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自分に取り入れた父親と自分の対話を変えること [自己主張]

こんにちは!

今日も、青空が広がってサンさんと太陽が輝いています![晴れ]

素晴らしい秋晴れです!

今朝も、起きがけにいろいろな辛い気持ちが出てきました。
でも、大体、わかってきました。

ようは、私の中に幼児期から成長期にかけての父親なり、母親なりの私に対する態度は、
私自身の中に取り入れられてしまって、私の意識の一部になっているのです。

それは、交流分析でいう批判的な親の自我、フロイト式の精神分析で言うと、超自我になるのでしょう。
そして、本来の私、そして幼児期や子供時代の私自身、つまり、交流分析でいうと自然の子供の自我、精神分析風には、自我(エス)の部分に向かって、押さえつけているのです。
なので、私の子供の部分は、交流分析で言う適応した子供の自我が大きいのです。

なので、本来の自分の欲求とか、そういうものが抑えられがちになってしまっているのです。
なぜなら、その自然の自分の欲求とか、自分自身の感じというものを批判して、押さえつけようとする
批判的な親の自我が強すぎるからです。

それは、私の中の問題なので、現在の親とは関係ないものです。

なので、私が私の批判的な親になってしまっているのです。

それで、思ったのですが、わたしは私自身の養育的な親の声にならなければならない、と。

つまり、私の中の私自身に対する親の態度と声を変えて、本来の自分の好みとか、感じ方とか、性格とか、長所とかを褒めて伸ばしてやらなければならないのだ、と。

事実、わたしは子供の頃から、現在に至るまで、父親にしろ、母親にしろ、理解された、と思ったことがありません。

性格とか、好みとか、感じ方とか、長所とかが違いすぎるのです。

そして、子供の頃から、拒絶されているために、私自身も、私の長所とか、特技とか、好みとか、感じ方とかを十分に認めて、受け入れて伸ばしてやることができなかったのです。

いつも、背後で父や母に合わせなければならない、父や母を受け入れてあげなければならない、と思っていたからです。

だから、いつも、自分自身のことを考えるよりも、親の気持ちばかり心配していたからです。

なので、これからは、私が親に遠慮することなく、自分の長所と思われること、得意なことだと思われることを、私自身が認めて、育てていかなければならないのだ、と思うのです。

そうしていかないと、わたしは自分自身を見捨てることになってしまいます。

親が幼児期に私の心を認めなかったように、私自身も認めないようになってしまっていたからです。

なので、わたしは私の幼児期の心や、子供の頃からの気持ちを受け入れて、やさしく、それを育てていく私自身の親にならなければならない、と思ったのです。

また、昨日はたまたま、必要があって、英語で文章を書いてメールで報告を書いたのですが、文章を書く事は得意な分野なのではないか、と思いました。

あまり、自分で認めてこなかったことですが、文章を書く事、文学を勉強することをもっと伸ばしてやればいいのではないか、と。

そして、子供の頃は、お習字とか、得意だったし。絵画も得意だったし。

これまで、父親に拒絶されたことが傷になって、父親に認められるために、父親のやっていることを自分もしようとしていたのではないか、と思います。

どうしても、本来の自分になりきることができなかったのも、父親への未練があったのかもしれません。

そこを乗り越えて、本当の自分を育てていける親に自分がならなければならない、と思いました。

それは、親を替えることです。本当のありのままの自分を愛して、私に召命を与えてくださっている天の父である神様を本当のお父様にしていくのです。

その天のお父様は、私に天賦の賜物をくださったのですから、それを大事にして、育てて、その召命に答えていかなければならないのです。

私に与えられている天賦の賜物(才能)は、ほかの人に与えられている天賦の賜物(才能)とは全く違うものです。

ですから、ほかの人を見て、羨む必要はないのです。わたしはその人とは別の賜物が与えられているのですから。

神様はえこひいきなさるような方ではない、と聖書に書かれています。

だから、本当に私が天の神様をお父様、私の生みの親として認識した時に、神様が与えてくださった、私だけに与えてくださった、天賦の賜物が見つかるはずです。

それこそが、宝なのです。

それを発見して、それを育てていくこと、それが召命なのだ、と思ったことです。



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葛藤に打ち勝って本当の自分の声を聞くことが大切 [自己主張]

こんにちは!!

今日も、秋晴れの素晴らしいお天気です。
昨日は、裏の畑に立っているミニトマトの支柱にしている竹竿の先に、たくさんの赤とんぼが止まっていました。
立っている竿の8本くらいの先っぽに、止まっているのです。

赤とんぼの唄を思い出しました。
「止まっているよ、竿の先」

まさにその通りなのです。
小さい頃から歌ってきた、童謡や唱歌って、本当にその情景を見た人が、見たままの情景を詩に歌っているのです。

「頭を雲の上にだし、四方の山を見下ろして」
の富士山の歌も、二年ほど前に富士山の麓に引っ越してきて、富士山を見ると、本当に富士山の普段の姿は頭を雲の上に出しているのです。

赤とんぼも、竿の先に止まる習性があるのは初めて知りました。

と、前置きが長くなりましたが、

今週は、色々なことが起こっています。
これも試練だと思って、神様が私を試しているのかもしれない、と思います。

そのひとつは、先日の友人にはっきり自分の主張をしたことですが、
もう一つ、ここ数日、起こっている問題として、私が今借りている古民家のお風呂のガスガマの種火が
つかなくなってしまったのです。

以前から、家主はいろいろと意地悪なことをする傾向があったのですが、今回も、頭に来ることがありました。

最初は風呂釜の交換することを考えると言って期待させておいて、結局、一切お金のかかることは一切しない、けれおども、家賃は下げない、というのです。

まあ、それだけではなく、それまでにもいろいろあったのですが、そのやり方が汚いな、と思ったのです。
家主は自分たちの言うことがコロコロ変わるので。

それに、ガス屋さんとも何度も私が掛け合ったのですが、ガス屋さんもあまり商売熱心ではないのか、
何か、今ひとつはっきりしません。

それで、私としては、世の中から見捨てられたような気分になり、窮地に立たされていたのですが、
今朝起きてから、神様に祈りました。

そして、世の中の全ての人が私を見捨てても、神様は私を決して見捨てられないし、私がもう一度立ち上がれるのだ、と思い直しました。そうして、布団の中で、そんなことを、いろいろと考えて、最終的に、わたしはやはり、心の中で自分に対する自信がなく、何かをやり遂げようとしても、自分が常に人に遠慮をして、自分を殺して、自分を出さないようにしているのは、やはり、父親から拒絶されたという幼児期の体験があるので、その部分を克服して、自分に自信を持つようにしていかなければ、何をやっても成功しないのだ、と考え、自分の思ったことはどんどん表現して、実行していこう!と思ったのです。

そして、その根底には、やはり、わたしは神様に愛されているのだ、ということを常に置いていかなければならない、と思ったのです。そして、自分を許して、自分の気持ちに正直にいきることだ、と。

そして、そう思ったら、すごい勢いで布団から飛び出していったのです。

そして、今朝、試しにもう一度風呂の種火をカチッとしてみたら、なんと、火が付いたのです!!

それで、早速そのままお風呂を炊いて、朝風呂に入りました。

なんという恵み。

結局、今回こういうお風呂の問題が起こったのも、最終的には良かったのです。
というのも、家主とのあいだで、私が風呂の問題で譲歩したため、家主がこれまでやりたい放題やっていたあるひとつのことを、今後はするのをやめる、と言ったからです。

結局、そういうわけで、風呂のことも少し仕組みが分かったし、ガスのことも分かったし、家主のやり口も分かったし。

ともかく、朝はすごく辛い気持ちになります。無意識が動いているのです。

それで、こんな問題がいろいろ起こるし、それにスカイプ電話も切れるし、スカイプのクレジットカード支払いのことで自分庭かからないことが起こっているし、仕事も今、暇だし、で、いろいろマイナスな思いにになっていましたが、なんだか、すべてうまくいっているように思えてきました。

ともかく、この大自然の中に生かされているのは素晴らしいことです。
神様をもっと身近に感じて、生きて行きたいと思います。










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ノーと言えること [自己主張]

こんばんは![三日月]

昨晩、眠る前に友人がこちらに泊まりに来たいとのメールが入っていました。

その友人は、この近くでパラグライディングをしに東京からやってきて、私のところに一泊して、また、翌日パラグライディングをしに行く、という人です。

わたしは、以前、いつでも泊まりにいらっしゃい、と言ったのですが、そうしたら、月に2回泊まりたい、と言われてしまったのです。

それは、こちらに火曜日に来て一泊するのですが、パラグライディングは上昇気流に乗って空を飛ぶので、そのような上昇気流がある晴れた日でないと飛ぶことができません。

なので、飛べるようだとその日に来て泊まって行きたい、というのだけれど、天気予報は必ずしも当たるとは言えず、また、上昇気流があるかどうかも、来てみなければわからない、というところがあります。

なので、これまでも何度もその日になって、来ると言ったり、こないと言ったり、ということが何度かありました。

まあ、その人は率直な明るい人で、いい人なのだけれど、やはり、月に二回来るということや、毎週火曜日にくるとかこないとか、お天気次第で変わってしまうことは、私の生活がどうしても乱されてしまうので、はっきり断ることにしました。

それは、昨晩、眠る前にメールをもらってから、どういうふうに切り出そうかとさんざん考えて、やっぱり、ありのままを正直に言うことだ、という結論について眠りにつきました。

やはり、今の私の状態は、このところ無意識のなかでも葛藤が続いており、何かを生み出そうとしているところでもあり、何か、瀬戸際に立たされているような気もしますし、自分が変わろうとしているターニングポイントのようにも感じています。そして、その作業を続けることは非常に集中することが必要でもあり、また、無意識を意識化することは、たくさんの内側に向かうエネルギーが必要です。

なので、そういう結論に達したのですが、それでも、私は、何か、そういう自分が相手にノーと言って、断る、ということになると、ものすごくエネルギーがいるし、ドキドキするし、恐怖を感じていました。

いつも、相手に取り入って、相手のご機嫌をとって、相手に従属して、相手の喜ぶように振舞う癖があるのでしょう。

そんな自分に嫌気が差して、一時は、わざと相手に対して横柄な態度をとっていたこともありましたが。

ただ、今回の相手の人は、とてもいい人でいろいろお世話になっているし、良くしてもらっているので、ノー、と断ることに恐怖を感じていたようです。

でも、そういえば必ずわかってくれるだろうと思っていたので、今日、はっきりとそう言いました。

その人は大変、がっかりして、落胆していたようですが、まあ、仕方ないです。

それでも、泊まらないけれども、様子を見に寄ってくれる、とのことなので、良かったです。

私も無理して、我慢して彼女を泊めていたら、私の中に不満が溜まっていくと思うので、それよりも、
無理せず、断って良かったです。

実際、そういうふうにノー、と言えることは、私の中の本来の自分が自己主張しているのだなあ、と思います。

自己主張がうまくできないので、ドキドキしてしまって、恐怖になっていたのです。

でも、それも訓練次第で、もっと楽に自己主張できるようになるのではないでしょうか。

今回の、彼女は自己主張ができない、ということは有り得ないくらいに自己主張する人なので、私が自分を主張することも、素直に受け入れてくれるのだと思います。

ちょっと、そういうふうにノーと言わなければならなかったことが、悲しかったですが、仕方がないです。
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