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目覚めに神様との関係に関する迷いが出現 [神様との関係]

こんにちは

このところも、これまでと同じように、目覚めた時にとりわけ、思い出したくなかったような
いろいろな過去の記憶が出てきています。

今朝はとりわけ、以前関わっていた教会の牧師にカウンセリングを受けることになった
経緯を思い出していたのです。

というのも、昨晩、眠る前に久しぶりで、Benny Hinn (ベニー・ヒン師)のテレビ
This is Your Day をネットで見てみたのですが、それは、祈りに関するものでした。
タイトルはSeven Keys to Mountain-Moving Prayer, Part 1 
(山をも動かす祈りへの7つの鍵、パート1)というものです。

もう遅かったので、最初のところしか見なかったのですが、そのお話を聞いていて、
私も以前は必死で祈っていたこともあるのですが、最近は全く祈らなくなっていて、
でも、祈りが必要だし、祈りたいなあ、というのはいつも感じていたので、お話を
聞いて納得していたのです。

なので、今朝目覚めの時に、カウンセリングを受けることになった牧師に出会うまえに、必死で祈っていた
ことを思い出したのかもしれません。
そして、祈りたいという気持ちが出てきた時に、それを止めているのが、まさにこの出来ごと
だということに、改めて気づいたのです。

というのも、必死で祈っていた時にこの牧師に出会って、それでカウンセリングを受けることにな
ったのですが、その牧師から、癒しではなく、結果的にトラウマを受けることになってしまったからです。

それがものすごく、心の傷になっていて、神様が使わしてくださったのだ、と思っていた
牧師が、結局は悪魔の使いだった(ちょっと極端な表現ですが)からです。

それを認めたくない、というものが働いているのかもしれません。
まだ、この体験を乗り越えていないのかもしれません。
確かに、思い出したくない体験なのかもしれず、無意識の中に埋もれさせて未解決に
なっているのかもしれません。

なので、神様に祈ろうとした時に、また、同じようなことになったら怖い、と思っているの
で、祈ることがなくなっているのかもしれません。
これは、祈らせないようにするという、悪魔の策略にまんまとハマっていると言えるかもしれません。

ともかく、その時の私は判断を迷った、ということを認めないといけないのだと思います。
神様への信頼関係ももつれているので、それを解かないといけないのです。
つまり、神様に必死で祈った結果、良くない牧師にであってしまい、でも、私は心の中で
この牧師が私をこの闇から救い出してくれるのだ、と思ってしまったのです。
そして、祈っていたから、神様がこの牧師に出会うようにしてくださったのだ、と信じていたのです。

でも、だんだんと、その牧師の振る舞いが怪しくなってきたのです。
そして、自分でも怪しい、と思いつつも、その疑いを打ち消して、でもこれは
私が癒されるためには必要なことなのだろう、と思い込んでいたのです。

そうして、どんどんとその罠にハマっていったのだと思います。

だから、未だに、神様に祈っていたら変な人に出会っても、それを神様が
で合わせてくださったのだと思い込んでしまって、またその時と同じようなことに
なるのではないか、と恐れているのです。
それで、本当に神様に祈ることができないし、祈ったら、また同じように何かに出会った時に、
それが本当に神様が使わしてくださった「良い」ものなのか、がわからないまま盲目的に
信じてしまったらどうしよう・・・

と恐れているのです。

これは今の私にとってはとても大きな問題だと思います。

それで、今、このことを書いている時に、ちょっとネットでいろいろ検索していましたら、
ニューライフ・ライブのカウンセラーのヘンリークラウドと、ジョンタウンゼント
が著者である「境界線(Boundary)」という本を訳した方のHPが出てきまして、
それを読んでいたらとても参考になり、いろいろとまた、検索してネットサーフィンを
してしまいました。そうしたら、またいろいろと新しい発見があり良かったです。

しかし、私もこの機会に、本当に神様に向き合って、この牧師との間に起こった
出来事について心の中を整理する必要があると思いました。
そのことに向き合うのは嫌で大変なことですが、それに向き合うことのできる
強さが出来てきているのかなあ、と思います。


境界線(バウンダリーズ)

境界線(バウンダリーズ)

  • 作者: ヘンリー・クラウド
  • 出版社/メーカー: 地引網出版
  • 発売日: 2004/10/01
  • メディア: 単行本



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神様の愛をもっと求めていきたいです [神様との関係]

こんにちは

相変わらず、朝起きたときはものすごく、体の左側に自分が出てきている
感じで、すごく苦しいですが、それでも自分がもっと広がっている感じです。

それから、昨晩は、眠る前に久しぶりで、Sid Rothさんというユダヤ系アメリカ人の
クリスチャン(つまり、メシアニック・ジューと言われるユダヤ系クリスチャン)が
主催しているラジオの番組をネットで聞いていて、すごく、神様の愛の力に
ひたっていて、それで眠ったせいか、今日もなぜか神様の愛とめぐみを
感じているのです。

そのほかにも、いろいろとあるかもしれませんが。

ともかく、今、自分が左向きに方向が変わっていて、すごくそれに対する
抵抗とかもあって苦しいですが、神様にお委ねするということは、自分の
ツッパリをとって、自分の力で生きようとするこれまでの自分の傲慢というか、
プライドが崩されて、自分が左向きになって、神様の手の中に完全に
自分の人生をお任せするということなのかな、と思っています。

もちろん、その中で自分なりに精一杯のことをして生きるのですが。

なんだか、変な感じになっています。
でも、これまで突っ張って生きてきたのが取れているのかもしれないな、
と思っています。
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恵みについてやっと少し分かるようになりました [神様との関係]

こんにちは!!

今朝は、朝からすごい風が吹いていて、台風がこの近くを通って行ったようです。

ただ、幸いなことに、今日はほとんど雨も降らず、ときどき晴れ間も見えたりして
ひどい大嵐にはならずに済んだようでほっとしています。

いまでは、風もだいぶ収まり、台風は過ぎて行ったのではないかと思われます。
予報では午後からは晴れるといっているので、この地域にはひどい影響が
出なかったようでほっとしています。

さてさて、

このところ、この前も紹介した神様の目を通したセルフイメージを持つという
テーマの本を読むと同時に、少し前から、マーティン・ロイド・ジョーンズ牧師の
メッセージをネットで聞いています。

このマーティン・ロイド・ジョーンズ牧師さんという人は、もうすでに亡くなった方で、
イギリスのウェストミンスター教会の牧師を長い間されていた方だそうです。

この方のメッセージを聞くきっかけになったものというのが、自宅にあった
マーティン・ロイド・ジョーンズ牧師の本の日本語訳の本なのですが、
それが、ものすごくよかったのです。

というか、ものすごく、本質的なメッセージが書かれていて、とてもわかりやすかったのです。

そして、ネットで録音されているメッセージ(英語)を聴けることが分かったので、
聞き始めたわけです。

私が読んだ本も、「エペソ人への手紙」がテーマだったのですが、ネットでも、
やはり、エペソ人への手紙の録音が聞けるのです。

そして、特にこのエペソ人への手紙の講釈がこの牧師さんの残されたもののなかでも
人気があるようでした。

そして、ネットで少しずつ聞いているのですが、とりわけ、恵みについての
メッセージが非常に私にとって初めてというくらい、分かりやすくて、神様のことが
分かったのです。

それは、恵みとは一方的に神様から与えられるもので、自分で得ることができる
ものではない、ということなのです。

それを繰り返し、メッセージの中で説明されていて、なるほど・・とやっとわかったのです。

いま、そのメッセージを受け取る心の準備ができていたのかもしれません。

これは、神様からみた自分のセルフイメージを持つようにしようというテーマと
合致します。

また、スポルジョンの本も読んでいたら、やはり、クリスチャンとはどういうものか、
ということが、神様からの一方的な恵みによるものなのだ、ということが非常に
情熱的に語られていました。

だから、結局は、神様からみた自分のセルフイメージを持とう、ということは、
パウロが書いたいろいろな書簡に書かれていることとイコールなのだ、ということが
わかってきたのです。

そして、神様から見た自分のイメージとは別の否定的な自分への言葉というのは
サタンからの声で、神様からみた自分のセルフイメージではないので、その
否定的な思いを常に、「これは神様の声ではない」と見ぬいて、

神様から見た自分のセルフイメージになるように、自分の思いを180度変えて
行かなければならないのだ、ということがやっと本音でわかってきたのです。

そのために、聖書を毎日読むことが必要なのだ、と。

そして、自分の思いをいつも神様の方に向けて、正しい思いを持つようにしなければ
ならないのだ、ということ。

ちょっとだけ、ジョーゼフ・プリンスのメッセージを聞いていたら、「いつも喜べ」
というメッセージでした。そして、何があっても「神様をほめたたえるのだ」と
言っていました。

だんだんと、そういうことの意味が分かってきました。

それは、思いを変える、ということなのです。

その根本には、「恵み」を理解することがとっても大切なのだ、ということが分かってきたのです。

そのように思いを変えることができるようになるためには、神様が一方的に
恵みを与えてくださっているのだ、ということ、とにかく、自分は自分に恵みを
与えることはできないのだ、ということを理解することがどんなに大切か、
ということが分かってきたのです。

でないと、恵みのメッセージをまず受けないと、次の行動は絶対に起こらないのです。

なぜなら、恵みを受けて、愛を一方的に与えられて、それが心に満ち溢れたら
それでいいのです。あとは自動的に動き出すからです。

また、スポルジョンの本を読んでいて、イエスさまが、
「私についてきなさい。あなたがたを人をとる漁師にしてあげよう。」

と言われたことについて書かれていましたが、これも、
ただ、イエス様の弟子になって、愛に満ち溢れるならば、自然に人が寄ってくる
ようになる、

ということを言われているのではないのか、と思いました。

それは、人を引き寄せる方法を教えてあげよう、と言われたものと思われます。

それは、自分が神様の恵みを知って、自分自身が恵み深い人になれば、
自然に人が周りによってくる、ということを言われているのではないか、と思ったのです。


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セルフイメージを変えることにしました [神様との関係]

おはようございます!!

今朝も小鳥を日光浴させているあいだに、
昨日紹介した、この本の続きを今日も少しだけ読みました。


Take a God Look at Yourself

Take a God Look at Yourself

  • 作者: Wendy Treat
  • 出版社/メーカー: Createspace
  • 発売日: 2010/02/10
  • メディア: ペーパーバック



とても、私の今の心の状態に響いてきて、大変よいことを教えてくれています。

というのも、私のセルフイメージを、神様から見た私のセルフイメージに変えていこう、
ということがこの本のテーマになっていて、

私のこれまでの否定的なセルフイメージを聖書の言葉によって、神様の見方によって
プラスのセルフイメージ、つまり、正しいセルフイメージに変えていこう、ということが
手取り足取りで教えられているからです。

今日、呼んだ箇所では、旧約聖書のギデオンについての逸話が取り上げられていました。

ギデオンは、自分は小さくて、弱いし、、という負け犬のセルフイメージを持っていたのですが、
神様が、ギデオンを励まして、ギデオンは正しいセルフイメージを持つようになった、、
そして、勝利に導かれた、、

そして、まず、最初の箇所では、自分を人と比べないようにしよう、ということが
強調されていて、

とても、わたしにも当てはまるところだと思いました。

最近、私が思っていることは、もっと自分自身を受け入れようということだからです。

わたしは、自分を見ないようにしていたような気がするのです。

不思議ですが、自分をありのままに見ていなかったのです。
ありのままにそのままの自分を見ていなかったので、
自分を否定していたのだと思います。

本当に、心の中が周りくねって自分でもよくわからなくなっていたのです。

でも、一番に自分のことをありのままに受け入れることが大切なのだ、と気付いているところです。

また、昨日から、聖書も読んでいて、
昨日から、使途行伝を読み始めました。
これも、小鳥を朝、日光浴させながら、少しずつ読んでいるのですが、

おもしろい、、という感想。

使途行伝は本当に面白いです。
考えてみれば聖書は本当にオモシロイと言わざるを得ません。



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神様との関係を築くことが第一の優先事項 [神様との関係]

おはようございます!!

おとといは、藤圭子さんがビルから飛び降り自殺したというニュースをネットで
見てびっくりしてしまいました。

それから、いろいろと彼女のこれまでのこととか、娘の宇多田ヒカルさんとのこととか、
いろいろなことに関心がわいてきて、ネットで、ずっと調べまくっていました。

というのも、何故、彼女のような人(何不自由なく見える人、自分も娘も成功して幸せで当たり前の人)
が自殺に至ったのか、しかも、飛び降り自殺なんて・・・・

いろんなことを想像してしまい、私自身とてもショックを受けてしまったようです。

そして、最初は、何故? どうして?
なんで、なんで、、、、

そして、娘さんの宇多田ヒカルさんや、周りの人たちのショックはいかほどか、
と思ってしまいます。

ともかく、藤圭子さんについて、いろんなことを想像してしまいました。

でも、自殺に追い込まれるほど悩んでいたことだけは、事実だろうと思いますね。
心の病だったのでしょうか。

いろいろ、想像してみるに、自殺するということは、彼女の世界観がそのようなもので
あったことを世の中に示しているわけですよね。

それは、彼女自身の世界観であったとしても、それを自殺という形で世の中に示すということは、
すごく、周りの人にも影響を及ぼしますよね。

ともかく、わたしが今回、感じていることは、神様の愛をいつも心の中に刻み込んで、
絶対に神様との関係を築くことが大切だということです。

また、藤圭子さんは、周りとの関係を断って孤立していたとのこと。
(とはいえ、年下の男性と6年間同居していたそうですが)

孤立するということは、やはりとても良くないことですね。

あと、藤圭子さんは、ギャンブル依存症にもなっていたようです。
そのギャンブル依存症で、ギャンブルにはけ口を求めていたのが、6年前に
JFKで大量の現金を没収されて以来、大量の現金を持ち歩いてギャンブルしまくる、
というはけ口さえも失ってしまったのでしょうか・・・

その後は、同居していた男性に依存症のはけ口を求めたのでしょうか?

ともかく、こんなふうに、いろいろと想像してしまいます・・・

しかし、いろいろと想像して、いまのところの自分なりの結論は、
やはり、ニューライフのような、クリスチャンで、心理学の洞察があり、人間の心の
問題についての認識を持った、愛にあふれるコミュニティーに属することが
どんなに大切か、ということです。

また、私に関して言えば、神様との関係が、今のところ本音のところでできそうな
感じになっているので、恐れはありますが、そこを掘り下げて、神様にもっと
もっと頼っていくようにすることが大切だと思ったのです。

そのためには、聖書をもっと読んで、聖書のみことばをもっともっと暗記して
神様の言葉をもっと自分の中に蓄えていくことが必要だな、と思ったのです。
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自分の本当の心(きれいじゃない)を知って、聖書を学ぶことが大事 [神様との関係]

こんにちは!!

今朝も、目覚めには苦しい気持ちになりました。

やっぱり、自分を責める気持ちが強いんだろうと思います。
そして、なんだか、自分の本音は良くない、間違っている、という気持ちも出ていて、
それを意識するのを避けようとしている自分に気づきました。

本当の自分とはどういうものか、(汚れたものだ、汚い心を持っている)というものを認識する、
そして、見るのを避けたがっている気持ちがあるのに気付いたのです。

ただし、親から植えつけられた、「おまえはダメだ」という間違った罪悪感、は
必要ないのですが。。。

それとは別の、本当の自分の弱さを認める、自分の本当の本音(きれいじゃないかも、)
を認めて、本当に自分は生まれつききれいな心を持っているわけじゃない、
罪びとなのだ、ということを当たり前のこととして認めることが必要なんじゃないか、と思います。

本当に私の頭の中は混乱していたのです。

子供のころから、母親に責められていたために。。。

きれいじゃなきゃいけない、自分は良い人間じゃなきゃいけない、と思い込んでいたのです。

でないと、母に嫌われる、と。

でも、母は間違っていたんですよね。

きれいじゃないことは、いけないことじゃなくて、元々、人間の心はきれいなだけじゃないんですよ。

原罪があり、楽園から追放されているのですから。

だから、それをまず、認められるようになることが、必要なのです。

人間には崇高な心はあります。でも、それだけではありません。
人間の心には原罪があるので、自己中心な心があるのです。
それを否定してはいけないのです。それを無意識に追いやってはいけないのです。

それを本当に認められるようになることが、成長なのです。
それが私は欠けていたのでしょう。

私は、ほんとうの自分が、欠けのある、自己中心の罪のある人間だ、ということを
認識するのを避けようとしていたのじゃないか、と思います。

それを聖霊様が示そうとするときに、ものすごく嫌な気持ちがわいてくるような気がします。
それを見たくないのです。

嫌なものにはふたをしたいのじゃないか、と思います。

でも、この前書いたように、聖書のハバカク書についての、レイ・ステッドマン牧師のメッセージの続きを
昨晩、聞いていたら、やはり、人間社会の醜さというか、性(さが)というか、本質というか、
そういうどうしようもないものについての、メッセージだったのですよね。

わたしは、思わず、こんなくらいメッセージがあるから、世の中の人は聖書のメッセージなんか毛嫌いして
聞きたくないんだ、と思ったのです。

本当に、人は皆、くらいメッセージや、人間の醜い性をみせられるよりも、明るいメッセージの方が
聞きやすいですからね。

でも、これは人間の本当の暗闇の部分を突いたメッセージであり、盲点をついている、と思ったのです。
そして、それを見ないで本当に自分が変えられることはないのだ、と思ったのです。

その暗闇を見ることができる人だけが、天国をも見ることができるのではないかな、と気付いたのです。

これは、聖霊様が気付かせてくださっているのに違いないと思います。
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悔い改めました [神様との関係]

おはようございます!!

昨晩は、レイ・ステッドマン牧師という方のテープをネットで聞いていて、大変、大きな啓示をうけ、
悔い改めました。

このレイ・ステッドマン牧師というのは、こういう方だそうです。

  ~~「ステッドマン牧師は米国カリフォルニア州のパオアルト市のペニンシュラ聖書教会の牧師でした。
この教会で40年間働いた後、1990年に退職しました。
彼は1992年に天国に召されるまでに800以上の説教をして、約28冊の書籍を発表しています。」~~

彼のメッセージは本当にとてもわかりやすいうえに、とっても心に響きますし、聖書を深く
理解するうえでとっても助かります。

確かに、年代的には、ちょっと古いんですが、、、
彼が牧師をしていた期間が1950年から1990年、ということですから、
でも、その年代的なものを考慮しても、聖書のメッセージは今も同じです。

それで、昨日はちょっと普段あまり聞かない聖書の箇所からのメッセージを聞いてみました。

それは、小預言書(マイナー・プロフィット)の「オバダヤ書」です。

この部分は、ヤコブとエサウのことを話していて、ヤコブが神に愛され、エサウが神に愛されなかった
理由が述べられているのです。

そして、エサウが神に愛されなかった理由は、「高慢」だというのです。

エサウのまちがい、つまり、高慢さとは、

「自分のことは何でも自分でできる。」という思いであり、
「自分の人生は自分でやっていけるのだから、神様なんていらない。
神様に頼るなんて自分には必要ない。」
といって、神様を無視すること、だというのです。

そして、ステッドマン牧師が言うには、クリスチャンであってもこういう人は多いというのです。

ここのところ、本当に私の盲点でした。
とっても、私の盲点がつかれた気がしました。

そして、深く悔い改めさせられたのです。

そして、もっと聖書を勉強したい、ステッドマン牧師のメッセージを聞きたい、と思いました。

ちょうど、ニューライフ・ライブのラジオ放送を紹介しているブログでも、
「自分のことは自分でできる」
というテーマの放送を紹介していたのです。(下記のサイト)

http://ameblo.jp/budgychan93

それは、自給自足の考え方で、神様なんかに頼らなくてもやっていける、
という独立独歩の考え方で、子供時代に親に頼れなかった人は、
こういう態度になりがちだ、というものです。
そして、こういう態度を持っていると、根底に恐怖があって、
「怒りの爆発」が起こる人になりがちだ、というのです。

なので、とっても私にとって必要なメッセージだったのです。

いろいろ体験して、本当に心の病に対して心理学や精神分析とか役に立つとは思いますが、
最終的に神様に頼ることが必要なんじゃないかな、と思います。
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悔い改めたから心が軽いのでしょうか? [神様との関係]

こんにちは!!

昨日は、Danette Crawford さんのビデオをずっと見て、感心していたのですが、彼女の体験が
あまりに私の問題意識と重なって、また、彼女の体験は特別のものですが、それでも彼女の感じてきたことや
体験してきたことから、彼女が感じたことや、さらにはそれを乗り越えてきた過程が、とても私の
心にぐいぐいと食い込んできたため、ずっと興奮していました。

それは、うれしい興奮でした。

そして、神様にまっすぐすがっていくこと、信仰を持つことがどんなに私にとっては必要なことか、ということが
わかったのです。

そして、赦すことが大切だ、ということを彼女は強調していました。

また、聖書の言葉が、どんぞこから這い上がっていくためのロープの結び目のようなものだ、ということを
言っていました。

そういえば、思い切って、昨日、彼女の著作した本、「Don't Quit At The Pit」をアマゾンに注文しました。
届くまで、2~3週間かかるとのことなので、少し待ちますが。

ともかく、聖書の言葉をたくさん心にためて暗記しようと思っています。

あと、自分でもどうしてなのかわかりませんが、昨日の彼女のびでおをたくさん見たことで、ものすごく私の信仰が活性化されたのです。

そして、これまで神様への思いが、頭から入って、胸の所でつかえていたのが、おなかの所まで落ち込んだような気がするのです。

おなかが私の本音の所ですから、そこまで彼女の証や、話を聞いていて、納得できたということでしょう。

もちろん、これまでマリリン・ヒッキー牧師の話を聞いていたことが助けになっていることは明らかで、やはり、
毎日聖書を読んで、メッセージを聞いて、こういう発見をいくつもしていくことで私の信仰が高められ、私の中で成長が起こるのかもしれません。

ともかく、今日は、朝目覚めは苦しいですが、その後、とっても気持ちが前向きになってきました。
昨晩、神様に悔い改めをしたからかもしれません。

私の心が一致して神様に向かっていなかったこと、まだまだ私の中に不信仰があったことや、神様に
従っていなかったことがあったことが、Danetteさんの証を聞いていて思い当ったので、昨日の夜は
声に出して神様に悔い改めたのです。

また、実家で母に怒りをぶつけたことも、罪悪感にさいなまれていたのですが、そのことも、私は神様に
悔い改めたら、大分、楽になったように思います。

ダビデも、バテシバと姦淫し、その後バテシバの夫を殺してしまった時に、預言者を通して
神様からのお咎めを受けたとき、ダビデは神様に対して罪を犯したことを悔い改めたのです。

バテシバに謝ったのでなく、(バテシバの夫は死んでいたので、もう謝りようがなかったですが、、、)
ダビデは、神様に謝ったのです。そして、悔い改めたのです。

罪は、神様に対して冒すものなのだ、と思って、神様に悔い改めることなのですね。

私も、母に謝ったからと言って、傷は消えないのです。

だけど、神様に悔い改めたら本当に許された、と思えて癒されるのです。

今日は、エペソ人への手紙のあたりを読んでみようと思っています。


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私の心が不一致だったことが分かりました [神様との関係]

こんにちは!!

今日は、昨日見た、マリリン・ヒッキー牧師のテレビ放送(You are not rejected) をYouTube でもう一度見ていたのですが、その時に、別の女性のインタビュー放送が推奨ビデオとして横に出ていて、なぜか気になったので見てみたらそれがすごくよかったのです。

その女性は、Danette Crawford さんという人で、伝道者です。
彼女は、最近の彼女の著作を紹介していました。
それは、"Don't Quit In The Pit" というタイトルの本です。

彼女は、結婚した相手がセックス依存症者で、その夫は、彼女が最初の子供を出産してから2週間後に
家を出て行ったそうです。

しかし、クリスチャンの彼女は神様に祈って、ひどい状態の中から立ち直り、今では彼女自身の
テレビ番組を持っているし、ミニストリーを国際的に展開しているそうです。

彼女の話がとても衝撃的だったのと、彼女の子供時代からの問題が、拒絶の問題だった、ということから、
話を聞いていると、彼女の洞察の深さに引き込まれました。

私の問題に対する回答が、彼女の話の中にあると思われました。
そして、彼女の本も、読んでみたいと思っているところです。

まずは、彼女のウェブサイトへ行って、彼女がこれまで出演しているいろいろなテレビのビデオを見てみました。
彼女は、17歳でクリスチャンになり、19歳からユースパスターをしているそうですが、シングルマザーに
なってからも、そして、どん底まで落ちたときも、とにかく神様への信仰だけは強かったのです。

そして、さまざまの試みに勝利してきたのです。

彼女が、ものすごくひどい状況になっても、人を恨んだり、被害者意識になったり、ネガティブになることなく、
それこそ信仰によって、神様に頼って、聖書の言葉を握って、立ち上がっていった証は本当に衝撃的でした。

そして、私は、自分を見て、悔い改めさせられたのです。

私は、こころが彼女のように神様だけに向かってなくて、いまだに、いろいろなオカルトの本もうちにあるし、
クリスチャン関係の本で統一していなかったのです。

そして、本当に彼女のように心を神様に向けて行くことが大切だと思ったのです。

家の中を見れば、私の心の状態が分かるのかもしれない、と思ったのです。
彼女のようなお手本を見ることが必要なのかもしれないです。

私は、こころが分かれていたのです。
朝からずっと、こんなにクリスチャンのビデオを見ていいのか、と思いますが、いや、もっと見なければ
ならないのではないか、と思っています。

私は、自分が変わらなければならないし、本当に変わることは、持っている書籍の内容も変わることです。

これから、わたしは、クリスチャン関係の書籍を買っていくためにも、これまで持っているオカルトやニューエイジ
などの書籍を処分しないといけないと思っているところです。

こうして、たくさんのクリスチャンの番組を見たり、ビデオを見たりすることは、教会へ行っていない私
としては、むしろやった方がいいのでしょう。

そして、私が完全に変わるまで、頭の中が完全に入れ替わるまで聞いて、聖書を頭の中に入れていかなければ、自分が変わることはないのかもしれません。

そういう意味で、今日はこの人のビデオをたくさん見てよかったです。
やらなければならないことが分かってきたのです。

今うちにある本を読んで、処分して、新しいクリスチャン関係の本を購入することです。
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「不正な管理人のたとえ」から感じたこと ルカの福音書16章1~13節から [神様との関係]

こんにちは!!

昨晩は、マリリン・ヒッキー牧師のメッセージ、「Love is brokenness」のパート2をネットで視聴しました。

このメッセージは、主にルカの福音書の「放蕩息子のたとえ」を取り上げて、放蕩息子のお父さんの愛は
自己中心なものではなく、broken なもの(心が砕かれたもの)である、ということがテーマになっているのですが、
本当に、自己中心な愛を愛と思い込んでいるのは私も同様なので、いろいろと考えさせられました。
このたとえの中では、放蕩息子のお兄さんの愛は、自己中心な愛だったようです。
もちろん、放蕩息子は自己中心な愛から始まったのですが、自分がどん底まで落ちて、やっと心が砕かれた
愛に目が開かれたわけですが。

この二人の兄弟のお父さんは最初から、心が砕かれた愛を持っていたのです。

マリリンヒッキー牧師のメッセージを聞いていると、聖書を読みたくなります。
とってもわかりやすく、そしてイキイキと今の私自身の悩みやぶつかっている問題に対して答えとなる
聖書の箇所をわかりやすく解釈してくれるからです。

それで、ルカの福音書の中の、「放蕩息子のたとえ」の部分を読んでいて、本当にこれまでとはもっと
いろいろな意味で理解力が深まってきているのを自分でも感じました。

それは、悔い改めて、心が砕かれてきているからかもしれません。

そして、「放蕩息子のたとえ」の後につづく聖書の箇所を読んでいたら、「不正な管理人のたとえ」
が出てきました。

そして、これまでこの箇所の意味が、よく理解できなかったのですが、昨晩はこれを読んだときに、なんとなく
意味が私なりに理解できたように感じたのです。

それは、管理人というのは私たち人間(クリスチャン)であり、主人というのは神様です。

そして、主人の富を管理するように任せられているのは私たち人間(クリスチャン)です。
私たちがこの地上で与えられている富やお金などは、もともと私たちに帰属するものではなく、一時的に
管理を任せられているに過ぎないのだ、ということです。
すべての富は神様のものだからです。だから、そう考えると私たちは神様の富を一時的に任されている管理者(神様の富を管理する代理人)だといえます。

そして、私たちはこの世の子供たちの間にいるわけです。

そして、この世の子供たちは、この世の処世術にたけているのです。
そして、私たちはこの世で神様から任されている富・お金を使って、(つまり、神様の管理されているお金を
人々の負債を帳消しにするために、不正に使ってでも)友を得ることはいいことだ、と言っているようです。

不正な管理人がしたことは、主人(神様)に対して負債を負っている人の負債を軽くしてやることだったのです。

それを主人(神様)はえらい、賢い、と言われたのです。

人々の負債を軽くすることは、神様から見たら、褒められるべきことなのです。

だから、この世で自分が一時的に預かっている富・お金を使って、人々の負債を軽くしてあげなさい、というような意味にとれます。

負債とは、罪です。罪にさいなまれている罪びとの負債(重荷)を軽くしてあげることは褒められるべきことなのだ、という意味にとれます。

だから、イエス様のこのたとえは、神の国を前提に考えないと、意味をなさないのです。
なぜなら、この世の考え方や価値観と、神の国の価値観は全く違うからです。

私はこれまで本当に神の国の価値観ではなく、人間的な価値観で生きていたことが分かってきたのです。
そして、人間的な価値観だけでは絶対に行き詰ってしまうことが分かったのです。

それが分かってきて、聖書を読むときにこれまでと違った読み方ができるようになったのも、聖霊様の
働きが私の中によみがえってきたからかもしれません。




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