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葛藤の根本が分かってきました [トラウマからの開放]

こんにちは

最近は、何とか現状から抜け出そうとして、苦しくても耐えているところです。

そして、新しいビジネスというか、そういうものに取り組んでそれを通して
自分のトラウマとも向き合っているところです。

そして、作業をしている間に、バックグラウンドミュージック代わりに
フランス語などのテープを聞いたり、あるいは、パソコンで色々なアメリカの
ニュースとかトークショーを聞いたり、最近は、ニューライフをずっと数か月ほど
あまり聞いていなかったので、再び間が空いた過去の分を聞いたりしているところです。

で、昨日、聞くとはなしに、聞いていたニューライフの番組で、11歳の子供が
番組に電話をかけてきたのです。

この番組は、いろいろな心の悩みや人間関係のを持っている人が電話をしてきて、
司会者やカウンセラーに相談をする番組なのですが、子供から電話がかかるのは
めずらしいので、聞いていました。

そうしたら、そこからすごく私にとっての気づきがあったのです。

というのも、その子はすごくありのままの自分で話す子ですが、最初男の子かと
思ったら、女の子でした。まあ、それはどちらでもいいですが。

ともかく、その子は、親が離婚をしていて、お母さんに引き取られていて、
お父さんにめったに会えないのですが、そのお父さんがその子にあまり
会いたがっていなくて、たまに会ったとしても冷たい、ということです。

そして、お父さんは何故自分に会いたがらないのか、ということを相談している
ようでした。

また、たまたま、自分が通っている学校にお父さんが土方仕事か、水道工事か
ともかくそんな感じのなにかの作業でやってきていたそうです。

それで、11歳の彼女は、それに気づいて
「あ、お父さんが学校に来て仕事をしている。行って、お父さんにハグしてあげよう。」
と思って、お父さんのところに行ったそうです。

そうしたら、お父さんから、
「ハグはいらない。
それから、私をお父さんと言わないで欲しい。
私はお前のお父さんではない。」

みたいなことを言われたそうです。

ともかく、お父さんがかかわりを持ってくれないということで悩んでいるという
ことでした。

それに対して、カウンセラー3人がカウンセリングをしていたのですが、
その内容は、

「お父さんがあなたにそういう態度をとるのは、あなたのせいではない。
あなたは、何も悪くない。あなたがそういう風にお父さんに求めるのは当たり前で、
自然のことだ。
お父さんが、あなたの気持ち答えられないで、あなたに冷たくするのは、
お父さん自身の問題なのだ。

お父さんは、どこかでとても心に傷を負ってしまっているのだ。
だから、あなたにそういう風に接するけれども、あなたとは関係ない。
あなた自身の価値はとってもあるし、あなたは当たり前の感情をもって
あたりまえの行動をとっているだけ。

お父さんは心に傷を負っていて、それがあなたに出ているけれど、
あなたとは関係ない。

あなたはとっても素晴らしい子供なんだよ。」

という風な返事でした。

その他にも、お母さんにこう言ったらどう?
お母さんに、お父さんあてに、子供に冷たくしないようにしてほしい、
という風に手紙を書いてもらったらどう?
とかお母さんからの圧力を掛けてもらうことも提案していました。

ともかく、この子の場合は、お母さんがとてもよく分かっていて、
彼女の気持ちを受け止めているようでしたし、おじいさんもそれを
理解しているようでした。
だから、こういう疑問を素直にカウンセラーにも話せるのだと思いました。

私の場合は、母も父も同じように冷たかったので、私自身がそれに
適応せざるを得なかったのだ、ということが分かってきたのです。

その子の相談と、カウンセラーの答えを聞いていて、そのカウンセラーの
言葉は、私の中の「子供」、父に自分の感情を受け止められず、
父から拒否された自分の中の子供の部分の感情に対する答えとして
聞くべきだ、と思ったのです。

結局は、私のそういう父に甘えたい、父と関係を持ちたい、父と
関わりたい、という感情が父に拒否されたものと思われます。

それで、その感情の部分がすごく傷ついてしまって、うずもれてしまって、
とくに、父の顔色を窺って、父に遠慮して生きていくという風になって
しまったものと思われます。

そのために、親との関係がないという風になったのです。
というのも、私は自分の本音を親から隠すようになったからだ、と思います。

そして、その子のように、お父さんにハグをしたい、と思ったとき、
お父さんに、ハグをしてあげたい、と思ったときに、お父さんから
「ハグしないでほしい」と言われて、私はお前のお父さんではない、
と言われて冷たくされたために、私の場合はそこに憎しみが生まれ、
その憎しみを抑圧していい子になっていたものと思われます。
そのためにそこにものすごい抑圧ができて、感情が殺されて、
葛藤が生まれたものと思います。

その子と違うところは、私の場合は、「お父さんではない」
という代わりに、「お父さんだけど、お前の感情は認めない、」
と言われたものと思います。
そして、お父さんの言うことを聞きなさい、という風に頭ごなしに、
お父さんが絶対だ、というメッセージを叩き込まれて、自分の甘えたい、
とかいう感情がすべて拒否されてしまったものと思います。

それは、子供にとっては頭で処理できないため、感情を押さえつける
しかなくて、親に自分の感情を出さなくなったので、そこにすごい
葛藤ができたものと思われます。。
また、そいう父を理解できないので、父はバカだ、父は何もわかっていない、
父にはかかわらないほうが良い、という気持ちと
そんな父を軽蔑し、かつ、憎むという心が生まれ、さらにそれを
抑圧して、まったく感情のない状態が生まれて、うわべだけで
接するという状態になっていたものと思われます。

この11歳の子供に対するカウンセリングで、カウンセラーが気遣って
いたのは、その子かそういう風に、父親の態度によって傷ついてしまって、
自分自身のセルフイメージが傷ついてしまって、間違った世界観とか、
人間観とか、セルフイメージとかを持ってしまって、素直な自分で
なくなってしまうことを避けたかったのだと思います。

すごくマイナスのメッセージを父親からもらってしまって、その子が
ひねくれた子になるのを避けようとして、カウンセラーは、
その子を肯定するメッセージを送って、お父さんは傷ついているから
そういう態度をとるのだ、傷ついている人は、自分でも気づかないうちに
人を拒否する、自分の必要が分かっていなくて、自分にとって必要な人を
拒否してしまうのだ、と言っていたのだと思います。

そこがすごく重要なことが分かってきたのです。
私の場合は、そのありのままの子供の部分があまりにも抑圧されて、
その上に防御ができてしまっており、殻の中に入り込んで、仮死状態
だったため、そういうメッセージさえ届かず、響いてこなかったものと思われます。

それが、今はやっと殻が薄くなって、内なる子供がそういうメッセージを受け取れる
ようになりつつあるのかな、と思ったのです。

そういう風に見方が変わることが必要で、そこまで本来の子供の自分が
父から拒否され、また母からも十分に受け入れられていなかったため、
セルフイメージが完全にくるってしまい、そして、葛藤がものすごくその部分で
あったために、頭がうまく働かなくなってしまっていたものと思われます。

頭が働かない、というのは理性的に考えて、行動することができない、という状態
だと思います。

一方で、こうしようと思っていても、もう一人の内なる自分がそれに反発しているので、
動きが取れなくなっている、自分のうちで反発し合っている、という状態です。
なので、いろいろなことができない状態になっていたものと思われます。







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やっと計画を立てて実行するという当たり前のことができそうに [自己一致(統合)するために]

こんにちは

今朝も目覚めのときにすごく左側が痛くなっており、いまだに左の
肩のところが痛くなっています。

ところで、しかし、少しずつではありますが、自分の目標というか、
やりたいことをやり遂げようとする内側からのエネルギーが
少しずつ強くなってきているようには感じます。

それは、一番下のほうにある自分が目覚めて左を向いていこうと
している感じです。

自分を止める力が右に向かって働いていたのを突き破って左に
向いていこうとしているようです。

そしてそれは、これまで頭から諦めていたようなことに対しても、
(それは頭で諦めていたのではなく、無意識でおなかのところで
つまり本音のところで諦めていた、ということです)
いや、実際に本気になって目指せば可能なことなのだ、という風に
前向きに考える力が出てきている、ということです。

たとえば、左向きに考えれば、実際に、自分の行きたい国を経由して
世界一周旅行ができるのだ、その気になれば実現するのだ、というような
感じです。

例えば、最近、アバ(ABBA)のリードシンガーだった女性の、アニエッタ
さんのビデオをYouTubeで見ていたのですが、彼女の住んでいる
スウェーデンとか、北欧の国に行ってみたい、と思ったのです。

それも、世界一周旅行の一環として、計画を立てて実行してみたい、
という考えがふっと浮かんでくるのです。

これまでは何故かそういう風に現実的に実行するという考えで
計画を立てて実践する、という風に頭が働かなかったのですが、
なぜか、今日はそういう風に頭が働こうとしているのに
気づいています。

だから、やりたいことがあったらどんどんと計画を立ててそれを
実行して実際にそれを体験するまであきらめない、という自分に
今後どんどんとなっていくのではないか、と思って
少しワクワクしてきているところです。

ただ、まだ、左の肩の今度は上のほうがすごく痛くなっていて、
左の首と肩がくっついたような感じで痛いのですが
それも、そこの筋肉が固まっていたのが動いてほぐれて
来ているのかな、と思います。

多分、本来の自分が少しずつ出てきて解放されているのだと
思いますが、その際には、まず、自分がこうなりたい、例えば
世界一周旅行をしたい、という希望というかものすごく強い欲望が
出てきて、それに対して、じゃあ、こういう風に実行すればその
欲望が達成できるだろう、というふうに、現実的な手段をあとから
考えられる、という順番になるのです。

なので、すごく願望を実現することができる考え方というか、
自分の生き方のような、生きる姿勢のようなものなのですが、
それは、いかに自分の願望が強いか、ということになるのですが、
それが本来の私なのだ、と思うのです。
それが出てきたら、夢を実現させてどんどんと自分の願望が
かなえられるように頭が働いて、体が動いて行動に移るので、
どんどんと良くなって、行きたい方向に進んでいけるのだろう、
と思えるようになってきたのです。


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幼児期に愛されることが足りなかったことが浮上 [母との関係]

こんにちは

このところずっと父親との関係について目覚めのときに浮上していましたが、
今朝の目覚めのときはまた、その前の多分母親との関係について浮上してきている
ように感じました。

そして、再び体の左側の腕の下のほうからすごくさらに左に向かって
エネルギーが動いているようでした。

そして、気づいたことは、たぶんまだ幼児期というか、乳幼児期かも
しれませんが、私が泣いても母が来てくれなかったのではないか、
と思いました。
それで、普通だったら、そこで母が来てくれて、私の不安が取り除かれて
外の世界(母に代表される)との間に基本的信頼関係が
できたのだろうと思うのですが、それが、あまりに母が来てくれないかった
ために、基本的不安ができてしまって、基本的不信感に
なって、私のエネルギーが左に向かって下界に信頼感をもって
自信をもって安心して出ていく代わりに、左側の不信感のほうへ
向かって行って、内向していったのではないか、と思ったのです。

それで、自己矛盾が起こり、自我の統合ではなく、不信感による
自我の矛盾、つまり分裂に向かっていったのではないかと思います。

それで、頭がすっきり働かなくなり、未来に向かって出ていくのではなく、
過去に拘泥するようになっていったのではないか、と思うのです。

ともかく、今、本当に自分の下のほうというか、腹のほうというか、
本音の子供の自分の部分というか、感情の部分というのでしょうか、
そこが仮死状態だったのかもしれませんが、そこが動き始めていて、
左を向こうとしているようです。

そしてその部分が左を向いて、起き上がってくることで、自分の
やりたい、と思ったことが、自分で自分に制御不可能なブレーキを
掛けることなくできるようになるのではないかな、と思います。




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昨晩の夢は変化の現れか? [夢日記]

おはよう朝日です

今朝は目覚めてみたら一応晴れているようで、外は明るかったです。

今朝の目覚めの前に見ていた夢がありますので、記録したいと思います。

それは、私が何か割と大きな二階建てのような家に行っていて、
それは、自分の家ではなくて、誰かの家に間借りしているか、
あるいは、一時的にお世話になっているか、それとも家族が底にいて、
一緒に住んでいるのか、それはよくわかりませんが、
でも、ともかく私のいつも住んでいる家というわけではないようです。

それで、他の人たちも泊まりに来ていて、何人かが一緒にそこにいる
ようです。

そして、私の親とか家族の家のようで、私の家族の親とかがその
家に来ている人を家に泊めてあげているようです。

それで、夢の中で夜は多分オフロに入ったりして、二階で眠って、
それから夢の中で朝、目が覚めて、朝ごはんを食べようとして
下の部屋に降りて行ってみると、ある部屋へ入っていってそこでみんな
朝ごはんを食べているだろうと思って行ってみるとそこでは
食べていなくて、泊まりに来ている人たちがそこにいるのです。

それで、家族はどこで朝食を食べているのかと思って別の部屋に
行ってみると、何かそこでも朝食を食べていなくて、のらりくらり
しているのです。

それで、私は朝食をどこへ行って食べたらいいんだろう、と戸惑って
いる、という感じの夢でした。

その夢では、私の泊まっている家の中に何人もの人がいて、家族もいて、
私はみんなと一緒に朝食を食べることが当たり前のように感じているのですが、
実際には私は今一人暮らしなので、実際の状況は一人で朝ごはんを食べるのが
普通なのですが。。

でも、無意識の中では、みんなと大勢で朝ごはんを食べるのが
普通のように感じているのかな、と思ったのです。

また、これからそれが当たり前のように無意識で感じているので、
実際の今の状況をだんだんと無意識的に変えていこうとしているのかな、
と思ったのです。

思っていることが現実化するのですからね。

そして、目覚めの時に感じたのですが、これまでのような父の怒った顔の
影響がなくなってきているのです。

その怒っている父を許そうという気持ちが意識に登ってきているので
変化が起こっているのかな、と思ったのです。

許すことで、乗り越えられるのかもしれないし、そのことが昨日わかってから、
その自分の気持ちを避けないように見据えていこうとしている
ことから、変化が起こっているのかもしれないな、と思います。

自分を偽らなくていいというふうに変わってきたので、
人を恐れなくて良くなってきているのかもしれないです。

ありのままの自分でいられるようになったら、自分を人の前で
作らなくてもいいので、疲れなくなるのかもしれないです。

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続き [父との関係]

こんにちは

先ほど、このブログを書いていて、初めて自分の幼児期に出さないように
していた父の怒った状態に対する私の感情が沸き上がってきたようなので、
続きを書くことにします。

こうして書いていくことで感情が出てくるようなので、これはいいことなのだと思います。

つまり、さっきから幼児期に私に対して怒って憤慨している父の顔と父の
怒った感情と、父のその起った様子の幻影が左から出てきているわけですが、
これまでは、それに対する私の反応は、恐怖しかなかったのです。
あるいは、無感情、悲しい、とかまあ、恐怖だったのです。

それが、しかし、本当にその父を避けないで、正面から見据えると、
その怒っている父に対して、私も怒っている、という怒りの感情が出てきたのです。

怒りの感情があるとすれば、私は父に対して怒っていて、そういうふうに怒っている
父を許せないのだ、というのは納得できます。

そのいつも何かといえば怒って、私に怒りをぶつけてくる父親に対して、
私は本当はすごく私自身、腹を立てて怒っているのです。
全くそんな父親は嫌いなのです。
ところが、それをぶつけることができないので、(恐怖のため)父に対して
無関心になり、無感情になっていたものと思われます。

自分の本当の感情を父に全く出せない状態だったのです。

ところがそれは、自分が父に対して怒っていない、ということではなくて、
ただ単に、見ないようにしているだけ、父と正面から感情的にぶつかるのを
避けていただけ、ということになるのです。

やっとこのへんの自分の感情の動きが分かってきました。

抑圧的な、強圧的な、独裁的な父親に対して、無関心、無感情を装っていた
だけで、本当はそんな父にものすごい怒りを抱くのが普通なのだ、というのが
やっと分かってきました。

私は、どんなにひどい父親でも私が父に怒りをぶつけるのは道徳的に良くない、
と思い込まされて、父に反抗することができなくなっていたようです。
でも、どこかでそれは出てこざるをえないのです。
そんなに感情的に、自分にうそをついていたら、そうなるのは当然なのだ、
と分かってきました。

そんな父親に対しては、憎んだり、起こったりして反抗するのが当然なのです。

それをしないでいたので、自分がなくなって、自分不在になってしまって
いたのだということがわかりました。

まずは、許すとか許さないとかの前に、自分が本当にそんな怒りしか
ぶつけてこない父に対して物すごい怒りと、侮辱の気持ちしかなかった
ことを認めなければならないのだと思います。

幼児の目から見ても、そんな怒りしかぶつけてこない父親は
ダメな人間で、相手にするに値しない最低なやつだ、と思っていたのに
違いないのです。

だから、自分とは関係ない、という風に結論づけていたのだと思います。
つまり、自分と関係を持てない人なのだ、とみさげるようになったのです。

そんな人間は関係を持とうとするだけ、無理なのだ、と馬鹿に
するようになったものと思われます。

関係を父と持つのは無理だ、こんな奴は相手にしないのが一番だ、
と幼児期に結論づけてしまったものだ、と思います。

実際にそうだったのです。

幼児の私から見て私とは関係を持てない人間だったのです。父は。
それで、それ以来、父は感情的な不具者なのだ、と結論づけて
父を無視するようになっていったものと思われます。

そして、表面的に繕っていればいい、と思うようになったものと
思われます。

それで、私の中で両親との関係がなくなっていったため、親を
認められなくなったものと思われます。

やっとそれが分かってきたので、その部分の感情をもっと掘り起こして
本当の私の中で埋もれていた怒りとか、父や母に対する反逆心とか
怒りとかが出てきて、それから許しへと向うことが必要なのだと思います。

でないと、何故許さなければならないのか、ということさえもわからないので。

許せない気持ちがある、ということから自分で探っていってそれを
見つけ出さないと、許さなければならない、というところに辿りつけないのです。

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今朝の目覚めに気づいたこと [父との関係]

こんにちは

今日は朝起きてみたら、今年はじめての雪がうっすらと降りていました。
今年はずっとお正月から晴天で快晴のお天気だったのですが、
はじめて目覚めたら曇り空で、それからドアを開けてみたら、
雪が降っていたのでちょっと驚きました。

でも、気温はそんなに下がっていないようなのでいいですけど。
でも雪なのでお昼になってもあまり暖かくはならないようです。

あと、まだ、車のタイヤをスタッドレスに変える暇がなかったので、
お出かけはできないので、今度、明日にでも晴れたらタイヤ交換を
しておかないといけないと思っているところです。

ところで、今朝の目覚め時の状態ですが、また、気づいたことがありました。
最近はずっと幼児期の父親の怒った顔と、いかった感情が私の中に
入り込んで、体の左側からその幻影に悩まされている状態が
続いていますが、今朝の目覚めでは、そこから私が脱出できる
唯一の方法としては、その父親を許すことなのだ、と初めて
気づいたのです。

というか、そのことがフット頭に浮かんだのです。
許すことなのだ、と。

自分では許していないとか、許すべきだとかという実感は全くなくて、
ともかく、その私の中でいまだに動いていて生きている父の怒った
顔とその怒った様子が私にいまだに、怒っていて、私を責め続けて
いて、さいなんでいるのは分かっていたのですが、

それが、私が父を許すこととどういう関係があるのか全く
わかっていなかったのです。

私は、ただ、自分が被害者だとしか思っていなかったので。。
私は一方的に責められているだけだ、と思っていたのです。

たしかにそうなのですが、

この前のメンタルクリニックの先生も、私は許していないのだ、
そして、それだけ頑固なのだ、と言っていましたが、私は
自分が傷ついているので自分を傷つける人から自分を防御
しているのだ、ということしか思いあたりませんでした。

でも、もしかしたら、その父親の怒った顔が私の中に未だにある、
ということは、その父親というものをその怒った顔と同一視して、
父親とはそういう人なのだ、と決めつけているのかもしれないです。

でも、実際にそういう人であることは変わりないのですが。。
実際に何度も私はそうやって傷つけられているのですから。。
だから、父とはそういう私に向かっていつも怒っている人なのだ、
という目で父を見るようになったとしても仕方ないと思うのでう。

一方で、私は父をそういう人だ、という見方しかできなくなって
いるのかもしれないですね。
それが、許していない、ということなのかもしれませんが、でも、
油断して、本当の自分を見せたりすると、また同じように怒った顔で
傷つけられる可能性があるので、それを避けているのだと思います。

そして、それを避けるためには、父はそういう人だ、と決めつけて
置かないと危険なのだと思います。

で、それが父を許していない、ということになるのでしょうか。
しかし、その根底には、父は危険だ、という恐怖の思いがあるのだと
思います。

だれだって、危険な人からは逃げたいですからね。
でも、幼児期に父から逃げて行くことはできないので、心のなかで
父を避けるようになったのだろうと思います。

要は、私の幼児期の心のなかで、父は危険な人だという判断を下して
いたのだろう、ということがわかります。

そして、確かに危険だったのです。ただ、それは、幼児期の私の感覚として、
そんな怖い顔をして怒られたら悲しいので、そうなるのを避けるようになったのだろう、
そして、父の顔色をいつも見て恐れるようになっていたのだろうと思います。

そんな恐れる人を愛することはできないですから、避けるようになったのだろうと思います。

それで、自分の感情は絶対に見せないようになったのだろうと思います。
とにかく、その自分の幼児期の感情の動きと、その時に自分が判断したことを
思い出すことが必要です。

そして、その幼児期に感じて判断したことはその時のこととして、それを今の大人の
自分の判断で矯正しないといけないですね。その判断が、小さな自分の世界の
判断であって、それは、父という人間を正しく、もっと大きな視点で見て客観的に
判断し直さないといけない、ということでしょう。

そうすれば、だんだんと大人の目で、幼児の自分の感情とは別のもっと大人の目で
その時の父を見て、許せるようにならないといけないのだろう、と思います。

つまり、自分が幼児の心だけで判断するのではなく、大人の心の目で判断できる
用になることが必要なのだ、ということです。

そうすれば、父がそうせざるを得なかった父の心のなかのからくり、父の中の
感情の動きも見えてきて、少しは父に共感できるようになるのかもしれません。

確かに、幼児的な心というのは、自分の側からしか物事が見えなくて、要は
幼児の心とは自己中心的なのかもしれません。

たしかに、父から怖い顔をして怒られた幼児の私の心としては、父を憎むように
なっても仕方なかったのだと思います。

しかし、父として見れば、父自身、幼児の私の心のなかまでわからなかったのでしょう。
多分、父自身の幼児の心が抑圧されていて、怒るという反応しかできなかった
のかもしれません。

ただ、私としてはやはり、そんな父を許せるとは思っていないようです。

だんだんと、これを書いているうちにそんな心の動きが出てきたようです。





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昨晩も幼児期に固まった感情が動いている感じでした [トラウマからの開放]

こんにちは

昨晩の眠っている間も、一昨晩に引き続き、幼児期に父親を恐れるあまりに
固まってしまっていた幼児の時の感情が少しずつ溶解しているような
かんじになっていました。

無意識に自分のありのままの感情を隠してしまうような
習慣付けになっていたので、それが恐怖のために固まって
しまっていたのが、だんだんととれてきている感じですが、
今も、体の左側で戦っているような感じです。

その更に左側に怖い顔の父親の怒っている顔があって
それを恐れている自分が内側にいて、その怒りに触れないように
自分を隠している感じです。

それで、その父親を完全に嫌がっていて避けたいと思っている
ようです。

そして父親に対してすべてその怒った顔が左にあるので、
それによってすべてが私に対して怒っているというように
先入観ができてしまってすべてが歪んで見えるようです。

だから、その起こった父親の顔が左側にあるのが
完全に取り除かれないと、自分に対する歪んだ見方、
つまりすべての人は私を責めている、というセルフイメージを
変えられないんだろうと思います。

そうやって、左側に怒った怖い顔の父親が住み着いている
限りは、私は自分を攻める声に苛まされるのだろう、
と思います。
そして、健全なセルフイメージを持って、自分は愛されるべき
存在だ、という実感が持てないものと思います。

でも、今そんな父親の顔が自分のひだりにあって常に
自分を責めている、というのが意識に上ってわかっただけでも
いいかな、と思います。

それは、自分の中に取り入れられてしまったイメージなので
自分ではないにもかかわらず、自分を攻める声になってしまって
私の中で自動生成されてしまっているようです。

それって、まるで自我の分裂ですよね。

これがひどくなってしまうと、自我が本当に分裂してしまって
「自分を責める声が聞こえる」というような、幻聴が聞こえる
病気、たとえば分裂病(今は、違う呼び名だったと思いますが)とか、
多重人格(これも今は違う呼び名だと思いますが)
になるのでしょう。多分。

ともかく、自我の病気であることには変わりなく、自我が崩壊して
しまうってことですね。

本当に恐ろしいことですが、その原因が親にあるというのは致命的
です。
ともかく、私は自分の左側に入り込んでしまっている幼児期の
怖い父の幻影と戦っている感じなので、その幻影を取り去って
自分を責める声に打ち勝つことが今の課題ですね。


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昨晩は眠れないし、体の左から何か自分が噴出 [トラウマからの開放]

こんにちは。

昨晩は、眠ろうとしたところまったく眠りにつくことができず、
うんうんと苦しんでいました。

そして、とりわけ、体の左側の下からこれまで押さえつけられていた
自分の感情が出ているような感じでいろんなこれまで出てこなかった
感情が出ていました。

ある一つのこれまで全く出てこなかった感情として私が驚いたのは、
私が父をものすごく憎んでいるという感情で、殺したいと思っている
ような感情が出てきたことです。

これには驚きましたが、それというのもこれまで私は父に対して
何の感情も出てこなかったからです。

にくいという感情さえも出てこなくてまったく関係ないというすごく変な
感じしか持っていなかったからです。
というか、何の感情も持っていなかったからです。
実の父親なのに何の感情もわいてこなかったのです。
ただ、幼児期にすごく怒られて、自分の感情が受け入れられず、
自分自身が受け入れられないので悲しいという自分を憐れむ感情は
あったものの、父に対しては何の関係もない、何の感情もなく
とにかく、関係ないというものしかなかったのです。

そこに、昨晩は初めて、父を殺したいという感情が出てきたのです。
殺したいくらい憎んでいる、憎たらしいという感情の最も強い
殺したい、という感情でした。

実は、この殺したいという感情は以前カウンセリングを受け入ていた
牧師に対してすごく何度も出てきていました。

それはやはり、私が実際には父親に対していただいていたものすごい
憎しみ、殺したいという感情が意識に浮上しないで無意識の中にずっと
眠っていたため、それが感情転移として出ていた、ということなのでしょうか。

自分としては父は最も避けるべき感情的に最も避けるべき存在だったのだという
感じはあります。
それは私が父を憎んでいて、掴みかかって殺したいくらいに憎んでいたから
その感情が出てきたら困るので抑圧して、むしろいい子になって取り繕おうと
していたからなのでしょうか。

自分の本当の自分が出てきて、本当の感情のままに行動したら、父からもっと
ひどい仕打ちを受けて乱暴されて殺されたら困るので、ひどい目にあわされたら
困るので、自分を殺していい子になっていた、ということなのかと思います。

だから、自分を殺していい子になっていた、というのは、父に気に入られたいから、
というよりも、父を恐れてひどい目にあわされたら困るという、恐怖が第一にあって、
その自分の存在を脅かされる相手としての父親を恐れて、自分の感情を
抑え込んで自分を殺していい子にしていたということだと思います。

それだけ、父親を恐れて自分のありのままの感情が出ると父に何をされるか
分からないという恐怖のために自分でない自分をずっと演じていた、ということが
わかります。

だから、それだけひどい父を憎んで殺したいという感情になっていたものだと
思います。
それが、やっと初めて出てきたのです。その感情は絶対に自分の意識に上って
来ないように抑圧していたものと思います。

だから、全ての感情が私の中で殺されていたのだろうと思います。
とりわけ父親に対するものが。

父親に対する感情はめちゃめちゃにされていたものと思います。

それだけ、父親のコントロール欲が強かったものだと思います。

父親自身が抑圧されていたのでしょうね。

ともかく、それが出てきて、それから私の中でずっと押さえつけていたありのままの
自由な自分の感情というものが少しずつ出てきているようでした。

しかし、ずっと押さえつけられていたので、体の左側のほうからどんどんすごい
勢いで押して出てきていて、その勢いがあまりに強くて、眠りにつくことが
できなかったのです。

そして、特にアメリカの大学に行っていたころとか、アメリカに住んでいた
ころの感じがよみがえってきたのです。
そのあと、すごく日本で抑圧されていたので、その自己矛盾に苦しんでいた
ところが、少し解放されて、本来の自分の気持ちが出てきているように感じました。

と同時に、これまで「とりあえず」という感じで生きていたこと、これは
本来の自分が生きているのではないが、とりあえず、今何とか生きている、
仮の自分で生きている、という留保の感じがあったのが、だんだんと
そういう仮の自分で生きていくのでなくて、本来の自分で生きていこうとするような
感じが出てきて、これまで仮死状態だった本来の自分が生き返ってきている
ような感じがしたのです。

でもともかく、左の肩のほうの筋肉がそれをずっと押さえつけていたので、
その筋肉のこわばりの下から本来の自分の感情とか自我が出てこようとして
すごいエネルギーが出ているので本当に苦しくて、眠られなかったのです。

そして、以前に読んだ「永遠の少年」とかの本の内容が浮かんできて、
まさに、私はやっぱりそこに書かれているままの状態だったのではないか、
と思ったのです。

また、ポール・トルニエという人の書いた「強い人と弱い人」という本が
なぜか頭に上ってくるのです。
なにか、そこに書かれていることにヒントがあるのかもしれないので、
読んでみたいと思います。


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昨晩はすごく変な夢を二つ見ました [夢日記]

こんにちは

昨晩は、夢の中でテレビのドラマを見ているという夢を見ました。
夢の中で、いろいろな人がドラマを繰り返しているのですが、

アメリカ人のような(少し黒人系が混じっているような)女性がテレビの
ドラマに出ていて、その人がけがをしているか、病気になっているのか
ともかく、大変な状況になっていて、そこに男の人とかもいて
助けようとしたり、あるいは力強く叩いたりして、助けようとしているのですが、
すぐには回復しないものの、突然その女性が起き上がって
トイレに行ったりする、というような感じのドラマをテレビで私が
見ている、というような感じの夢です。

そういう感じの二つのドラマを見たという夢をみました。

それは、二つの違う夢のようです。

何かあまりに変わった変な夢なので、ちょっと記憶に残っています。

でも、危険な状態の女性がともかく、自分のありのままを出して
トイレに駆け込んで、一命をとりとめるというような感じの夢です。

それは今の私の状況を表しているのかもしれませんが。。。

でもやはり目覚めのときには、左側の下のほうに自分が落ち込んでいて、
自分が弱くて無力で、まるで生きていく力がなくて、外の世界からの
圧迫に押しつぶされて、お前はダメだ、という烙印を押されて
とても自分の力で生きていくことはできない、という気持ちに押しつぶされ
ている感じになっていました。

最近毎日朝の目覚めのときにはそういう風に自分が生きていく力がない、
外の世界からの「お前はダメだ」という声に押しつぶされて本当に自分には
生きていく力もなければ能力もない、という風に感じていて、
本当に落ち込んでいるのです。

なので、しばらく床の中でその感情を味わって、いろいろな気持ちや思いが
めぐってそれから、しばらくして落ち着いて起き上がることができる、
という状態です。

本当に自分が小さくてダメで弱くて、この世界からの圧迫に耐えていかれない
という気持ちになるのです。

そういう気持ちが心の底にあるので、カーペンターズの歌の歌詞など、
本当に心に響くのではないかな、と思います。

でも、心の中に巣くっていたひねくれ心が取れたら、もっと頭がすっきりして
くるのではないかな、と思っています。


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内側にあった「ひねくれ」が意識に浮上しました [目覚めの気づき]

こんにちは

昨日もまた今日もそうなのですが、
特に昨日の目覚め、あるいはすでに一昨日の朝の目覚めのときに
浮上していたようにも思うのですが
(このブログに記録しようと思って
いて、できなかったので、はっきり覚えていないのですが)

ともかく、私が以前カウンセリングを受けていた牧師の教会に
一時期だけ行っていてそこで共同生活していた時に
初めて、私の中に「ひねくれ」の心の働きがあることが分かったのです。

それまで自分はとても従順で、物分かりが良いと思っていたのですが、
突如として、その教会でみんなが話し合っているときに、
自分の中に「反逆心」というか、「ひねくれ」の心が
浮上してきたのです。

それは、私の頭のなかとは全く関係なく、そういう気持ちが
そういう感情が湧き上がってきたのです。

それは、もうそのカウンセラー兼牧師と縁を切ってからは
意識にあまり浮上しなかったのですが、昨日の目覚めというか
一昨日の目覚めのときに一つの謎が解けたのです。

それは、現在私が新しく始めようとしているビジネスのことで
そこで教えられていることを素直にやろうとすることができなくなって
いる自分に最近気づいてきていて、なぜか素直にやることに抵抗が
起こって、反逆心みたいになって、自己流でやろうとしている
自分に気づいていたからなのです。

最初は素直にしていても途中から反逆心が起こって自己流で
やろうとしているのです。
それは、私のパターンかも知れないと思ったのです。
最初はうまくやっているが、途中からできなくなる、というパターンです。

それで、なぜそういう風に素直でなくなるのか、ということを考えていたの
ですが、それが一昨日の目覚めのときに、私の中の「ひねくれ」の
心が原因だとわかったのです。

そして、そのひねくれの心とは、幼児期に自分の自我が芽生えてほんとう
なら、2歳くらいの時に反抗期があってそこで自分の自我が芽生えて
全て親の言うことと反対のことをしたり言ったりして、そこで親を乗り越えて
自分の自我が芽生えて親から自立していくのですが、
私の場合は、その時の牧師兼カウンセラーが言っていたとおりに、
その時の第一反抗期がなかったので、自我が親を乗り越えていくという
所を通っていなかったことが原因だと考えられます。

やっとそれが分かってきたのです。

しかし、そのカウンセラーはそこをどうやって乗り越えさせたらいいのかを
知らなかったために、失敗したものと思われます。

ともかく、その反抗期を通っていなかったために自我が親を乗り越えて
自分を確立していなかったために、「ひねくれ」「反逆心」として、
自分の中にそれが隠れてくすぶったままになっていたものと思われます。

だから、本当は私が学んでいこうとする対象にどうしても付いていくことが
できなくなってしまっていて、途中で挫折するという結果になっていた
物と思われます。途中で反逆心、ひねくれがでてきて邪魔をしていたものと
おもわれます。

だから、そのことに気付いたので、その自分の中のひねくれ、反逆心
が取れていくように、そして、素直に信じて進んでいかれるように
なっていくことが必要なのだとわかってきたのです。

そのひねくれ、反逆心が自分の弱さになっていたものと思われます。

その弱さに負けない自分を作っていくことが必要なのだとわかって
きたのです。それは、急になれなくてもともかくそれを続けていれば
いいのだ、と分かってきたのです。

また、朝の目覚めのときにはすごい落ち込みになっていて、
身体の左側のほうがすごい底なし沼のように深くて落ち込んでいくのですが、
それも、幼児期に自分が見捨てられる体験を繰り返して
その時に恐怖に陥っていたものがそこに残っているものと思われます。

これまでは底を避けるようになっていたので、頭が働かなかった
物と思われます。

しかし、その深い底なし沼に入って行くことで自分の中に入って
行けるのではないかと感じています。
そこにはすごい恐怖感が漂っていて、すごく、左の肩の肩甲骨の
所とかも痛くなるし、いやな気持、自分が本当にダメで無力な感じが
でて死にそうな気持になるのですが、なんとかそれを感じることが
必要なのだと思っています。

感情を取り戻すためには全ての嫌な感情にも耐えて味わうことが
必要なの妥当と思うのです。

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