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ジョニー・エリクソン・タダさん、その他 [トラウマからの開放]

おはようございます

少しずつですが、昨日からは、本当に初めて自分の感情が出てきているのを
感じています。
というか方向が左向きに変わってきたのです。

それはポジティブな方向への変化が初めて実際に起こっていて、
本来の自分が、傷ついて痛みを抱えていたのがだんだんと強くなって
来ているのを感じます。

まだ、左に回りきっていないものの、だんだんと左に回っているのです。

また、昨日もいろいろとYouTubeでビデオを見ていて、NLPを学んだり
していたのですが、その次に、ジョニー・エリクソン・タダさんのビデオが
あったので見たらものすごくよかったです。

彼女は、1949年生まれのアメリカ人女性で、苗字がタダとなっているのは、日系アメリカ人
の方と結婚されているのでそうなっているのですが。

彼女は、17歳の時に海水浴の事故で、誤って浅瀬に飛び込んだため
肩から下の体が麻痺しているという重度の身体障碍者であり、
車椅子の生活をされています。

でも、クリスチャンとしてこの体験を通してすごい活動をされていて
アメリカでは全国的な有名人でテレビ番組も持たれています。
で、そのことは知っていたし、彼女のメッセージも折々に以前から聞いていたし、
歌がお上手なのも知っていたのですが、

2014年の映画のテーマソングを歌われていたことを初めて知ったのです。
それは、Alone but not alone という映画のテーマソングでした。
そこから、彼女のビデオを次々に見て行ったらすごく感動的だったのです。

例えば、チャック・スウィンドル師との教会での公開インタビューとか、、、、
あと、彼女のテレビ番組で彼女の画家としての才能を特集したものが
あり、それも見てみたらすごく良かったのです。

彼女に絵画の才能があったのは初めて知ったのです。
調べてみると、彼女にはものすごいアートの才能があったようでした。
そして、それを如何なく発揮しているのです。
しかも、障碍者になってからは、口で絵筆を持ってすごい絵を描いているのです。
(日本にも星野さんという方がいらっしゃいますが。。)

絵画はもともと幼児期からお父さんに教えてもらって描いていたようです。

ともかく、彼女のビデオを見て、彼女の歌を聴いて、彼女の絵画を見て、
いろんなことを知り、(彼女はたくさんの本も書いています)
彼女には、ものすごく感情の部分で自由なのだということが分かったのです。

そして、彼女の子供時代はとても幸せだったようです。
だから、右の脳が自由に発達したのでしょうね。

そしてそんな彼女だから、苦しみにも打ち勝って
こんなに自己表現ができたり、創造的な人生を
送っていらっしゃるんだろうな、と

そんなことを感じることができました。

それで私も、もっと自分の右の脳が働くようになったら、創造的な
ことができるようになるかな、と思って励まされました。

以下はジョニー・エリクソン・タダさんの著作などです。


とっておきのさんびか物語

とっておきのさんびか物語

  • 作者: ボビー ヴォルゲマス
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社フォレストブックス
  • 発売日: 2004/10
  • メディア: 単行本



とっておきのクリスマスキャロル

とっておきのクリスマスキャロル

  • 作者: ボビー ヴォルゲマス
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社フォレストブックス
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本



Joni Eareckson Tada: Swimming Against the Tide: A Retelling of the Story of Joni Eareckson Tada (Trailblazer)

Joni Eareckson Tada: Swimming Against the Tide: A Retelling of the Story of Joni Eareckson Tada (Trailblazer)

  • 作者: Catherine Mackenzie
  • 出版社/メーカー: Christian Focus
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: ペーパーバック



新版 CD BOOK とっておきのクリスマス

新版 CD BOOK とっておきのクリスマス

  • 作者: ボビー・ヴォルゲマス
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2009/11/06
  • メディア: ハードカバー



Joni

Joni

  • 作者: Joni Eareckson Tada
  • 出版社/メーカー: Gerth Medien GmbH
  • 発売日: 1999/03
  • メディア: Perfect



The God I Love: A Lifetime of Walking With Jesus

The God I Love: A Lifetime of Walking With Jesus

  • 作者: Joni Eareckson Tada
  • 出版社/メーカー: Zondervan
  • 発売日: 2003/08
  • メディア: ハードカバー






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NLPの効果を実感しています [トラウマからの開放]

おはようございます


昨日は、NLPをやってみたことを書きましたが、なんだか、父の怒った顔の
解釈が変わって、あまりそれを怖いと思わなくなっているのに気づいています。

というか、全然前のような感情が湧いてこないのです。

しかし、それとは別に今朝の目覚めでは、体の左側のほうに本来の自分がいて、
その自分はすごい痛みを感じているのが意識に浮上したのです。

だから、トラウマが完全に消えたとは思いません。
むしろ、その本来の痛みの部分がでているようです。
ただ、その痛みは本来の自分が感じている傷つけられたことによる痛みなので、
本来の自分が出かかってきているのかもしれません。

また、その痛みを抱えている自分への「かわいそう」という同情心が
出てきているようで、これまでは、怖い父の顔の存在感が圧倒的だったのですが、
今はむしろその下にある、本来の自分の傷の痛みのほうが意識に昇ってくるようです。

また、今朝の目覚めでは、再び、この前も書いた、先月までしつこく
まとわりつかれて、自分の生活が脅かされるような気持ちになって
悩まされていた、10歳も年上の支配的なアメリカ人女性とのことで、
彼女があまりに自分の思い通りに私を動かそうとしてしつこくまとわり
付いてこられたことで、トラウマになっていたようなのですが、そのことが
頭の中で繰り返されてしまって、怒りが何度も湧き上がってくるので
困っているのですが、今朝の目覚めにもそれが出てきたので、少しだけ、
NLPの昨日のエクササイズを応用してみました。

あまり、上手くいかなかったのですが、確かに、NLPのやり方は、ちゃんとやれば
何か、これまでと違う効果があるように感じるのです。

あまり、期待はしていなかったのですが、NLPをもっと学んでみたいと思って、
少し期待が高まってきています。まだ、疑いながらですが、それでも、何か
すごい期待がどんどんと高まっています。

また、昨日見た、薬を使わずに分裂症を治したというビデオもすごかったのです。

そして、昨日読み進めた、「谷間の百合」もすごく面白かったのです。
フランスの18世紀のお話なので、歴史の勉強もかねてやるといいでしょう。
フランス文学の魅力に少しずつ捉えられてきているのを感じて少しワクワクして
きました。
フランス文学って面白いですね。
まだまだ、序の口の序の口しか知らないですが。。。。

右の脳が生き返ってきているのかもしれないです。

そして、少し、自分の中に、素直な自分の感情が出てきだしているのも感じます。






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NLPをやってみました [トラウマからの開放]

こんにちは

今朝も目覚めにすごく苦しくなっていましたが、
昨日とは違って、なにか自分の本来の自分のところに(つまり左に)
どんどんと入って行くのは同じなのですが、自分はダメだというのは出てきて
いなかったです。

また、昨日は眠る前に、YouTubeでNLP (neuro-linguistic programming)
つまり、神経言語プログラミングと訳されているものですが、このNLPが
トラウマ対処に役に立っているという人の証言を聞いたので、そこから、
別のYouTubeのNLPでトラウマをいやす方法というビデオを見始めていました。

そうしたら、自分の中でそのトラウマというものがものすごいストレスをもたらして
いることに気付いたのです。

要は、トラウマとはものすごく耐えられないほどの心理的ストレスなのだ、という
ことが分かったのです。

それで、私の中にもすごいストレスがあってそのストレス反応がトラウマなのだと
わかりました。

そして、今朝起きた後で、昨日の続きのビデオを見ていたら、NLPで
実際に、エクササイズをする場面があり、私は幼児期の父が私に怒って
怖い顔で私に対していた場面を思い起こすように誘導されて、そこから、
その誘導通りにしていったところ、新しい発見がありました。

それは、これまではその父の怒った顔と声に対して、父から責められている、
という幼児期の感情的な理解しかなかったのですが、初めてその父を
客観的にずっと上の方から見たときに、その父というのは、
「恐れていたのだ」ということが分かったのです。

これまでは、そういう父の怖い顔を恐れていたのは幼児の私だったのですが、
そうやって、幼児の私を怒っていた父の感情の中には、「恐れ」が
宿っていたのだ、ということに気付いたのです。

たしかに、父はその時、「怒っている」ように見えたのですが、そして、私を
脅して、脅迫して、怯えさせて、父の思い通りに動かそうとしたのでしょうが、
その怒っているように見えた父の感情の根底には、「恐れ」があるのだ、
ということに気付いたのです。

それは、まったく、これまでに感じたことのない新たな発見であり、新たな
解釈でした。

NLPとはそういうものなのか、と感じました。
分からないですが、それでトラウマが消えるものかどうかはわかりませんが、
また、脳の中の問題もあるので、

上述のエクササイズは、ただ単に「記憶を癒す」という段階のものだったので、
その次には、「脳である神経系統の癒し」が必要だとうことでした。

でも、このNLPはもともと催眠療法のエリクソンが起源になっているようなので、
トラウマ治療に効果があるようなので、勉強する価値はあるようです。

また、このビデオを見た後で、今度は、統合失調症(分裂症)についての
面白いドキュメンタリーとかもあることが分かったので、そちらも見ていて、
すごく参考になっています。

ともかく、自分のありのままの本来の自分がまださらに左側にある
ようなので、もう少し自分が左に向かっていかなければならないように
感じています。

あと、バルザックの「谷間の百合」も読んでいますが、大変面白いです。
描写がやはりものすごく細かくて繊細で素晴らしいですね。。
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今朝の目覚めに自分を責めていることが浮上 [父との関係]

こんにちは

今朝の目覚めにもまた、ものすごく自分は生きられないのだ~
というすごくつらい気持ちと苦しい気持ちと、自分が生きて行かれない、
という気持ちが湧き上がっていました。

そして、それを味わっていると、やはりそこに幼児期に父から怒られている、
その怖い父の顔と、父の怒った怒りをぶつけられているイメージがどうしても
出てきて離れないのです。

その父から怒られている感情が左側にあってその怒った父のイメージが、
私をずっと責め続けているのだ、というのが分かったのです。

つまり父の怒った顔と声いうのは、私を攻め続ける声だったのです。
つまり私の中で、その父の声がずっとテープレコーダーの様に鳴り続けていて、
私を裁き続けているのです。

そして、その声は私が過去にした色々なことや過去に体験した色々なことで、
私を責め続けていたのです。

つまり、目覚めにもそういう、私の過去の出来事が思い出されてそれを見て、
自分で「なんで私はこうなんだろう。」とか、「なんであんな風にしてしまったのだろう。」

とか、「なんであんな風にして人を傷つけてしまったのだろう。」とか、
「なんで、私はああいう風なひどいことをしてしまったのだろう。」
とか、思っていて、取り返しのつかないことをしてしまった、自分はどうしようもない
人間だ、と独り言を言っているのに気付いたのです。
また、そういう風にいつも、考えていることに気付いたのです。

そして、そういう風に考えていることは、真実だとこれまでは信じて疑わなかった
わけで、本当に自分はどうしようもない人間だ、と思い込んでいたのですが、
今朝は、そういう自分が自分に語っている言葉自体が、それは、幼児期の
父の怒った顔が私にそういう風に言うように仕向けているのだ、ということに
初めて気づいたのです。

つまり、そういう風に自分をめちゃめちゃに批判する言葉は、そのわたしの
中に取り込んだ、怒った父の顔と声が私にそういう批判的なメッセージを
与えて、「お前はダメな奴だ」と自分のしたことをすべて批判的にものすごい
批判的な声で批判している、責め立てているのだ、ということが分かったのです。

だから、やっと初めてその批判的な声を自分に投げかけているのは、私の中に
いる、幼児期の父の声と顔が発生源になっているのだ、というのが分かったのです。

つまり、私に対して「お前はダメだ、お前は生きる権利がない」と言っているのは、
公正な声ではなかったのです。
そして、私が過去にした色々なこと、過去の過失も含めて、は、そんなに自分で
耐えなれないようなひどいことではないのだろうと思います。
ただ、自分を裁く声が、強すぎるのです。

また、もう一つ目覚めに気付いた大事なことは、私の中で、本当に正直ではなかった、
正直になれなかったのだ、ということが分かったのです。

それも、父に怒られるので、自分の正直な心を隠して、父に怒られないような
自分を演じていたせいだと思います。
つまり、自分でない自分を演じるように父から強制されてしまい、それが自分の
仮の自分の姿になっていて、それが第二の自我になって、無意識にそれが見について
締まっていたのだということが分かったのです。

私は、それで、、どうしても正直に自分のした悪いことなど(ちょっとした盗みなど)
したこと認めることができなかったのだ、ということが分かったのです。

ともかく、私は自分のことを正直に認めることができなかったのです。
それが、父に怒られて自分を演じるように強制されたため、本当の自分が
うもれてしまって、本来の自分が育っていなかったからなのだ、本当の自分が
生きていなかったからなのだ、と分かってきたのです。

つまり、正直になることさえ許されなかったのだ、ということです。
父にありのままの自分であることを許されなかったため、嘘の自分を
演じるしかなかった、、ということです。
これは本当にひどいことです。
それによって、自己の愛情の欲求が満たされず、嘘の自分で演じることで
父からの承認と愛情をえることを覚えてしまい、本来の自己は抑圧されてしまった
ので、本来の自己が正直になって、正直になることで許しと愛情を得る、
という訓練ができなかったことがわかったのです。
のm
そして、一方でそのありのままの本来の自己というのは、父によって拒絶され
辱められているので、恥の塊になっているのです。自分の本来の感情は
恥によって拘束されてしまって、、出てくることができないのです。
なので、本来の自分は恥ずかしいものだ、という刷り込みがあるためどうしても
正直に自分を出すことができないのです。

まさに、ジョンブラッドショーの「Healing the shame that binds you」
(あなたを拘束する恥からの癒し)の本に書いてある通りに、
毒となる恥ができてしまっていて、本来の恥が出てこられなくなっているのです。

これは、今問題になっている舛添要一東京都知事も、そういう状態なのでは
ないか、と思います。
それは道徳的な問題、というよりも、心理的、精神的な障害なのでしょう。

ともかく、話を戻すと、このジョンブラッドショーの本は今読んでいる最中ですが、
とても参考になります。

私の中でいまだに、父の怒った顔と声で自分を責め続けていることが
わかった、ということは、いまだに私の中で境界線が築かれていない、という
ことで、今も自分を責め続けていることが分かったので、それに対する
反対勢力、つまり、自分のありのままの自分がもっと自己主張できる
ように、その自分を責めてさばくちからに打ち勝っていけるようになることが
必要なのだ、と分かったのです。

そして、それは、頭でいくら理屈をこねてもダメなのです。
自分の無意識の中の問題なので、体と感情が本来の自分のものに
なることしか、解決にならないのだと思います。


Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

  • 作者: John Bradshaw
  • 出版社/メーカー: Hci
  • 発売日: 2005/12/30
  • メディア: ペーパーバック



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今朝の目覚めも左側が痛く、苦しかった [自己一致(統合)するために]

こんにちは

昨日も実は昼過ぎには苦しくなり、また横になって休みました。
そして、今朝の目覚め時にも、左側がすごく引っ張られているような
感じて、また、「行きたくない」と、そしてすごくみじめで苦しい
恥の感情がでていました。

なかなか苦しいですが、右の脳が働いていなかったのが
働こうとしていて、無意識が意識化されているのだろうと
思っています。

本当に自分が左を向いて行かないといけないのだと思います。

また、昨日も書いたのですが、わたしがまとわりつかれて困った
アメリカ人の女性が、私の都合を考えず、また、私が「仕事で忙しいのだ。」
といって訴えているのを、まったく聞く耳がなく、自分が私に
受け入れられて自分の話を聞いてもらいたいという一心で、
私の都合にまったく共感する能力がない、ということで、
それは、まさに、彼女の中で無意識になっていて、私の感情が
意識できない状態になっているのだと思うのですが、

まさに、私も過去において、そういう彼女と同じような
状態になっていた時期があったのではないか、ということに気付かされたのです。

それは、自分のことに心がいっぱいで、目の前にいる相手の
ことや相手の立場や状況を思いやり、相手の気持ちに共感する
ことができない、という状態です。

今回、このアメリカ人の女性のターゲットにされたことで、
そういう場合に、その相手の人がどういう気持ちになるか、ということが
身をもって分かったような気がしたのです。

それは、自己愛性人格障害的な態度ではないか、と思うのですが、
つまり、自分が相手に受け入れられることが最優先であり、自分の
今年か考えていなくて、相手の気持ちを察することができない、という
状況です。

その時、それは、相手にとっては分かってしまい、その時点でもう
嫌気がさしてしまうのです。つまり、相互の交流が起こっていないことが
分かってしまい、とても関係を続けられない、とおもわれてしまうからです。

交流が、一方的で、双方向でないからです。

相手のことに興味を持って、相手のことを尋ねることをしなくなるのです。

今回のアメリカ人女性もどんどんと、私のことに興味を示すのではなく、
私を連れ出して、自分のしゃべりたいことを喋りまくることにしか、
興味がなくなり、私の都合をまったく無視しても自分の欲求を満たすことしか
頭になくなっていたようだからです。

そして、そのことで、自分が満足することしか考えられなくなっていたからです。
つまり、私の都合を無視しても、自分の満足を得ることを強迫的に
求めていることが感じられたので、それは、中毒といってもいいでしょう。

私も過去において、そういう風になっていたことがあり、それでは
相手の人は逃げたくなるのも無理はなことが分かったのです。

自分の中に空っぽの部分があり、本来の感情が出ていないと、そうなるようです。
それが、自己愛の欠乏症の症状でしょうね。
彼女もおそらく、そういう症状が出ていたものと思われます。

あとは、今、「谷間の百合」を読んでいますが、面白いです。
もっと、フランス語を勉強して、こんなフランス文学も原語で読んでみたい、
と思っています。
そうなれるように、フランス語が上手くなりたいと思い、頑張ることにしました。


谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1973/02/01
  • メディア: 文庫



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幼児期に自己の境界線を超えられていたことを認識 [父との関係]

おはようございます。

昨日は、ピア・メロディーさんのYouTubeのビデオで、共依存の人は
境界線(バウンダリー)がないのだ、という話や、いろいろな感情が
機能していないという話を聞いていて、ものすごく参考になりました。

また、本を読んでいてものすごく苦しくなってきたのでやはり、昨日も
午後から横になってつらい気持ちを味わいながら耐えていたのですが、
だんだんと、私の幼児期の父から受けた問題が分かってきました。

それは、ピアメロディーさんの話の中で、赤ん坊の時また幼児期においても、
個人の境界線というものは尊重されなければならない、ということです。
赤ん坊や幼児期でも、感情という面では、一人前なのだ、ということ。

わたしもそれは幼児期に感じていたことであります。
幼児期にもいろんなことが感情で直感的に理解できていたからです。

あと、現時点の人間関係で、少し前にも書きましたが、私の友人
アメリカ人の女性が、10歳年上で大学でも教えている人ですが、
ともかく、私がその人に付きまとわれてとても困っていたのです。

そして、非常に迷惑なので、最終的には追い払ったのですが、
そうなるまえは、私は彼女に合わせていたのです。そして、彼女の
お気に入るように従っていたのです。

しかし、だんだんと彼女の自己中心性とか、自分の話ばかり
することとか、彼女の周りの人のうわさ話に終始することとか、
彼女の自己中心的な考え方とかが分かって来て、
また、行動においてもだんだんと信用できなくなり、
彼女の人間性が付き合っていくうちにだんだんと耐えられなってきたのです。

また、私自身仕事が忙しくなっていたので、付き合うのを避けようとして
いたのですが、彼女が私の都合にお構いなく、私のところに
勝手にやって来て、無理矢理付き合わせようとするのです。

何度もそういう風に自分の都合を一方的に通そうとする態度を見て、
ますます嫌になっていたのです。最終的には、彼女から、

「もう、私のためにあなたの時間をくれないのね。」

みたいなメールが来て、
私は仕事が忙しくて時間がないと言っているのにもかかわらず、
自分のことしか考えていないことがますますわかって、

「ほっといてくれ」
「私の家に一方的に来るのはプライバシーの侵害だ」

というメールを返し、その後、彼女はアメリカに半年帰って行ったので
とりあえずは、いなくなってホッとしているのですが。

それでもそのことがものすごく頭の中で繰り返されて、その怒りが
おさまらないのです。

そして、その彼女を見て、調べたところ、彼女は「自己愛性人格障害」
に相当するのではないか、ということに至ったわけです。
そして、私が共依存というわけです。

その彼女のことでこんなに悩まされるということが、私の幼児期の記憶の始まる
以前においての父親との関係に重複しているのではないか、と思っているのです。

つまり、私の自己の部分が父親に支配されていたように、そのアメリカ人の
10歳年上の女性が彼女の自己愛を満たすために私を自分の思い通りに
支配しようとしていると感じているのだと思うのです。

そして、その幼児期に父から支配されたことへの怒りが重複して出ているので、
こんなに怒りが収まらないのだと思うのです。

それで、私の幼児期の父が私に対してとった行動も、父が自分の自己愛の欠乏を
満たすために私を自分の自己愛の供給源(サプライ)として利用したのではないか、
という結論に至ったのです。

それは、ジョンブラッドショーの本にも書いてあるし、ピアメロディーさんも
言っています。

そして、それは、私自身の自己愛の欲求を満たすためではなく、
父自身の自己愛の欲求を満たすためだったのです。

まさにそれは、今現在の私が感じている、10歳年上のアメリカ人の女性の
態度なのです。つまり、彼女自身の自己愛を満たすために私を利用しようと
しているのであって、私自身の都合(自分の仕事をして自己実現したり、
収入を得たい)には全く関心がない、というか、それをあえて無視しているのです。

彼女の態度には、前からそういうことを感じており、あまりに自分のことに
夢中になりすぎて、私のことに関心はなく、自分の話を聞いてもらうだけに
私を利用している、とますます感じていたので。
また、わたしを笑いものにするという態度も現れており、同じエピソードを
何度も人の前で披露して、私を笑いものにするという態度もありました。

ともかく、そういう人は、自分自身の自己愛が欠乏しているので、
そうやって人を馬鹿にしたり、支配して自己愛の欠乏を補っているわけです。

父の場合は、いたいけな幼児の私を自分の自己愛を満たすために利用していたので、
わたしはお人形にされていたものと思われます。
そして、そこで私の自己が踏みつけられたわけですが、
それによって、私の自己の境界線(バウンダリー)が侵害された
という風に言えるのだ、ということが分かったのです。

それは、境界線の侵害だったのです。

虐待は、言い換えると自己の境界線が侵害されることなのです。

そして、そのアメリカ人の女性の場合、私が私の境界線を侵害しないでくれ、
と言ったら、もうそれで、私との関係は切れたと思っているようです。

つまり、彼女の場合も、おそらく、境界線を尊重しつつ、親密な関係を
維持することは難しいのではないかと思います。彼女はどうしても人の
境界線を越えてその人のプライバシーに入って行ってしまうのです。

それは、人のゴシップ話ばかりしていることからも言えると思います。
おそらく、彼女自身問題を抱えた人なのだと思います。
そして、人からプライバシーを侵害しないでくれ、と言われて終わって
いるのでしょう。
その反動として、尊大な態度をとり、人を見下した態度をとっているの
だろうと思うのです。

ともかく、ここまで父との関係について分かってきたところで、
そうやって、幼児期に父から境界線を侵害され、私自身の自己が
うずめられてしまっているわけですが、そういう状態だったために、
ものすごく私の中で父との分離ができていなかったものと思われます。

それで、父に対して凄い気持ち悪い感情があり、受け入れられない
まるで他人のような感情しかなかったのです。

その幼児期の癒着が父との間にあったのだろう、ということ、そして、
それが、父の自己愛性の障害のために、幼児の私が父親の自己愛の欠乏を
満たすためのサプライ(供給源)として利用されていたのだろう、という解釈、

そして、それは、父が私の境界線を侵害していたことになるのだ、ということ、
完全に境界線を侵害して、私の上にかぶさっていたのだ、ということ、
父には自己愛の欠乏があったこと、、おそらく、自己愛性人格障害
のような傾向があったのかもしれません。

ともかく、父の中にすごいコンプレックス(無意識の塊)があったのでしょう。

それで、私としては、その父から押し付けられた癒着を取り壊して、
ともかく、自己を強くして、父との間の境界線を取り戻すことが必要なのだ、
と分かってきたのです。

それは、いろんな説明の仕方ができるでしょうが、一つは父との境界線のなさ、
という説明ができることが分かったのです。

記憶の始まる以前の幼い時に侵された境界線は取り戻すのにも大変な
苦しさとエネルギーが伴うものだということなのだと思います。











それが、問題で、それは、父の




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ものすごい恥の感情に襲われていました [自己一致(統合)するために]

こんにちは

昨日は、ジョン・ブラッドショーの「恥からの癒し」に関する本(英語版)
を読んでいました。

これは、少しずつ読んでいるのですが、大変参考になります。


Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

  • 作者: John Bradshaw
  • 出版社/メーカー: Hci
  • 発売日: 2005/12/30
  • メディア: ペーパーバック



それから、「異邦人」の次のフランス文学として、バルザックの「谷間の百合」
も読み始めました。
調べてみると、バルザックは幼少期に母親に愛されなくて、とてもつらい幼少期を
過ごしたようです。そのため、大人になってから女性遍歴が多かったとのことです。
しかし、文学者としてはものすごく才能があったようなので、これから、取り組むのが
楽しみです。


谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

谷間の百合 (新潮文庫 (ハ-1-1))

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1973/02/01
  • メディア: 文庫



ところで、そうやって本を読んでいると、これは昨日の話ですが、ものすごくまた
苦しくなりました。
それと同時にすごい、恥の感情が出てきて耐えられなくなったのです。

それで、もう起きていられないので床に入ってその苦しい感情に耐えていたのですが、
これまでで最高くらいの激しい恥の感情に襲われていたのです。

それは、通常では考えられないくらいの鮮烈な恥の感情です。
おそらく、自分の人格の幼児期の部分の中核のところに、父親から怒った顔で
私自身が怒られて、私の人格と私のありのままの感情、そして幼児の私にとっては
私のありのままの自分が父親から怒られて拒否されたと感じたことから、
そこにものすごい恥の感情が生まれたものと思われます。

それがいま再現されて出てきているのだと感じます。

というのも、その恥の感情が出ると同時に、私の頭の左側のほうで
その父親の怒った顔と父親の怒っている感情が私の目の前に出てくるからです。

その父親の怒った顔と怒った感情の焼き付けがひどすぎるのです。

それは私の左側のほうにものすごく大きく残って私自身の感情と
まじりあっているようです。
おそらく、父親が私のありのままの感情を否定する感情を受け入れて
取り入れてしまったものと思われます。

ともかく、左側の体の中に、怒った父親が入り込んで私を迫害しているのです。

そのため、父かから恥の感情が入り込んで私自身の感情を感じられなくなっているようです。

私が自分の感情を持ってそれを表すことは恥ずかしいことだ、恥だから絶対に
それを出してはいけない、というメッセージを父親から怖い顔で恐怖で植え付けられて
いるようです。

そのため、私が子供のころによく見ていた夢で、汲み取り式のトイレの下の
巨大な汚物の海の中心に私が一人でぽつねんといる、という夢の意味が
分かってきたのです。

それは、父親からそうやってありのままの自分の感情は、「臭い汚物」
として、拒否され、押さえつけられ、恥ずべきものとして、無意識の中に
追い込まれた、ということで、そこにいる私は、トイレのうえの世界からは
断絶されて、出て行くことができない状態になっている、ということです。

その中の自分は、ありのままの自分なのです。

そのありのままの自分が父親から拒否されているわけです。

その自分の状態はまあ、前から分かっていたのですが、その自分の状態と
親との関係がいまいち完全に分離して理解できていないのですが、
ピア・メロディーというひとのビデオをYouTubeで見ていたら、ちょうどその
「児童虐待と恥」の関係について話していて、とても参考になりました。

ピア・メロディーさんの本も日本語になっているものもあるようですが、
できれば、原語(英語)のものを読んでみたいものです。


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体の左側で二つの力が戦っていて筋肉痛になっています [トラウマからの開放]

おはようございます

昨日の夜は、このブログに書いた通り、父親からの抑圧に対して、
自分の本来の幼児期の甘えたい感情が出てこようとしていて、
その感情を感じて行くことが必要だと分かって、

そこで、
父親と自分を分離していくとの必要性がやっと、深いところで
出てきていたのですが、今朝の目覚めでさらにその部分が
動いていて、ものすごく体の左側がひねられていて、骨盤の
背中の真ん中の下の方が痛くなったり、左側のほうが痛くなったり
してすごく苦しくなっていました。

そして、今もまだ、今度は体の左側のとくに、背中の上の方と、
さらに、左の骨盤のあたりから下に向かってすごくひきつられる
ような感じと、足のほうまでしびれたような感じになっています。

左側全体がすごい筋肉の緊張と痛みとしびれになっているのです。

いま、おそらく自分の本来の感情がしたから出ているのかもしれません。

それに、昨日の眠りに入る前には、すごく落ち込んだ気持ちになっていて、
(「異邦人」の第二部を読み始めていたせいもあるでしょうが、暗い話なので)
祖の幼児期の甘えたくても甘えられないというものすごい人生の不条理というか、
悲しさが出てきていて、涙を流さずに泣いていたのです。
というか、嘆きのむせび泣きを涙を流さずに、ともかく嘆いていた、
という感じです。

しかし、私はこの、どうしようもない自分の欲求が答えられないことに
対する悲しみを出すことをずっと恥じていて、それをありのままに嘆く、
ということがどうしてもできなかったことに気づきました。

そこに、私の一番の苦しみがあったのです。
失ったものを嘆く、ということが自分には禁じられていたのです。
それは、幼児期に父親からそれを禁じられていて、それが私の
なかに条件づけられてしまい、自分の要求を出して叶えられない時に、
なげく、つまり、失ったものを嘆く、という自然の感情の流れが
止められてしまっていたのです。

そして、そうすることを恥だと感じるようになってしまい、どうしても
自分を解放することができなかったのです。

それが、父親の禁止令として自分の中の記憶に残されているのです。

それが非常に強かったので、そこから頑固さが生まれていたものと
思われます。

それが、一番の問題をもたらしていたのです。

いま、その禁止令が、自分の中から出たものではない、ということで、
その抑圧と、本来のありのままの自分の感情との区別をしようとしているのです。

これまでは、その禁止令が父からのものなのに、自分がその父と同一化
してしまっていて、父が私の中に入り込んでしまい、自分がなくなって
(殺されて)いたのです。

そして、自分のなかから自発的に起こる感情が出てこれなくなっていたのです。

自明の感情、というもの。
つまり、これは、以前、読んだ
「自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 」
の中で説明されていた、当時の精神分裂症の
問題と同じです。


自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫)

自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 木村 敏
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 文庫



自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学

自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学

  • 作者: 木村 敏
  • 出版社/メーカー: 弘文堂
  • 発売日: 1989/09
  • メディア: 単行本



この著者の木村敏氏は、他にもいろいろな本を書かれていて、
分裂症という言葉がタイトルに付いた本も書かれているようです。



分裂病と他者 (ちくま学芸文庫)

分裂病と他者 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 木村 敏
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 文庫



ともかく、今日は左の肩の下から腰のあたりから痛く、
今は特に左の肩の下が痛くなっている。

でも、この自明の感情というのが少し出てきているのかもしれない。

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左側に幼児期の抑圧された感情が一斉に噴き出している感じ [トラウマからの開放]

こんばんは

今日も相変わらず左側にまた、すごい幼児期からの感情が出てきていて、
今は再び恐怖の感情が出ています。

しかし、父親の起こった顔と同時にまた、今度は違う記憶が出ていて、
それは、妹の存在と母親の存在がでてきていることです。

それは、妹が一歳年下で生まれたのですが、少し障害を持っていたのです。
それで、母がその妹を世話していて、私はまだ、一歳ですので自分も赤ん坊
ですから、その母のところに甘えていきたいわけです。

しかし、その時に、父が母と妹の前に立ちはだかって、私がそちらに行こうと
すると、怖い顔で起こって行かせまいとするのです。

私はそこで、母が妹の世話ばかりしているので、自分も母に甘えたいのに、
父がそこで起こって遮られるために、父への恐怖のほうが先に立って、
妹に対して嫉妬したかもしれないその嫉妬心さえも出てこないくらいに
自分を抑えてしまっているのです。

そこに、恐怖と悲しさが埋もれているのです。

先ほどは、そのことで母にものすごい怒りがあったのが出てきて、
怒りが出ていたのです。

その妹の世話ばかりしている母への怒りを結局は殺していい子にならざるを
得なかったことが分かって、すごい母への怒りが出ていたのです。

今は、それを父が怖い顔で私に恐怖を抱かせて母と私との間に
立ちはだかっていたこと記憶が出てきて、父への怒りが出てきているところです。

その時は、父が怖かったためにこの父への怒りも抑圧してしまい、
ともかく、いい子になることで適応していたものと思われます。

おそらく、この今出ている怒り、妹が生まれた後、母のところに甘えて
行こうとするのを父に怒られて止められていたことの記憶が怒りと共に
出ているのです。

この記憶は感情と共に出ているので、はっきりとそういう記憶がある、
というよりも、感情と共にその時の光景が出てきている、という感じです。

しかし、その感情がもし抑圧されていたのだとすると、本当にこの辛い感情と
ともに出てきてそれを味わったほうがいいのです。

アリスミラーはそういう考えだったのです。
抑圧されて、忘れられていた幼児期の感情と記憶がでてきて、それをありのままに
感じることができなければ、癒されることがないのだから。

それを抑圧しているから、本当の自分が埋もれているのですから。

感情を抑えて抑圧していたからいけないのだ、と。。。

また、今朝の目覚めには、「生きるのが嫌だ」という感情も出ていましたが、
抑圧されていた自分は、父から怒られて、その怒られた感情は生きることを
許されていなかったから、隠れてしまったわけで、生きるのは嫌だ、というのは、
父から怒られるのは嫌だ、というやけくその感情だと思います。

また、今日も、昼頃にすごく苦しくなって横になっていたのですが、
その時に、父に幼児期に怖い顔で怒られたことは、つまり、
「お前は生きる権利がない」(ありのままのお前は生きる権利がない)
そして、「お前はダメな人間だ」「お前は何をやってもうまくいかないのだ」
「お前は絶対に失敗するのだ」「お前は幸せになってはいけないのだ」

という、全て私の幸福や成功を否定するメッセージとして私の中に
取り入れられてしまっているのだ、ということが分かったのです。

それは、私自身ではないにもかかわらず、父からのメッセージとして
私の中に取り入れられてしまっているのです。
それが、セルフイメージになってしまっているのです。

その父からのメッセージは本来、私とは無関係の者であるにもかかわらず、
それを私へのメッセージとして受け取ってしまっていることが分かったのです。
それは、私の中の幼児の心がそれを受け取ってしまって、「自分は絶対に
成功しないし、幸福にもなれないのだ。」という風に父親のメッセージを
守ろうとしているのです。。。。

いい子になって、父の言いなりになってやる、と思っているのです。
不幸せになることで父の言いなりになってやった、と思って、
父に復讐しているのです。

しかし、これは、いまだに私が父に依存しているということに他ならないのです。
つまり、いまだに父から分離できていない、ということです。
父に復讐している、ということは、いまだに父にコントロールされている、という
ことになるので。。。父から切れていない、父から親離れしていない、という
ことになります。。。

これでは、だめですね。。。
父の支配から脱出していないことになります。。。

*****


さっき、上記のことを書いた後、食事の準備をしているうちに、とても
悲しくなり、泣きたいような気持になっていました。

その時、悲しくて本当は泣きたかったのに、父に怒られて泣くことも許され
無くて、泣かずに我慢して抑圧してしまったことがいけなかったのだと思います。

父に怒られて、その父の怒りに従って自分を抑えてしまった
ことがいけないのです。だから、父の言いなりになるように自分を仕向けて
自分はどうせダメなのだ、と父に支配されてしまっているのです。

だから、父にそのとき抑えられて本当は母に甘えていきたい気持ちがあったのに、
受け入れられなかったことを悲しまないといけないのだと思います。

でも、さっきも、その悲しみを十分に味わったかどうかわかりません。
でも、ともかく父からそのように私の甘えを遮られているのですが、
その父に従っていたらいけないのだ、ということに最低気づいたと思います。

だから、ともかく、その父の支配から抜け出さなければならないのだと思います。。

父の言いなりになっていたら、ダメなのだ、ということ。
そして、父の承認を求める必要はないのだ、ということに気付かないといけないのです。
私は父の命令に従う必要はないのだ、ということです。
そして、自分の本来の感情を感じていいのだ、ということです。
その時、母のほうへ甘えて行こうとした気持ちが出ていた、ということは、父の怒ったような
悪いことではなく、当たり前のことだったのだ、ということです。

そして、甘えて行かれなかったことを、悲しんでいいのだ、ということです。
そして、甘えていきたかったことはそれで当たり前なので当然なので、
そこで泣いていいのです。

それを今、自分で感じることが必要なのだ、と思うのです。
自分のありのままの感情を取り戻さない限り、父からの支配から抜け出すことは
できないのでしょう。

*****

ところで、話は変わって、カミュの「ペスト」を昨日、読み終えましたが、
とても面白かったです。

凄いドラマで、大変面白かった。
カミュは44歳でノーベル文学賞を受賞して、47歳で不慮の事故(交通事故)で
亡くなっており、とても惜しいですね。

ともかく、「ペスト」が面白かったので、カミュの「異邦人」がうちの書棚に
あったので、今度は、「異邦人」を読み始めました。

こちらは、「ペスト」よりもずっと薄いのですぐに読めそうですが、
カミュの最初の小説で、凄い絶賛されたそうです。

やはり、アフリカのアルジェリアが舞台なので、何となく、アフリカ~
という感じの異国情緒のあふれる小説ですね。
淡々としている感じが、変わっています。

フランス文学にも興味が湧いてきました。


異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

  • 作者: カミュ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1963/07/02
  • メディア: ペーパーバック



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さらに左側の下の方から父への怒りが噴出 [父との関係]

おはようございます

昨日は、このブログを書いた後で、お昼頃にまたすごく苦しくなり、起きていられないので、
また、その場で横になって休んでいました。
そうしたら、また、自分の内部に入って行ったのですが、そうしているうちに、
幼児期の記憶の始まる前の段階で父に拒否され、自分が殺されていた部分が
浮上して、ものすごい怒りが父に対して出てきました。

それは、これまでにも出ていたのですが、またすごい怒りが出てきたのです。

そして、その後は、今のところ暇なので、カミュの「ペスト」の続きを読んだりしていました。

初めて知ったのですが、カミュはノーベル文学賞を受賞していたのです!
しかし、交通事故で43か44くらいの若さで亡くなっています。

「ペスト」の舞台はアフリカのアルジェリアの都市ですが、カミュ自身、フランス植民地
時代のアルジェリアの都市の出身で、教育もアルジェリア大学で受けて、それから、
フランスに渡ったようです。

大変苦労した人生のようです。
この小説については、翻訳が古いのと、読みにくくて良くない、という批判もネット上に
あるようですが、今のところ新改訳はでていないようですので、こちらに頼るしかないです。

しかし、この翻訳者のことも調べてみたら、特にフランス文学者ではなく、専門は心理学
を大学で勉強された方のようです。ただ、小説の書き方については専門家について
勉強されていたようです。

翻訳が読みにくいことについては、フランス語のニュアンスが正確に理解できないで
翻訳されている可能性もあるのか、というような批判も見かけましたが、その可能性も
なきにしもあらずか、と思います。

でも、他にもたくさん訳されているようなので、相当なフランス語の実力を持たれていた
のだろう、とは思いますが。

「ペスト」の作品自体は大変、面白く、興味深いです。
これを、原文で読みたいという気持ちはすごくあります。
しかし、これを書いていて思ったのですが、英語で読むという方法もあり得ますね。
英語の訳のほうが、多分正確な訳がされているはずです。
フランス語から英語に訳す方が多分簡単だと思いますので。
これは、調べてみたいと思います。

ちょっと、話がそれてしまいましたが、要するに、父親から本来の自分がつぶされていた
のが徐々にそのつぶされていた部分が出てきているという感じです。

そして、昨日の目覚めの時にもすごく感じて、今朝の目覚めの時にもまた感じたことは、
それは、私の体の左側の下の方から出てきている感じが、
「私はもう生きて行かれない」「これでは生きていくことができない」
という感じなのです。

まさに、恐らく幼児期に自分の感情が出てきたときに父から怒られて拒否されて、
それはまさに、父に拒否されては生きて行かれない、と感じてしまったのでは
ないかということです。そして、その自分はこれでは生きて行かれない、という感情
のために、父からの自己否定を取り入れて自分自身を否定することになったのだと思います。

わからないですが、父自身が自己否定をしていたのかもしれません。

ともかく、私は父から否定されて自分の感情を否定して自分を抑えるように
なってしまったのだと思います。

そして、その左側にある自分の感情を抑えて、殺して、出てこないようにして、
右側の頭の中で父の顔を見て、父に同化して生きていくようになってしまったのだ、
と思います。

今、これを書いていて感じているのは、やっとその左側の自分の本来の感情が
復活してきているのを感じているのです。
左の方の下の方にその自分の感情を感じて、そして、頭の働きは右の頭の
うえのほうにあるのです。

それが、一つになって、相互に連携していけるようになるといいのでしょう。

また、今朝は、目覚めの時に、以前の牧師のカウンセラーからひどい目にあわされた
ことを思い出して、ものすごい怒りを感じています。

本来は、損害賠償を請求すべき事柄だと思いますが、私の左側にある
本来の自分の感情が出てこなかったために自分がひどい目に合わされても
それを押さえつけるようにしか、自分の脳が働いていなかったものと思います。

昨日は、そういえば、他にも自己愛性人格障害とか、共依存のビデオを
YouTubeで見つけてみていて、大変参考になったのです。

私は自分の感情がつぶされていたのでそういう、虐待とか不当な扱いについても
本当に感受性がつぶされていたし、見ないようにして避けていた、あるいは
自分には関係ない、と思っていたようなところがあるのかな、と思います。

あと、今感じるのは、自分の感情の部分で、もしそれを見たらあまりに
つらくなるので、避けているという面もあるのかもしれません。

とにかく、感情が動かなくなっていたのです。

ひどい話です。



ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者: カミュ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: 文庫



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