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今朝の目覚めは信じられないくらい身体全体がマヒしていました [トラウマからの開放]

おはようございます

昨晩も眠ろうとして寝床に入ったけれど、全く眠れず、再び起きだして本をしばらく読んで再び寝床に入ったら眠ることができました。

無意識が動いていて、内側でエネルギーが動いているようで、すごく眠っていたエネルギーが出てきて興奮して、そのために眠れなくなるようです。

そして今朝目覚めたら、体中がものすごく麻痺した感じになっていて、全く動かすことができないような感じになっていました。
そこには恐怖もあったのですが、おそらく、初期の赤ん坊のころの自分が泣いても泣いても母に来てもらえず、自分が見捨てられたという恐怖感がどっときて、それから身体中が死の恐怖に襲われてパニック状態になり、爬虫類脳に影響されて、体中の機能をマヒさせたのだと思います。

そのことは、昨日のブログにも書いた、「隠された児童虐待」という本に詳しく書いてあり、本当に私のことが書かれているような感じです。昨晩も眠れないときにこの本を読んだら、私の状況を言い当てているので、この本を読むと自分のことが認められているような気になり、落ち着くようです。

というのも、私は自分が親からそのような虐待ともいえるような心理的、感情的な攻撃やコントロールや愛されないつらさを味わわされ、人間として本来の欲求である自分を自己実現したいという欲求を持つこと自体を悪いことだと攻撃され、絶対に自分を認められないために、そのつらさを表現しようとすると、その自分の感情が傷ついてつらい、悲しい、という正直な傷ついた気持ちを表現することさえ攻撃されて、それは悪いことだ、と責められて、自分のつらさを認めて表現することさえできない、という状態だった、ということがいかにひどい仕打ちで、拷問のような、非人間的な責め具にあわされていたか、ということが分かってきたからです。

その私が乳幼児期に、また子供時代に、置かれていた親からの仕打ちがいかにひどいものであったか、私がいかに傷ついてしまっていたか、ということがますますわかってきたのです。自分で認識できないくらいにひどく傷ついていたのです。そして、傷ついているということを自分で否定しなければならなかった、親にそれを否定させられた、自分で自分の感情を否定するように仕向けられた、ということがいかにひどいことだったか、が分かってきたのです。

父からは本当にそれを強制されていたことが記憶に浮上しており、すごくそれに対する憤慨が出てきています。本当に父はひどい人だったのだ、ということ、ひどいことをされたのだ、ひどい被害にあったのだ、と言うことを本当に認めることが必要なのだ、と分かってきたのです。

本当に自分の本当の気持ちを掘り起こすことが大切であり、それを父親に合わせて否定させられて、自分で自分にうそを言うように習慣づけられてしまっていることが問題なのです。つまり、うそをつく癖をつけさせられたのです。自分で好んでうそをつくようになったのではなく、自分の本当の気持ちではない、逆の気持ちを表現させられたので、うそをつくようになったのです。
うそをつくという行為も、学習によって親からそうするように仕向けられたのです。
自分の気持ちに正直であると罰せられたからです。だから、うそをつくようになったのです。親を恐れて、親から罰せられるのを恐れて、自分の気持ちを偽るようにさせられたのです。
傷ついているのに、傷ついていないようなふりをさせられている間に、うそをつくのが当たり前になってしまったのです。

これは大きな問題であり、つまり、本物(オーセンティック)でなくなったのです。
さっき、ティールスワンさんのビデオでとても参考になったのですが、そのビデオで、共依存とは、オーセンティックでないことだ、とティールスワンさんが言っていたのです。
コークリエーション(共同で想像する)と、共依存の違いについて、説明してくれ、と言われたときに、ティールスワンさんは、それは、オーセンティック(自分の本心からの行為、本物)であるかどうか、の違いだ、と言っていました。

それは、すごく参考になりました。つまり、自分が傷ついて怒っているのに、怒っていないふりをしたりするのは共依存だということです。それは、良い子が身に着けた処世術なのです。
そして、良い子はオーセンティックではないのです。良い子は、いい人間関係を築くことができないのです。それは、自分の本当の気持ちを出さないから、うそをついているからです。

しかし、それは習慣になっているため、直すのがとてもむずかしく、しかも本当の自分を出したら親から攻撃され、怖い目にあわされたので、恐怖があるため、本当の自分を出せなくなっているからです。

だから、良い子は防衛機制なので、その防衛機制を破らないといけないので、なかなか変えるのは難しいのですが、私も良い子の壁を破ろうと思っているのです。

「隠された児童虐」の著者の鈴木健治さんは、別の「良い子の心の闇」という本も書かれていて、私は先に後者のほうを読んだのですが、どちらも幼少期の親から受けたトラウマのことを扱っていて、私にとってはとても参考になっています。


良い子の心の闇―「バカの壁」を越えたいと思っているあなたへ

良い子の心の闇―「バカの壁」を越えたいと思っているあなたへ

  • 作者: 鈴木 健治
  • 出版社/メーカー: 東京図書出版会
  • 発売日: 2011/01/15
  • メディア: 単行本




隠された児童虐待―PTSD・依存症の発症メカニズムと効果的なトラウマセラピー

隠された児童虐待―PTSD・依存症の発症メカニズムと効果的なトラウマセラピー

  • 作者: 鈴木 健治
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 単行本




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「隠された児童虐待」を読んでいます [トラウマからの開放]

こんにちは

このところ、誘導瞑想をしていると、再び親への怒りが出てきています。
幼児期の自分が自由を与えられず、親からの恐怖によって自分を出さないプログラムが作られてしまったことで、自分を表現できなかったことへの親への怒りだと思います。
あるいは、自分自身が自分を縛っているのですが、そうせざるを得なかった怒りが出ているのです。
それは、向き合うのがものすごく苦しくつらい怒りですが、でもやはり本来の自分が出て強くなるために必要なものだと思います。

あと、鈴木健治さんというトラウマセラーをしている方の本で、「隠された児童虐待」を読んでいて、私がずっと悩んで、自分しかこんな風な症状を持っている人はいないだろう、と思って、人知らず苦しんでいた症状が書いてあったので、驚きました。

それは、「(3)教育・躾・期待という名の虐待」の中の、「(六)感情を解放させない仕組み(感情抑圧プログラム)」のなかの、「②見下し」というものです。

私はなぜか子供のころからずっと現在に至るまで、父を見下していたのです。
それがなぜなのか原因はわかりませんでした。ただ、父には幼い時にものすごく怖い顔で怒られるばかりで、父の自己愛的な自己満足のための道具に自分が使われて、私の本当の気持ちとか自分の感情とかを絶対に父に受け入れられずむしろ、それを出すと怖い顔でにらみつけられて怒られるので、それが徹底的に身に染みて分かっていたために、本当に幼い時から父に対して本当の自分を完全に殺していい子になっていたのです。

そのため、生まれてこの方、本来の自分で父と接するということが全くなくて、私は本当の自分を隠してうわべだけで父と接していたのです。もはや本当の自分は出なくなっていたのです。
そして、その根底で父を完全に軽蔑して、見下していたのです。そして、父をまともな一人の人間としてみることができなくて、父にも感情があるのだ、と言うことさえも分からなくなり、父を人間として見られなくなったし、父に共感することも全くできなくなって、ただ父はお金を出すマシンみたいにしか見られなくなっていたのです。

そして、実際に私が父に愛情を表そうとしても父はいつもそれを無下に扱って、価値のないものとして扱われていたので、ますます私は傷ついて、父は完全に心のないハートのない、父親として失格の人間だ、と思っていたのです。

それで、全く父との間に関係があるとは思えなかったし、自分でそれを否定していたのです。
つまり、私の心は父に対して完全に冷え切って、石のように感情が閉ざされていたのです。

信じられないことです。
ともかく、この本では、そういう状態を「見下し」として一つの防衛機制の働きとして分類してあったのです。これは本当に驚きでした。

というのも、こんな父親を見下すなんて、私はどうしてそうなったのかわからず、そんな自分をものすごくずっと責めていたからです。そして、そういう自分はなんて高慢な人間だろう、と自分をけなしていたのです。いくら、父に拒絶されて、心が傷ついていたとしても、なぜ、見下すような心理状態になったのか、本当のところ自分でもわからなかったのです。

しかし、この本にはそういう「見下し」というのは、虐待されて心理的にコントロールされると起こる防衛機制だ、と書いてあるので、やはりそうだったのか、と納得したのです。本当に自分で自分の心理が分からない、というのは苦しいものなので、それが防衛機制だったということが分かっただけでも、私は自分を責めなくてもいいのだ、と分かったし、私だけの問題ではないのだ、と分かったことはとてもよかったと思います。

また、この前の日曜日に町営温泉で要注意の人からまた挑発されて怒りが出たことについては、やはりあの人は「エネルギー・バンパイア」だろうと思うのです。言い換えると、彼女は自己愛性障害者的な人だと思います。以前、その温泉で、別の女性が彼女に対してものすごく怒っているのに出くわしたことがあり、その時は彼女をあまり知らなかったので、どうしたことか、と理解できなかったのですが、彼女と何度か接するうちに、すぐに彼女の性質が分かって来て、彼女は最初はいい人のように見えるのですが、その、エネルギー・バンパイア的な性質がすぐに表れてきて、ターゲットにした人のエネルギーを容赦なく吸収し始めるので、人はだんだんと彼女にイライラさせられて、避けたくなってくるのだ、と納得できたのです。

私は今ターゲットにされているので、彼女は要注意の人なのです。
それで、ティールスワンさんのビデオで「エネルギー・バンパイア」にどう対抗するかというビデオがあり、見てみたのですが、結局は、ターゲットにされる自分にも問題があり、それは、自分の中に被害者意識のようなものがあると、ターゲットにされるのだ、と言うことでした。
それで、私はやはりまだ、幼児期から子供時代の親との関係の中で、自分が被害者であるというチャイルドの部分の思いが残っているのだろう、と思ったのです。

私はかなりその子供の部分に向き合って、子供の部分を受け入れてきたとは思うのですが、非常に根深いのでまだまだ、抑圧されて被害者意識を持っている子供の部分が残っているのだろう、と気づかされました。

なので、要注意人物も私のそういうまだ解放されていない部分を気づかせてくれるという点では役に立っているのだ、と思ったのです。というか、私がまだ成長する必要があることを気づかせるために近づいてきているのだ、と言うことが言えるのだろう、と思います。あまり、認めたくはないですが。


隠された児童虐待―PTSD・依存症の発症メカニズムと効果的なトラウマセラピー

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昨日は幼児期の親に受け入れてもらいたいけど、叶えられない苦しさが出ました [トラウマからの開放]

こんにちは

この前の土曜日と日曜日は何とか確定申告を終えるたのですが、いろいろ体験して大変でした。
というのは、土曜日に確定申告の書類を国税庁ホームページから入力してそれをプリントアウトして郵送で提出したのですが、その入力する段階で、分からないところがあったのですが、どうしても思うように入力できず、でも、それでいいんだろうと思って、それをそのまま印刷してすぐ近くのポストに投函してしまったのです。

でも、その投かんした後で、やはりおかしいと思って調べたら、やはり、あのまま出したのはまずかったことが分かり、正しい入力の仕方が分かったので、もう一度やり直して、それをプリントアウトして、先にポストに投函したものの中身を一部入れ替えるだけなので、その先にポストに投函した封筒を取り戻したくなったのです。

というのも、投かんしたのは土曜日の午後4時ごろで、ポストの回収は日曜日の朝まで来ないので、最初は回収に来るときに、出て行って返してもらえればいい、と思っていたのですが、ネットで調べるうち、もしかたらその場で返してもらえない可能性があるという疑いが出てきて、その場合、郵便局の配収場所まで行くよりも、日曜日の朝の回収の前に、ポストから何とか取り戻せないか、と思ったのです。

というのも、近所のポストはとても小さくて、もしかしたら取り出せるかもしれない、と思ったのです。それで、夜になって色々やってみて、長い菜箸で取り出そうとしたのですが、無理だったので箸の先にガムをくっつけて、それでガムにくっつけて引き上げられないか、という浅はかな考えでやってみようとしたら、橋の先をポストに中に入れたとたん、ガムがポロンとポストの中に落ちてしまったのです。

それから、真っ青になってしまい、最悪の事態を想像したりして、どうしたらいいか考えあぐねてその夜もおちおち眠れませんでした。また、本当に反省して、最悪な事態にならないように神様にお祈りしたのです。(最悪の事態とは、ガムが他人の手紙にくっついて汚してしまい、罰金、50万円とか、私はもはや世間に顔向けできなくなる、というものです)。

そうして、最善の事態になるようにイメージして(最善の事態は、ガムが私の封筒に落ちて、他の被害はない、そしてその場で封筒を返してもらえる、というものです)、それでも、どうなるかはわからないので、どういう結果になっても私はそれにお任せする、というお祈りです。

ともかく、次の朝、色々考えたすえ、車の中で郵便配達の人が来るのを待って、来たところで、出て行って、ちょうどポストが開かれたところに行くことができて、それを見ると、ポストの中には私の封筒と、あと一枚白い普通の封筒が入っていただけで、ガムは私の封筒の隅にぽトンと落ちていたのです。
それで、私は、すぐにそのガムを取って捨て、それからその封筒を手にして、この封筒は私が入れたもので、返してほしいのです、というと、どうぞ、と言われて返してもらえたのです。

というのも、ここは本当に田舎で郵便屋さんとも顔なじみで、郵便ポストを使う人もこの近所の人数名なので、信頼関係があるからだと思います。
そして、ガムのことでも本当に悩んで同言い訳すればいいか考えていたのですが、言い訳もせずにすんだし、すべて私の心配は杞憂に終わって、本当にほっとしたのです。

ともかく、そのあと、日曜日は中身を入れ替えてから大きな郵便局のポストに再度投かんしてほっとしたのでした。そして、そのあと、町の温泉に行ったのですが、そこでいい気持になって他の人とも和やかに話したりしていたのですが、そのあと、前にもこのブログに書いた、要注意の人が来て、とても久しぶりだったので私も油断して話をしてしまい、そうしたらやはりその人にものすごく嫌な気分にさせられてしまいました。

ともかく、それから昨日は、時間があったので誘導瞑想をすることができ、その最中に、私が幼児期に何度も感じていた、親に受け入れてもらいたいけど受け入れてもらえいというすごいつらい気持ちになっていた感情がそのまま出てきたのです。

その感情は本当にとてもつらい感情で、それをずっと抑圧していたものと思われます。
そのあと、寝床についてから、今度は再びまた眠れなくなってしまったのです。
そして、ものすごくその抑圧されていた感情といか、麻痺していた感情が生き返って来ていたのだと思うのですが、そのために無意識が動いていて、感情が動いていて、全く眠れず、いろいろな思いが巡っていたのです。それで、また眠れないので3時ごろに起きだして、本を読んで5時に再び寝て、7時過ぎに起きたので、今日は寝不足です。

土曜日の夜から寝不足気味なのですが、それでも無意識が動くと興奮して眠られなくなるようです。

しかし、昨日そして昨晩にかけて、そのような変化があって、これまで麻痺していた自分の核心に近いところの自分が生き返りつつあるせいか、何となく今日の朝起きてみると、ちょっとこれまでとは違う感じがしました。まだ、その途上ですが、自分が少しずつ生き返っているのではないかと思います。。




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自分は完全に拒絶されているというセルフイメージがあったことが判明 [トラウマからの開放]

おはようございます!

昨日は午前中は少し仕事をし、午後から町営温泉に行き、それから買い物をして夕方帰ってきました。

買い物に行ったときにも少し気づいたのですが、だんだんとからくりが分かってきたのです。

つまり、私の根本的な人格の核の部分で、私は親から完全に拒絶されたと思っているのです。
そして、自分の目でその人格の中核の部分が見えないのです。隠れていて、まるで雲がかかっているのか、すすのような真っ黒なものがかかっていて、中にいる自分が見えないのです。

そしてそのすすのような黒いものの正体は、私を拒絶している親です。そして、責めている親で、私を絶えず攻撃しているのです。

そして、その自分は完全に自分は拒絶されていて、この世の中に出てくることはできない、と思っているのです。自分が拒絶された体験があまりに大きい(トラウマになっている)ので、自分というものに自信がなく、自分が出て行っても失敗するだけだし、受け入れてもらうことはない、と思っているのです。

だから、本当に失敗するし、自分でそれが成功するとは感じられないので、失敗するように持って行ってしまうのです。それは、自分が自分を信じられないからなのです。しかし、それは親から拒絶されたことによってそういう体験しか与えられなかったために、そう思い込んでいるだけなのです。
別の体験が与えられれば、そうはならなかったはずなのです。
だから、私が根本的にダメなわけではなくて、そういう風に癖をつけられているだけなのです。
だから、さらに本来の自分にエネルギーを与えて、自分が強くなっていって、波動が変わってくれば自分に自信がつくものと思われます。

今の波動は、自分は無力だという波動だっただと思います。
それは、親からそういう風に仕向けられてそういう波動が親から伝わって来ていたものと思われます。
だから、その波動を変えて、自分には周りを変える力があるのだ、という波動に変わるといいのだと思います。

ともかく、自分の核の所で自分で自分を拒絶し、本当の自分が出てこないように隠しているので、本当の自分を受け入れられないのです。そしてそこには親を受け入れられない、という部分もあるのです。

親を受け入れられないし、自分の育った環境を受け入れられないので、人にもそれを見られたくないのです。もし、そんなみじめな、親から拒絶された自分、そして親とうまくいかなかった自分、そして、火度扱いを受けた自分の育った環境を見られたら、絶対に人から白い目で見られるし、軽蔑されて、人は自分から離れて行くだろう、見捨てられるだろう、と思っているのです。

そして、それは絶対に避けなければならない、と思っているのです。だから、自分の本当の子供時代の親から拒絶されてつらかった自分ということとか、自分が欲しいものも買ってもらえず、自分の望みは拒否されて、親からひどい目にあわされていた自分、というのは絶対に認めたり、人に離したりできなかったのです。そんな弱い自分を出すことはできなかったのです。

まさに、親に自分の弱さを認められなかったために、自分の弱さ(本音)を絶対にそれは人から認められるものではないし、自分でも認めてはいけないもの、とふたをして、絶対に出せなくなっていたものと思われます。

それが、いろいろな問題を生んでいたのです。

ティールスワンさんの動画で、昨日公開されていた、シンクロナイゼーション・ワークショップのクリップで、質問者が、精神科医にボーダーラインだと診断されたが、前の医者は、統合失調症だといったが、人格障害なのだろうか、みたいな質問をしていたのですが、ティールスワンさんのは、診断というのは、意味がなくて、根本的には、全て適応(adaptation)なのだ、そして、その原因は、親から自分というもの(感情や意志やありのままの自分)をinvalidate(本物と認めないこと)されたからだ、と言っていましたが、まさに、今私がそれに気づいているのです。

これまで頭では理解していましたが、本当に無意識から、それが浮上してきて本当の核の所が少しずつ出てきてそれが明らかになっているのです。記憶は残っているようです。身体の細胞が覚えているようです。




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今朝の目覚めの時、身体が再びマヒ状態で目覚めました [トラウマからの開放]

おはようございます!

今朝の目覚めは、再び身体が恐怖のためか何か、完全に麻痺した状態、というか、恐怖のため?硬直した状態で目覚めました。

恐らくまた更にその下にある自分というもの(の感情?)が出てこようとしているのだと思います。
そして、今朝この身体がマヒした状態で目覚めたときに感じたことは、これはおそらく、赤ん坊のころに自分の体をマヒさせたのだろう、と思い当たりました。
恐らく、泣いても泣いても母が来てくれず、恐らく赤ん坊の感情で、自分が死の危険にさらされていることを感じて、恐怖になり、そのまま体を硬直させてサバイバル態勢に入ったものと思われます。

これは、ポージス博士が言っていることでもありますが、その時、爬虫類脳が起動して、その爬虫類脳の働きに移行していったものと思われます。

人間の脳は本当に、コンピューターに例えられると思います。

ともかく、泣いても泣いても誰にも来てもらえない、と言うことは赤ん坊にとっては死に直結する一大事なのです。それで、何度もそういうことが重なるたびに死の恐怖に直面して、多分、脳の扁桃核の部分が起動して、身体の働きをマヒさせたものと思われます。そして、最低限のエネルギーで生きて行くように爬虫類脳が働いて、身体的な欲求というものを感じなくなったものと思われます。

ともかく、エネルギーを節約するために、生きて行くための最低限のエネルギー室手無を働かせるために、その他の領域のエネルギーをシャットダウンして、生き残ろうとしたものと思われます。
つまり、パソコンで言うと、スリープモードに切り替わったのだと思います。
しかし、いったんスリープモードに切り替わったものは、それは無意識に埋もれているので再びそこに行かないと起こされないものと思われます

ともかく、今朝、気づいたのは、やはり私は赤ん坊の時に泣いても泣いても母に来てもらえず、身体と頭を切り離したのだと思います。これが、人格の乖離の原因になるものと思われます。

この辺のことは、ティールスワンさんの、「スピリチュアルなグルに対するホイッスルブローイング(注意喚起)!whistle blowing about spiritual guru"のビデオで言っていたことが参考になりました。

それで、その赤ん坊のときに私は自分の体と脳の機能の多くをマヒさせてしまったものと思われます。と同時に、読んでも来てくれない母との間に親密関係を築くことができず、母に信頼を持つことができず、全く母に自分の気持ちや感情というものを受け止めてもらう体験がなかったのだと思います。
それに加えて父から厳しくされたことでますます自分に自信がなくなって、それでも親に何とか受け入れられるために、いい子を演じていたものと思われます。

ともかく、その赤ん坊の時に麻痺させてしまった自分というのが内側にいるのだと思います。それが、一度に出てくるのではなく、少しずつ出てきているのだと思いますが、麻痺している部分が大きいので、時間がかかっているのだと思います。

これはもう、死の恐怖に直面して、神経がそのようになってしまったのだと思います。
この辺で、ポージス博士の言っていることがもっと理解できるようになるのではないか、と思います。
絶対に、人間の脳とか、心臓とか、身体とかは、電気であり、電気信号であり、波動であり、ホルモンであり、化学であり、細胞であり、生物であり、そういう者によって動いているのだと言うことがだんだんと実感として感じられるようになってきました。

これまで、本当に体をマヒさせ、脳をマヒさせて、最低限のエネルギーで生きられるようにサバイバル状態になっていたものと思われます。

だから、スリープ状態だったのです。
パソコンのスリープモードに例えられる状態だったのだと思います。











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赤ん坊~子供の頃、親の胸で泣いたことがなかったことが判明 [トラウマからの開放]

こんばんは、
というべきか、今は夜中の3時41分なので、おはようございますというには早すぎる気がしますが。
ともかく、寝床についたものの、またまた眠られないので、起きてきました。
すごく、無意識が動いているようで、下から感情というかエネルギーが動いて出てきているようで、全く眠れませんので、色々と気づいていることを書くことにました。

*************

ともかく、昨日は確定申告の準備を始めたのですが、午後に散歩に出たら、なんだかまた、胸の中が苦しくなり、幼児期の悲しい気持ちが湧き上がってきているような感じでしたので、また、泣きたい気持ちが出てきているのだ、と思いました。

そして、そのあと、誘導瞑想をしていたら、ものすごく、毒っぽい恥の感情が塊のようになって出てきて耐え難い感じでした。この、toxic shame (毒になる恥)の感情は、ここ最近、瞑想をしているとすごく出てくるのです。恐怖に混じっているような恥です。
恐らく、父から自分の感情を拒否されたことが、恥になって無意識に埋もれたものと思われます。それで、自分のバルナラブル(弱い)感情を出すことは恥だと感じるようになってしまい、その恥の感情のために自分をありのままに出すことができなくなっていたものと思われます。

その埋もれていたすごい恥の感情が出てきているということは、もう少しでその下にあるバルナラブルな本来のありのままの弱い感情が出てこようとしているのかもしれない、と思い、恥の感情にともかく耐えてみようと思いました。

そして、特にこの毒になる恥の感情に対処するためのリサさんの誘導瞑想があったのでそれを試してみました。そうしたら、またまた、子供時代の特に父から怒られて攻撃され責められて、母からも無視されてつらかった記憶がよみがえり、さらに、その前のもっと小さかったころに飼っていた子犬のシロが車にひかれて死んでしまったことを思い出し、私たちがシロを川に泳ぎに行くときに、自転車の後をついてくるようにして連れて行った事が原因と思って、またまた悲しくなり、本当にかわいそうなことをしてしまったことがつらくて、またまた泣いていました。

そして、その幼かったころに親からつらい気持ちを無視されて本当につらく感じていたこと、また子犬が死んだ時のつらかったこと、それらを思い出し、何が欠けていたかというと、本当につらいという気持ちを親に受け取ってもらって、慰めてもらえなかったことだ、と分かりました。

また、子犬のシロが車にひかれて死んでしまったことは、本当にトラウマになっているようですが、いまだに悲しさがこみあげてくるということは、本当に悲しみを出し切って、心の整理ができていなかった、と言うことだと思います。そして、その子供の頃のその時のままの感情が出てくるということは、その子供の時の感情を出し切って、慰められていなかった、と言うことだと思います。

また、その子犬のシロがなくなったことは、私の大事なバラを母に勝手にめちゃめちゃに切られてバラの命を勝手に奪われてしまったことにも共通して、また、アメリカの大学時代にはボーイフレンドを私が良くしてあげていた友から奪われたこと、などなどと重なって、私の人生のテーマのように感じたのです。

つまり、子犬のシロの可愛らしさやその命が私から奪われたことは、私にとって大事なものは奪われる、という思いであり、それと同時に私が本当に大事に思い、求めていた親に愛されたい、という思いも求めても、求めても、決して満たされなかったのだ、ということで、そこに私の求めるものは、一時得たと思っても結局奪われていくのだ、というような思いです。

そして、親に愛されなかったことが本当に悲しくてつらかったのだ、ということが改めて感じられて、ともかく、悲しさに任せて泣いていたのです。

そして、分かったのは、子供の頃のそういうつらくて悲しい時、本当だったら、親の所に走って行って、その胸の中に飛び込んで、その腕に抱かれて泣きたいのが本当ではないでしょうか。
そして、つらくてたまらないときはその親の胸をこぶしでたたいて、つらい、、、と訴えるのではないでしょうか。

その自分のつらさをぶつけることができるのは、親のはずだったのです。
それが、本当の親子関係だったはずです。

ところが、私は乳幼児期にも子供時代にも今に至るまで親の胸で泣いたことがないのだ、と言うことに気づいて、それがやはり、普通ではないことに気づいたのです。
親の所に行って、泣いて、抱いてもらおうなんて考えも及ばなかったのです。拒絶されることは分かっているので、絶対にそんな気持ちが起こる前に自分で一人で耐えるのが当たり前、と思っていたのです。

ところが、子供の頃は、親に私のつらさを気づいて優しい言葉の一つもかけてほしい、と思っていたようです。それを思い出したのです。

ともかく、本当の気持ちは、親に自分のつらい気持ちを受け止めてほしかったし、自分はつらさを親にぶつけて受け止めてほしかったのだ、と分かったのです。

それは、その時は親はそれを受け止める能力がなかったのでしょうが、今、ここで私がその気持ちを出し切って、自分の本当の気持ちに気づいて、自分でそれを受け止めて行くことができるのだと思います。

その時の子どものままの気持ちを大人である私が自分で受け止めることができるのです、今だったら。

多分、子犬のシロのことも、子供の時の私の気持ちを、今の大人の私の自分が慰めてあげることが必要なのかもしれません。きっと、子供の頃のつらい気持ちを親が全然理解せず、全く受け止めてもらえなかったことが、そのつらい気持ち、悲しい気持ちを自分の中に閉じ込めて感じないようになって、無意識に埋もれてしまったので、それを今の大人の私だったら、受け止めることができるのだと思います。

思うに、私の親は、そういう私たち子どものありのままの感情を、特に悲しいとかつらいという気持ちを全く受け止めず、無視して冷たい態度をとっていたのだと思います。
だから、うちの家族の中でつらい気持ちをOKな感情として受け止めることができず、つらいとか悲しいという感情は、OKじゃない感情として抑圧されてきたのだと思います。

でも、本来、感情にはOKな感情とか、OKじゃない感情はないはずです。
全ての感情をOKなものとして受け入れることが必要なのだ、ということなのです。

感情は人の核心から出てくるものだから、最もその人自身のものなのです。
だから、それを否定するということはその人自身を否定することになるのです。
だから、うちの家族は、そういう弱い感情、バルナラブルな感情をOKじゃないと思い込んで抑圧しているのだと思います。それが問題なのだ。

全ての感情は、ありのままに受け止めることが必要なのだ、と分かってきました。


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自分の中のエネルギーがシフトしているかも・・? [トラウマからの開放]

おはようございます!

今も苦しいですが、何となく、自分の中のエネルギーがシフトしているかも、という感じがしています。

それは、左側の本来の自分の感情が出てきているのに従って、エネルギーがシフトしているかも、という感じで、閉じていたエネルギーの流れが動いているかも、という感じで、閉じていたチャクラが開かれているかも、という感じで、やっとエネルギーが死んでいたのが動き出しているかも、という感じです。

全く自由が束縛されてがんじがらめで動けなかったところから、少し自由が出てきたかも、という感じです。

全てはエネルギーなのだ、というのが分かってきているかもしれません。

本当に私は根が深かったので、今もまだ根っこが抜けきったわけではないですが、でも、少しはそこにシフトが進んでいるかもしれません。

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弱さを受け入れられるようになってきているのかもしれない、それが親密さなのかも [トラウマからの開放]

こんばんは

今日も一日色々と考えさせられる一日でした。
そういえば、昨晩、あまり眠られなかったので、ちょっとぼーっとしていたかもしれませんが、何となく頭の中がぐるぐるしているというか、もしかしたら左側の肩く閉じていたハートチャクラ[ハート]が開かれてきているのかもしれません。

そして、ちょうど、さっき、ティールスワンさんの新着ビデオがあったので聞いてみたら、まさに今の私にぴったりのメッセージのようです。

それは、私がこれまで自分で殻の中に閉じ込めていて、自分でさえもその中に入ることができないし、絶対に誰にもその部分を出せなかったのですが、それが、まさに、弱い自分の部分だったのです。

前回のこのブログにも書いたように、父親から幼児期に自分のありのままの悲しいとかつらいという気持ちを完全に封じ込めるように仕向けられて型にはめようとする父から、そういう、本当の自分なのですが、ありのままの弱い自分を徹底的にたたかれて、お前はダメだ、と怒られていたために、そういう弱い自分を出すことを恥と感じるようになり、恐れて絶対に自分でもその自分の感情に触れることができなくなっていたのです。そして、自分のそういうありのままの弱さを認めることができなくなっていたのです。そして、つらい、悲しい、と言うことを認めることが全くできなくなっていたのです。

その弱い部分の自分、というのが、vulnerableバルナラブルという英語であらわされる部分なのだ、と初めて分かったのです。私は、バルナラブルになれなかったのです。バルナラブルは日本語では、脆弱なという翻訳になっていますが、自分の弱さ、と言うことだと思います。そして、ありのままの本当の自分、という意味です。

それがやっと私の中にあることが分かって来て、というか、自分でそれの部分に触れられるように初めてなってきているように感じます。しかし、それはとてもつらいことです。そして、これまでその部分を抑え込んできているために、それは体で抑え込んでいるので、それが取れてきているということはこれまでの体の筋肉のバランスが崩れているので本当に身体がつらいのです。

多分、これまで殻をかぶって、身体からそういう弱い感情が出て行かないようにしていたので、エネルギーが抑え込まれていて、身体の筋肉を総動員して身体を固くしていたのだと思います。
なので、そのバランスが壊れて、身体がぐにゃぐにゃになってきている感じで全く力が入らなくなっている感じです。

ある意味それは、身体の固いのが取れてきて柔らかくなっている、と言うことなのかもしれませんが。
それでも、これまでの固めてバランスを取っていたのが取れているので、すごく体中が四方八方に引っ張られているような感じです。

ともかく、抑え込まれていたのが出ているのだろうと思いますが、何とかやっていくしかないと思います。

あと、バルナラブルな自分が出ることが、親密な人間関係を築く上では必須なのだ、とティールスワンさんも前にビデオで言っていましたし、心理学者もみんなそう言っています。そして、親密な人間関係はやはり、幼児期の親との関係で、そういう幼児期のありのままの、つらい、悲しい、淋しい、という弱い(バルナラブルな)感情を親に受け止めてもらって初めて体験して、自分の弱さをありのままに感じて受け入れられる自分ができるのだということが分かってきました。

私にはそれがなく、特に父からそういう風に、自分の弱い感情を完全に拒絶され、否定されたために決して自分のありのままの弱さとか、ありのままの感情を受け入れられない、そして、自分でそれを否定居することがよいこであり、そういうよいこが父に受け入れられ、愛されるのだ、という全く自然とは逆のことを仕込まれてしまい、自分で自分の弱さを隠して、徹底的にその弱い自分をたたき殺すようになってしまい、自分で自分を傷つけるパターンができてしまったものと思われます。

そうです、自分で自分を傷つけるパターンを父に仕込まれてしまったのです。
しかし、それは本当の愛ではありませんね。父は私にひどいことをしたのです。
それを本当に認めるしかないのだと思います。

そして、ともかく、自分で自分を傷つけるパターンをやめないといけないのです。
自分で自分を傷つけるパターンになっていたことに、まず気づくことが必要だったのだと思います。
そして、自分の弱さを愛していかないといけないのだと思います。
逆のことをしないといけなかったのです。自分のありのままの、つらい、悲しい、淋しい、という感情をありのままに感じて、そのまま出せればいいのです。それは悪いものではなく、愛するべきものなのだ、という風に自分を受け入れるようになっていけばいいのです。

自分の弱さは愛すべきものなのだ、という風に。


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幼児期の自然な悲しい、悔しいなどの感情が父に全く出せなかったことが判明 [トラウマからの開放]

おはようございます!

昨晩はこのブログに書いたし、そのまま寝床に入れば眠れるはずだったのですが、結局全然眠れず、夜中にもうあきらめて起きていることにしました。それで、結局、4時30分~5時の間くらいまで起きていたように思います。眠れない間、寝床の中にいる間から、今朝の目覚めまですごくやはり、幼児期の押さえつけていた悲しい感情や、つらい感情が結局出せなかったものが出てきているようで、それで自分がすごく動揺して、無意識や閉じていた感情が動いているので眠れなかったようです。

そして、その間にも、悲しさがすごくこみあげてきて知らないうちに泣いたりしていました。
そのつらさの原因はやはり、父親が私の泣くのを絶対に許さなかったことにあるようで、泣こうとすると父の怒った顔が出てくるし、父の怒った顔を思い出すと自分のつらい気持ちを、つらいと言うことさえも認められず、怒られて我慢させられたことが記憶に浮上してますますつらくなり、泣きたくなるのです。

それで、本当に私がこんなに感情を抑え込むようになったのは、幼児期の素直なつらい、という感情、悲しい、という感情、それらのマイナスな感情を、父親は全く受け入れることができず、怒ってその感情を私に無理やり抑え込むように仕向けたのだと言うことが、やっとはっきり感情レベルで分かって来て、その時の本当につらい感情を、つらいと言うことさえもできず、出すことができず、本当に苦しい目に合わせられたことが分かってきたのです。

ともかく、つらい、と言うことさえできない、と言うことは拷問です。
父親は、私が幼児期に我慢強かった、と自慢そうに言っていましたが、そのために私がどんなにひどい犠牲を負ったか、その後の人生でどんなひどい目にあうことになったか、全くわからなかったのです。

私は全く自分を受け入れられない人になってしまったのです。
自分の感情が分からなくなってしまい、自分とほかの人との間に起こった亀裂は、すべて自分のせいだと思い込むようになり、人間関係で本当に苦労するし、脳のほうも、感情レベルでの全く発達が止まってしまい、原始人のようになってしまったのです。トラウマを発症し、父親に対して、ものすごく構えるようになったのが分かってきたのです。

そうです、この、構え、という言葉もどこかで精神科医が本に書いていた時に使っていた言葉です。
その言葉が実際に私の中から出てきたのです。つまり、私は父に対してものすごい構えを持つようになったのだ、ということが昨晩分かったのです。

それは、父に怒られることに対して構えているのです。そして、怒られないように、怒られる前に構えていつ、こぶしが降り下りてくるかもしれないので、ずっと常に構えるようになってしまったのです。

それで、脳が、その構えることに全力を使って、本来の自分を抑え込んでいたので、感情の部分で生きることができず、学習するということができなかったのです。それは、脳の扁桃核という部分の働きだと思います。ずっと、安心することができなかったのです。

そして、普通の子どもが体験することが体験できなかったのです。
そして、普通に自然な感情に任せるということができないために、ずっとそれをこらえていたために、もうそのこらえないで、自然な感情に任せるということが怖くてできなくなっていたのです。

つまり、普通の子供だったら、しかも乳幼児期だったら、悲しければなくし、つらければつらいと言ってぐずるし、ともかく、つらい気持ちが出てきたら、そのままありのままで、自分の保護者の所にかけて行くはずです。そして、そのつらい気持ちを受け止めてもらって、それで落ち着いて安心してエネルギーを再び得るはずです。

それが、私は乳幼児期から、つらい気持ちが湧き上がってきて、泣きたいとかとにかくつらいと言うことを表現しようとすると、父が怖い顔で起こったわけです。そしたら、そのつらいのに加えて怒られるので、私はつらいという気持ちは、出してはいけないものだ、と自分に怒って止めざるを得なかったのです。つらい気持ちを裁くようになってしまったのです。

つらいのに加えて、それを怒られていたのです。それが分かって来て、それがどんなにひどいことだったのか、分かってきたのです。父の仕打ちがどんなに私の自然な感情を踏みにじる残虐な行為だったのか、が分かってきたのです。
父も自分はいい子だった、と言っていたので、自分もそうされたのかもしれませんが、ともかく私の子供時代の父はひどかったのです。

それで、私は自分がつらいと思うことは、自分の弱さであって、自分の中にあってはならないものなのだ、とそういう悲しい感情とかつらい感情を完全に自己否定するように仕向けられてしまったようです。それで、そういう弱い感情が自己疎外されてしまって、無意識に埋もれてしまったようです。
でも、その埋もれた感情の中には、すごい父への怒りがこもっていたのだと思います。

と同時にものすごい自分の中に葛藤が生まれたのです。そして、自分で自分を縛り付けて、がんじがらめになっていたのです。

本当にひどい事妥当ことが分かってきました。ひどい父親だったのです。私の人生がもうその初期の段階でめちゃめちゃに狂わされたのです。それがやっとわかってきたのです。

そして、乳幼児期の段階で父の拒否によって埋もれていた、つらい、悲しい、という感情が、今やっと無意識の深い中から浮上してきているようです。死んでいたのがよみがえっているような感じです。

今その過程なので、少しずつしか進まないようですが、でも、誘導瞑想をすれば、少しずつ楽になるようにも感じます。この過程は本当につらいですが、出せなかったものが出るのはよいことです。



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幼児のような悲しい気持ち湧き上がっています [トラウマからの開放]

こんばんは

今日は、本当は少し離れた別の温泉に行きたかったのですが、仕事をしていたら遅くなったので、夕方から町営の温泉へ行きました。
しかし、行く途中で車を運転していたら、またものすごく幼児期の悲しかった気持ちのようなものが湧き上がって来て泣きたいような気持になってきました。
これは、本当に、乳幼児期に親から泣くと怒られるのでいい子になって自分を殺して我慢して泣かずに頑張っていたときに抑圧してしまった悲しい幼児期の感情が、蓋が取れて出てきている感じです。
それは、ここ一年くらいは時々出てくるような悲しい幼児期の泣きたい気持ちなのですが、この前もそうだったのですが、今日はもっとひどくなっているようです。

その悲しい気持ちがやっと固く閉じていたものが緩んできて泣きたい気持ちが自然と湧き上がってきているようです。やっと無意識に硬く閉じこめて出られなくなっていた自分の子ども時の感情が出ているのかもしれません。それは、悲しみを押し殺していたので、今はその悲しみが出てしまわないといけないのかもしれません。

悲しみを我慢して押し殺していたから素直になれなかったのだと思います。
そして、自分の感情を殺して本当の自分の気持ちにうそをついていたので、本当の自分の気持ちが分からなくなって、自分の気持ちを言葉にすることができなかったのだと思います。

そして、ちょっと図書館によってから町営の温泉に行っていたら色々と気づくことができました。
そして、温泉でも悲しい気持ちがこみあげてきていました。幼児期に本当は自分の気持ちを受け止めてほしかったのに、受け止めてもらえなかったことが改めて分かって悲しくなったのです。

しかし、また、これまでと変わってきたことにも気づいたのです。
これまでは、父に怒られていた記憶が頭の中から出てきていたのです。父の怒った顔と怒った声とその怒った感情は、今の私の頭のみぎがわのほうにいつもあったのです。
それが、今日、温泉で感じていたのは、今はその私の悲しい気持ちがハートの中にあって、父に怒られている感じも、ハートの所にあるのです。

今は、悲しい気持ちがハートにあるのが分かるのです。
それで、もしかしたら私のハートチャクラが開いてきているのかな、と感じたのです。
おそらく、これまでは頭で身体を支配しようとしていて、悲しい気持ちはたぶん体から出てくるエネルギーなのですが、そのエネルギーが出てこようとするのを頭で(父に怒られるから、怒った父を頭で取り入れて)からだから感情のエネルギーが出ようとするのを止めていたのだと思います。

だから、頭で何もかもコントロールしようとしていたのでしょう。だから、頭の所に父親の怒った顔と声があったのだろうな、と思います。
それが、今はもう、身体から感情のエネルギーが出ることができるようになってきたのかな、と思います。
実は、昨晩だったか、その前の晩だったか、多分、昨日の目覚めの時だったかに、また母にすごい怒りが出ていたのです。バラを切られたことが直接のトリガーになっていて、今もものすごく悲しい気持ちが出てくるのです。そしてそれと同時にものすごい母への殺意に満ちたようなすごい怒りが出ていたのです。そして、その時は、布団の中で横になっていたのですが、怒りが身体の左の脇腹のあたりに源があって、そこから体中に向かって怒りのエネルギーが湧き上がっていたのです。本当にそこから体中に向かって怒りのエネルギーが発散していたのです。

今も、母に対するすごい殺意のような怒りが出てくるのですが、それだけ自分の存在そのものというか、を否定された怒りというのはすごいのでしょうね。生きようとする意志、自分という個人を否定されたらすごい怒りになるようです。

そして、その時は本当に怒りの感情というものが、身体全体に向かって出て行くものなのだ、というのを感じたのです。そして、その根っこが体の左の脇腹のあたりの中にある、というのを感じたのです。

ともかく、今、私の体の左の肩から胸のあたりにかけてすごい塊になっていた恐らく乳幼児期の抑圧された悲しみや怒りというものがやっと蓋が空いて出てきているのかもしれません。

それは本当にひどい悲しみとつらさと痛みと怒りと、つらくてたまらない感じです。
それだけ、自分が否定されていたのだと思います。
本当に信じられないくらい、つらいものです。




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