるのかもしれません。

がんばろう~~~として、気合でやろうとしても無理なのだというのがわかってきたのです。

ともかく、私の根本には怠惰な自分がいること、そして、どこにも出て行きたくないし、じっとして
いるのが一番楽でいいのだ、と思っている自分がいることがわかったのです。


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自分が兄弟に対して愛が足りなかったことで落ち込んでいます [心の成長]

こんにちは!

昨日は、自分がこれまで無意識レベルで鬱積した怒りを持っていたことが
意識に浮上して自分の罪深さに気付かされたことを書いたのですが、、、

今日はまた、その続きかもしれませんが、今度は、妹や弟に対してあまりに
自己中心的に行動してきて、おもいやりが足りなかった、か、愛が足りなかった、か、
愛を示す努力が足りなかったのではないか、ということが意識に登っていて、
今度は、そんな自分だったことについて、落ち込んできています。

それは、これまでは自分を守ることや、自分が沈みそうなので、沈まないように
頑張って浮上しようとすることに必死で、妹や弟に対して、彼らの必要や感情に対して
あまりに気づかなすぎたのではないか、と思っています。

それで、自分の思いやりの無さとか、愛の足りなさ、とか、人間としての落ち度とか、
そういう愛のなさに対して落ち込んでしまっているようです。
つまり、自分の人間としてのたりなさに、とりわけ愛の足りなさに気付かされているのです。

これらはすべて、聖霊様のお働きではないか、と思います。
昨日からのこういう、自分の愛のなさとか、自己中心性を示されて、自分を変えるように
促されている、というのは本当に聖霊様のお働きだと思います。

こういうことは、昨日辺りから始まったことで、自分の曇らされていた良心が鋭くなって
きて、感性が戻ってきているのではないか、と思います。

本当に、今は、弟や妹や、家族に対してお詫びをしたく、せめてこれから償いを
していけたら、と思っているところです。

こう思えるようになっているのも、自分のこれまでの必死の戦い、自分が生きるための
サバイバルのモードからだんだんと脱出して、神様へのお任せする気持ちになってきて
余裕が出てきているのかもしれません。

でも、よくわかりませんが、それにも、メンタルクリニックでもらっている薬を最近
毎日一回は飲んでいるのも効果があるのかなあ、と思ったりしますが、

でも、薬を飲んでいてもあまり変化がなかったこともあるので、やはり、自分の中で
変化が起こってきて、これまでの硬い殻がとれてきているのかもしれません。

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体の左側の下の方から自分が出てきている感じ [心の成長]

こんにちは

昨日の朝も、今朝もですが、目覚めた時に、体の左側の腰のあたりから
上にかけてすごく痛くなっており、さらに自分が左に向かって出てこようとしている
感じです。

そして、その左側の体が捻られるような感じがすごく強くて朝目覚めた時に
しばらくそのまま休んでいないととても起き上がることができないのです。

そして、このところ昼過ぎになると、本を読んでいてもものすごく眠たくなって
しまって、眠らないと耐えられなくなるのです。

それも、普通の感じではなくて、やはり、体の中の(脳の中の?)無意識の
部分で動くためにエネルギーがそちらに吸い取られて眠たくてたまらなく
なるような感じです。

でも、そのくせ、夜眠ろうとしている時に、無意識の方が騒いでいて、眠りが
浅かったり、目が覚めてなかなか眠れなかったりするのです。

それで、昨晩は久しぶりに、ラベンダーのエッセンシャルオイルをコットンに
一滴落として、匂いを嗅ぎながら眠ったら、まあ、夜中に目覚めることもなく
眠れました。

今後、しばらくアロマセラピーでリラックスするようにしたほうがいいかもしれません。

そして、今朝の目覚め後もそういう感じでしばらく寝床にとどまっていたのですが、
体の左の方、特に腰のあたりと、肩のあたりがすごく痛くてじっとしていたら、
だんだんと、また、忘れていたような子供の頃のことを思い出していたのですが、
何か、私の中で、その深い部分で両親と自分とが分離しないまま、繋がったままに
なっていて、自分と両親とを区別することができなかったようだということを感じました。

つまり、両親が私の上に陣取っていて、私が自分の人格を両親から切り離すことが
できていなかったような。

それで、私の中で完全に両親の人格と、自分の人格が分化して、切り離されて
いなかったのだ、ということがわかったのです。

そして、そのことが、これまで私がずっと両親を自分から切り離して考える
ことができず、家族以外の他人に対して、特に、私が親とは関係なく出会ってきた
人達に対して、自分の出自を認められないような気がしていた原因だったのだ、
ということが分かってきたのです。

そして、それは、ンタルクリニックの先生が、私への課題として、
「親を、ひとりの人間として、ありのままに見られるようになることだ。」
と言われたことが意味することなのだ、と思ったのです。

つまり、親をひとりの自分とは別の人格として、ありのままに見られるようになること、
なのだということがわかったのです。

これまで、自分の人格と、親の人格とが分離していなかったのです。
それが、私の中でいつも感じていた、自分の親に対する感じ方はどこかおかしい
と感じていた理由だったのだ、ということが分かってきたのです。

そして、メンタルクリニックの先生はそのことを言っていたのだ、ということで
その私の状態を理解していたんだろうと思います。

でも、その状態から、私がどういう不全感(自分の感じ方がおかしいという感じ)
を具体的に感じていたかということは多分、わからないと思いますが。。。

それは体の左の方で、本来なら、自分と親との人格が別々に感じられるはずなのに、
その部分が閉ざされて、自分の人格は親の下に押さえつけられていた、ということです。

つまり、私の中に親の人格が入り込んでしまって、私は自分と親を別々の
人格として認識できなくなっていたということです。

これはかなり深刻な状態だと言えるのではないでしょうか。

ともかく、それは体の左側の方に出てこなければならないものらしくて、
今も、すごくからだの左側が痛くなっています。






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