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父との関係がなく、本当に落ち込んでいたようです [トラウマからの開放]

こんばんは

先ほども誘導瞑想をして、そのまま寝込んでいて目が覚めたのですが、今度は、恐れがまた出ていたのですが、それに耐えているとだんだんと、父親との関係ができず、つまり父は私に起こることしかしなかったので、そして私は決して甘えて行くことを許されなかったので、父との関係と言えば、怒られることしかなかったので、そのことで本当に落ち込んでいたのだ、というのがだんだんと分かってきたのです。

そのものすごい落ち込みの感じが出てkているからです。
なぜなら、父から怒られるということは、そして父との関係がなくなれば、私は生きて行かれなくなると思っているからです(幼児期の感情)。

それで、自分を変えて、父に怒られないようにして父をコントロールしていこうtと思ったらしいです。

自分を変えることによって(というか父の前で本当の自分を出さない、父の前で本当の自分を自分で罰することで)父に気に入られるように、父を自分が変えるしかない、と思っていたようです。

そして、自分を罰することで父に気に入られようとしていたのです。
なぜなら、父は私を怒って私を責めているので、自分で自分を責めて罰すれば、父から気に入られるだろう、と思ったのです。

私を罰する父に罰される前に、自分を罰してそれを父に見せることで父に自分が良い子であることを証明しようとしていたようです。自分を罰することが父に自分気に入られる方法だと思っていたようです。それが私が父に自分が良い子だと証明することだ、と思っていたようです。

それはもう、自虐的というか、ものすごい投げ槍の態度のようです。
そして、父に、これでもか、これでもか、と自分を罰して見せているようです。
それが、父への愛情表現になってしまったらしいです。

素直に甘えて行くことができなかったためにそのようなゆがんだ態度が身についてしまっていたようです。それが、大人になっても出ていたのです。

しかし、その根底には、父から怒られ他恐怖とともに、ものすごい父との関係が切れるという淋しさのこもった落ち込みの感情があり、それを感じてしまうと、父との関係が切れたという感じになり、そのまま父との関係が切れたら私は生きて行かれない、父に気に入られないと生きて行かれない、という思いがあったようです。

だから、必死でその淋しさを感じないために、自分が自分を罰して父との関係を何とか作ろうとしていたようです。

その幼い子供にとって父とのかけが切れるというか、父に気に入られられないということは生きて行かれないほどの重大事だったので、何とか父を自分の力で動かそうとしていたようです。

それだけ、父に気に入られないと生きて行かれないという気持ちだったらしいです。

しかし、今出ているのはその下にあった淋しさのようです。
その淋しさを感じないために、そうやって自分を罰していたようです。それは父のためだったのです。自分が自分を罰したいのではなく、父に見せつけるためにそうやっていたのです。
それは父のためだったのです。

だから、父を変えようとするのをやめればいいのです。
というか、今はその本当の、父に怒られた時の淋しさとか落ち込み(関係が切れている、という本来の感じ)が出てきているようです。その本来の感じを抑圧しなければいいのです。

父は怒っていて、私は関係が切れたと思って淋しく悲しくなっている、そのありのままを受けいればいいのです。そのありのままを受け入れられなかったことが問題だったのです。

自分で何とかしようという焦りと衝動があったのです。
それが問題だったのです。

ともかく、父が怒るのは私の問題でなく、父の問題だ、と言うことに気づくことなのです。
父を変える必要はないのだ、ということです。
そして、私の中で本当は自分が甘えていって、そのありのままの自分が愛されるのが一番自然なのだから、その甘えたかった、というアリのままの自分をもっと受け入れられるようになっていくことが必要なのだと思います。

このところ気づいてきているのは、その幼児期からの母の刷り込みや父の刷り込みによって、私の世界観と自己認識が完全に、父や母によって洗脳されていたのだと言うことです。

意識的な部分ではなく、無意識の本音の部分で親のネガティブな世界観と私の自己認識もネガティブな、自分はダメだ、というものを植え付けられていたことに気づいたのです。

その世界観がいかにネガティブなものか、それが私に洗脳されていたことに気づいたのです。
そして、ものすごい不安を植え付けられていたのです。
なぜなら、親に安心感を与えられなかったため、この世界は危険で不安なところだ、という恐怖と不安を植え付けられていたのです。そして、人を信じられなくなっていたのです。

それはすべて本音の部分でそうなっていたのです。
表面的にはそれに気づいたいなかったのです。


ともかく、それが自分の本音の部分に植え付けられていたと受け入れるしかありません。



富士緑の休暇村

富士緑の休暇村

  • 場所: 山梨県南都留郡鳴沢村8532-5
  • 特色: 美しい景色、澄んだ空気、癒しの温泉。壮大な富士裾野の自然の恵みを堪能していただけます。



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昨晩は父の怒った顔と感情が出て、コアの傷ついたチャイルドが出てきたようです [トラウマからの開放]

おはようございます

久しぶりでこのブログを書いています。
というのも、ずっと誘導瞑想をは続けており、どんどんと体の左側の深いところに入って行っていたのですが、ともかく、そこにはひどい痛みが横たわっていて、インナーチャイルドの痛みと傷とがあまりにひどくて、それでも色々な父親と母親から受けた乳幼児期からの傷があるらしく、どんどん掘り下げて行くほどにひどい傷が出てきていたから、ここに書く気力もなかったのです。

というのも、掘り下げて行くにはものすごいエネルギーが必要で、集中力も必要だし、どんどん下の法のチャイルドの埋もれていた部分が出てくるにしたがって、本当にやりたくないことはやりたくない、といいうありのままになっていったからだと思います。

そして、身体の左側には、父親の怒っている様子がありのままに身体の記憶として残っていて、そこに行くとその怒ったイライラして私にぶつけている父のそのままが出てくるのでそこを避けていたらしいのですが、それに対抗するのにはすごいエネルギーが必要だからです。

でも、自分の中からその父親から受けたハラスメントに対抗していこうとするエネルギーがわいてきているようで、どうしてもそれと対決してその怒った父の幻影にぶつかっていかないといけないようです。

そして、昨晩も眠る前に誘導瞑想をしていたのですが、そうして目覚めたら、この怒った父が私に怒りをぶつけている感じとその怒っている父の様子がイメージとしてものすごく再び蘇ってきたのです。

この父の怒った様子の記憶というのは、ものすごくしつこくて、この記憶は本当に何度も出てきていて、消えたかと思っても再び出てくるので、本当に嫌になっていたのですが、考えてみれば私は無意識の所で父との関係がブラックボックスになっており、父に対してどんな感情も湧き上がらなかったし、父との関係を完全に避けていて、それでも父に対して本当にわけのわからない状態だったので、それだけ父に対して無意識の部分が大きかったのだと思います。

そして、父に対しては自分というものが完全に抹殺されていて、父との関係を完全に無意識に追いやっていたので、今、こうして無意識に向き合ってみると、父の怒った顔しか出てこない、そして、
父が私に向けたい怒りがどんどんと際限なく記憶の中から出てくる、そしてそのイメージが私の体の左側に埋め込まれている、ということは、私が父との関係を完全に無意識に追いやっていた、ということを説明できるし、まさにこれがその証拠だ、と思ったのです。

これほど、父から怒りをぶつけられ、自分を否定され、怒られ、父の怒りが私の中に入り込んでいるということは、私が日常生活で、自分をものすごく否定して、自分をバッシングしている、そしてちょっとの失敗でも徹底的に自分を責める声が出てくる、ということの理由なのだ、と分かったのです。

つまり、私が自分で自分を責めている声、というのは、実は無意識の中で私に対して常に怒りをぶつけて私に対して怒って、けなして、お前はダメだという風に怒りをぶつけている父の顔とイメージと怒りがいまだに私の中で繰り返されているからだ、と言うことなのだ、と分かったのです。

自分が自分をけなしているのではなく、私の中に取り込まれた父のイメージが私を責めているのです。
ともかく、私の中に父の私を責めて怒る声と顔とイメージがあまりに深く刻み込まれて、私の罪悪感と恥を絶えず書き立てていたものと分かってきました。

それが、私の中の根強い罪悪感と恥と、自分を責める声と、自分を価値のないものだ、と思う原因になっていたのです。

それが、父の怒ったイメージとして無意識から再び出てきたことで、はっきり分かってきたのです。

そして、そのあと床について眠ったのですが、今朝の目覚め前に夢を見たのです。
その夢で、私は自分の部屋で小鳥(と言っても小型の鶏くらいの大きな鳥)を飼っていて、その小鳥が卵を3個くらい産んだのです。その卵を産んだ場所に、その親鳥が座って卵を温めようとしたのですが、その場所には色々なものが置いてあって、卵がうまく温まらないだろうと思って、その親鳥をいったん動かしてその卵の周りに置いてあるものを取り除いたのです。

そうして、親鳥をもう一度卵の所に戻したのですが、親鳥はその場所を荒らされたと思ったのか、もう卵の上に座ろうとしないで、よそに行ってしまうのです。それで、私はもう一度、親鳥を連れてきて卵の上に置くのですが、どうしても、よそに行ってしまうのです。

そうしているうち、今度は猫がやって来て、その卵を見つけてつぶそうとしたのです。
それで、私はその猫から卵を守ろうとしたのですが、なぜか手が思うように動かず、猫が卵をつぶしたのかな?というところで、私の深いところのコア部分で、どーんと、落ち込む感じ、そして、すごい罪悪感に押しつぶされた感じが出てきて、それで目が覚めたのです。

私は、自分が卵を守れなかった自分を責めていたようです。

そしてそのどーんと落ち込んで、自分がものすごい罪悪感にさいなまされる感じ、というのは私が小学一年生の時に何度か味わっていたすごい罪悪感と同じ感じなのです。

このすごい突き落とされるような罪悪感というのは、何度か夢の中でも出てきたし、私の中にずっとあるようです。これは、乳幼児期から繰り返されていた、親から責められて自分が悪いという感じを味わったときに出てくる感情のようです。それがものすごく強い感情でなのです。
乳幼児期の自分を責める、親に怒られた時の感じだと思います。

それが私の中の人格のコアの部分、インナーチャイルドのコアの部分にずっとあったものと思われます。つまり、私の人格のコアの部分が、乳幼児期に徹底的に傷ついているのです。

その傷は、乳幼児期から子供時代にかけて、どうしてもカバーしなければ親の元で生きて行かれなかったものと思われます。そのひどい親に適応して、自分の感情を偽らなければ生きて行かれなかったので、カバーすることはサバイバルのための戦略だったのだと思います。

それだけ、ひどい親のもとで生きなければならなかったのだ、ということを受け入れることが必要なのだと思います。

また、昨晩、怒った父のイメージが再び出てきたときに、気づいたことがもう一つありました。
それだけ、根強く父の怒ったイメージ、つまり私を責めている父のイメージが私の中にあったのか、と改めて気づいたときに、この怒った父のイメージが私の過去の人間関係において影響を及ぼしていたことに思い当たったのです。
また、この私に対して怒った父のイメージがこれだけ染みついている、ということは、私が私を責めている原因なのですが、それが近い関係にあった男性に対して投影されていたのです。

また、これだけ幼児期の私に対して怒った父のイメージが染みついていた、と言うことを改めて認識してから父との関係を振り返ると、子供時代を通して父の私に対するひどい態度が、改めて分かってきたのです。そして、父の態度がいかに私に対して支配的で一方的であったかということが。
そして、その父が私に対してひどい態度を取っているということを私は耐えるしかなかったのだ、ということ、そして、何でもないような顔をして家の中で生きて行かなければいけなかったのだ、ということです。

そして、それでも父親を父親として認めて行かざるを得なかった、つまり、父にはどんなに訴えても自分が悪かったという風に謝ることは絶対になかったので、何が起こっても私が悪いと言うことにされていたのだ、ということです。そして、常に父と私が対立したら、そして父が感情的になったら、父親は正しくて、私は間違っている、という絶対的な結果が待っていた、ということです。

そして、子供の頃のことですが、父に対してもし私が逆らったら、というか、私が自分の欲望を主張して泣いたりしたら、父から手が飛んできた、たたかれた、ということです。
これは、母も恐らく同じでごく幼いころは、今記憶には残っていませんがたたかれていたのだろうと思います。

ですが、父はもっとひどく、幼いころは絶対に父は私の希望を聞き入れることはなくて、それに対して反抗したら、たたかれていたのです。

そして、昨晩気づいたのは、私はこの父との関係を大人になって、近い関係にあった男性に対して繰り返したのだ、ということでした。その男性は、自分が私に手を挙げそうになった、と言うことで私から離れて行ったのですが、私は無意識に父からたたかれた自分を再現しようとしていたのだ、ということに初めて気づいたのです。

それに気づいて、あの時私から離れて行った男性に感謝したのです。
つまり、DV(ドメスティックバイオレンス)がどうして起こるのか、少しわかった気がしたのです。

DVは女性によって誘発されるのだ、ということ。(もちろん、男性の責任を見逃すわけでなく)

女性は被害者でもあり加害者でもある。
私は自分の中の無意識に父から責められ、自分がそれに反発して(実は、父からもっと愛を持って接してほしいことを訴えているのですが)父に反抗すると、殴られる、というサイクルが回っていたのです。

これは完全に無意識であって自分ではそんなことは全く分かっていないのです。
けれども、無意識で父親とのそういう関係が回っているので現実の世界でそうなるのです。

私は無意識の所で自分が愛されていると思っていないので、最終的に自分が怒られて、最終的には殴られる、という無意識の父親からされたことを現実世界で再現していたのだ、ということが初めて深いことろでかったのです。

殴られる、というのも。実際には、殴られたのは、カウンセラーだった牧師に殴られたのを思い出したのです。さっきの離れて行った人は自分が手を挙げそうになったと言って離れて行ったので、結局そういうことだったのだ、と分かってある意味感謝すべきだと分かったのです。

しかし、実際に殴られたのは、カウンセラーだった人なので、この人はおそらく他の人も殴っているのではないか、とちょっと疑ってしまいます。自分が殴りそうになって、それで離れて行くほうがまだ自己認識があると思うのですが。。。

それにしても、無意識の力というのは恐ろしいものです。

しかし、ここまでわかってきたので少しほっとしており、また更に頑張って無意識の部分を掘り下げて、コアの人格の傷ついた部分をいやしていきたいと思います。



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フルサークル した(一周して元に戻った)感じ [トラウマからの開放]

こんばんは

しばらく書いていなかったら、前回の投稿から一か月近くたってしまったようです。

その間もずっと集中的に誘導瞑想をして自分の内側をさまよっていました。(仕事が入った時を除く)
そして、何度もこれまでどうしても自分の中に取り込めなくて、無意識に追いやっていたらしい官女とか記憶とかがよみがえって、多分、ばらばらに断片化していた自分の中の疎外されていた自分の部分(記憶や感情や意志や欲求という自分を定義するもの)が少しずつ自分の一部として統合されてきているのではないか、と思います。

そして、自分の中で阻止されていたもの、その自分を自分の一部として統合されないように防御していたものとか、抵抗していたものとかそういう仕切りをしていた壁を打ち破ることにものすごいエネルギーを使っている感じです。

そして、色々なことを思い出してきているのですが、ここ数日は、この瞑想というものについて調べてみて、私の調べる先はネットなので、特にYouTubeなどで調べると生の映像が見られたりして本当に素晴らしいです。

そして、瞑想と言うことで調べると、超越瞑想が圧倒的に出てきます。(マインドフルもありますが)
そして、超越瞑想(TM)を調べると、デビッド・リンチという映画監督が、TMセンターを主宰しているということが出てきました。レインマンという昔の作品の監督さんです。
そして、そこから調べて行くと、TMは医学博士も結構本を書いたりして瞑想の効果を認めているようです。そして、TMはもともと、マハリシ・マヘシュ・ヨギというインド人がインドのヒマラヤで太師からヒマラヤの山の中で学んだ瞑想法をヒマラヤ山麓に降りてきて人々に教え始めて、それから、1960年ころにイギリスをはじめとする西洋に出て行って教え始めたのが始まりのようだと分かってきました。

そして、ビートルズが1968年ころにマハリシ・マヘシュ・ヨギに会って、それからその教えをもっと学んで、超越瞑想のコースに出席するためにインドのマハリシ・マヘシュ・ヨギのリシケシのセンターへ行ったということです。それで、YouTubeにはそのころの様子を撮影したビデオがたくさんアップされており、またそのころのビートルズのコンサートや色々なインタビューなどのビデオがあり、見ていると非常に面白くて、ずっと見ていました。

それと同時に、マハリシ・マヘシュ・ヨギ自身の講話やインタビューなどのビデオもたくさんアップされており、それも聞いているのですが、非常に魅力的で、マハリシ・マヘシュ・ヨギから愛があふれ出ているのが感じられるので、次から次への聞いています。

またビートルズの中でも、ジョージ・ハリソンが一番、マハリシ・マヘシュ・ヨギの熱心な生徒になったようで、その次にジョンレノンが熱心だったようです。それでも、取り分けてジョージ・ハリソンはどんどんとインドのスピリチュアリティ―にひかれて行ったようで、そのことは有名な話だったので知っていましたが、その始まりがこのマハリシ・マヘシュ・ヨギとの出会いだったというのを初めて知り、ジョージ・ハリソンに改めて興味がわいて調べてみると、また色々な新しい発見をして、ジョージ・ハリソンが人としてとても繊細で、魅力的な人だったのだというのが分かってきました。

ともかく、急にそのころの年代が身近に感じられてきたのです。
そして、ビートルズがインドにいたときに、女優のミア・ファローも偶然そこにいたのですが、ミア・ファローの妹のプルーデンスが瞑想を学ぶために姉と一緒に来ていたということです。
ビートルズのホワイトアルバムに収録されている、ディア・プルーデンスという曲は、このミア・ファローの妹のプルーデンスのことを歌った歌だ、ということも初めて知ったのです。
この背景については、YouTubeでプルーデンス自身が話しているのを聞いたのですが、以下の日本語の記事にも詳しく書かれているのが見つかりました。

http://rollingstonejapan.com/articles/detail/25436/2/1/1

また、ホワイトアルバムの中に収録されている多くの曲が、インド滞在中にできたものだと言うことも分かったのです。

私は、このプルーデンスの逸話を聞いて、またまた、フルサークルだ(元の場所に戻った)という感慨を覚えました。
その深い感慨を覚えたために、今回の投稿をしようという気になったのですが。。

というのも、プルーデンスはインタビューでその当時のことを話しているのですが、当時はアメリカではベトナム戦争の真っ最中で若者たちの間で親の世代の考え方や政治や権威者への反発が広まっていたころだったのです。ベトナム戦争では同世代の若者が戦争に行って大勢亡くなったり、帰ってきたとしても障碍者になっていたり、ひどい精神的なトラウマを負って戻ってきていたのです。

それで、若者たちが精神的な危機に直面しており、そこにビートルズも同世代の若者として、危機的な精神状態にあったところに、インドに行ってみんなで瞑想を学んだのだ、ということでした。

それで、プルーデンスの話を聞いていて、思い出したのです。つまり、そのころはアメリカのカウンターカルチャーの真っただ中の60年代だったのです。

私はアメリカの大学でそのアメリカの60年代のカウンターカルチャーに興味を持って興味津々で研究していたことを思い出しました。そして、そのころ、ビートルズのホワイトアルバムをテープに録音して、何度も聴いていたのです。ホワイトアルバムは本当に面白い曲がたくさんあり、懐かしいのですが、そういう背景でインドで作られていたのだと言うことを初めて知ったのです。

でも、ともかく、私の中でそのころの自分がやっと今の自分の中によみがえって来て、自分の一部として統合されてきているような感じになったのです。つまり、私の中で失われていた部分が戻ってきたというか、そこに自分が戻ってきたような感じ、だからフルサークルの感じなのです。

そして、インドの哲学や超越瞑想やヨガも興味深いものです。
また、ビートルズはインドに滞在しているときに、マハリシ・マヘシュ・ヨギに幻滅してインドを去った、と言うことですが、一旦、マハリシ・マヘシュ・ヨギを正式にビートルズの霊的な太師として迎えていたにもかかわらず、幻滅したために、公にそれを取り消したと言うことです。

しかし、その後、幻滅したきっかけとなった事件が、事実ではなかったということが分かって、ビートルズはマハリシ・マヘシュ・ヨギに謝ったということです。そして、マハリシ・マヘシュ・ヨギはそれを寛容に受け入れたということです。
英語版のWikipediaのほうを見てみると、報道機関の人が、マハリシ・マヘシュ・ヨギにビートルズからそのような扱いをされたことをどう思うか、と尋ねたところ、マハリシ・マヘシュ・ヨギは、「どうして天使に心を乱されることがありましょうか。How can I be upset with angels?] と答えたそうです。

これを読んだときに、あまりに感動してしまいました。
マハリシ・マヘシュ・ヨギは、ビートルズを天使だと言っているのです。
どんなことをされても、彼らは天使なのだ、という風に見ているのです。
これが愛なのだ、と思い、マハリシ・マヘシュ・ヨギの慈愛を感じました。
そして、まるでそのことばは私に向けて言われた言葉のように感じたのです。
私が天使だ、と言われているように。
マハリシ・マヘシュ・ヨギは、すべての人は天使だ、と言っているんだと思ったのです。

このことばは本当に私のいちばん感動した言葉の一番を争うくらいに衝撃を受けたことばでした。

また、ジョージ・ハリソンにも非常に感銘を受けたのですが、まだまだ、色々と調べて、それから、誘導瞑想もして、自分の中の、分裂した自分を統合していきたいと思います。





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今朝の目覚めに母への怒りが再び噴出 [トラウマからの開放]

おはようございます!

今朝の目覚めに再び母へのすごい怒りが出ていました。
いまだに母からコントロールされていた部分が残っているのだろうと思います。
恐らく、赤ん坊のころから自分のありのままの感情を母に無視されて続けていたため、私が自分の本当の感情を出して、母から無視されていることへの怒りを出すと母はますます私を無視して、逆に母が怒りを爆発して私を攻撃するか、無視して見捨てられるという恐れがあったため、自分の怒りを母に出さないように隠していたものと思われます。

その抑圧された怒りがいまだにあって、私をコントロールしているものと思われます。
つまり、母の怒った顔というか、怒ったエネルギーが私を縛り付けており、母に怒られること、または無視されることは私に恥の感情を生じさせてその恥の感情も一緒になって私の母に愛されたいという素直な感情を縛り付けて、その愛されたいという感情が満たされないことへの怒りを出すのを抑圧して、母に気に入られるようにして受け入れられるように自分をコントロールするようになったものと思われます。

つまり、それが良い子の誕生です。つまり、それが私の中で偽りの自分ができて行った過程だと思います。そうして、アリのままで愛されたいという感情は絶対に母によって満たされることなく、私がありのままの欲求を出しても無視されるだけで、その無視されたことへの怒りさえも出すと今度は捨てられて命の危険に直面するため、無視されているという怒りを抑圧して良い子になって世話をしてもらうように自分を作り替えたものと思われます。

それが偽りの自己であり、それが自我になって「良い子」のセルフイメージになったものと思われます。良い子になって、世話をしてもらって生きようとしたのです。そしてそうすることが正しい生き方だ、と思い込んでしまったのです。

しかしその根底には、見捨てられたら生きて行かれなくなる、というものすごい恐怖があったものと思われます。

だからそうして本当の自分の感情が埋もれていたので、そのことに関する母への怒りが今噴出しているのだと思います。
この怒りは本当に無意識の深いところに埋もれていたのであり、赤ん坊のころの母との関係に根差すものと思われます。そしてこれがずっと私の中にあって、本当の自分が出られなくなっていたものと思われます。

ところで、話は変わりますが、昨日は、YouTubeで、シャーリー・マックレーンの「アウト・オン・ア・リム」というテレビ映画を見ました。これはアメリカのABCテレビが作成したもののようで、元々、1987年に放映されたもののようです。原作はシャーリー・マックレーンの同じタイトルの本で、私はこの本をすでに何年も前に英語の原作で読んでいて、非常に感激した覚えがありました。

それでテレビ映画化されたものをYouTubeで少し前に見つけていて(英語なのですが)、気が向いたら見ようと思っていたのですが、昨日のその気が向いたので見てみたのですが、ものすごくおもしろかったです。
そして、ものすごくインスピレーションを与えられました。シャーリー・マックレーンのたどった道を私もたどりかけているから、とても心に響いたのだと思います。

舞台も世界中を飛び回っていて、すごく楽しかったのです。
シャーリー・マックレーンの本は、その他にも3冊くらい購入していてまだ読んでいないので、これから楽しみに読んでみたいと思っています。

私が自分の本当に子供の頃に受けた傷をいやしてその先にもっと健康的な精神世界の探求をこれからしていく上でのお手本というか、インスピレーションを与えてくれる人に出会えた感じです。
傷ついたままではどうしても入って行かれなかったその世界に今入って行かれそうな感じがしているのです。シャーリー・マックレーンは本当にその旅をしたのだと言うことが分かってきました。YouTube
にもまだ色々なビデオがあるようです。



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依存症(アルコール依存症含め)は症状で原因は機能不全家族(抑圧された感情) [トラウマからの開放]

おはようございます!

今朝の目覚めには、昨日の続きで、死んでしまった古い自我の下から本来の自分と抑圧されていた本来の自分の意識のエネルギーが息を吹き返そうとしてうごめいているようでした。

そして、先ほど誘導瞑想をしていて気づいたのですが、色々な依存症(アルコール中毒、仕事中毒、恋愛依存症、買い物中毒、などなど)は表面的な症状であって、本当の原因はすべて、幼少期の家庭環境において感情が抑圧されていたこと、そしてその結果、感情も自分という意識も失われてしまったことなのだ、とはっきり気づいたのです。

つまり、威圧的な親の態度によって、その環境でサバイバルするために自分の感情を抑圧し、自分をなくして親に適応したことが原因で、その結果、依存症になってしまうのだ、ということなのです。

というのも、最近、ACOA(Adult Children of Alcoholics) アルコール中毒者のアダルトチルドレン、即ち、共依存の人たちのセラピーを行っている人や、自分自身が共依存から回復した人たちのビデオや音声を(英語のものですが)YouTubeで聞いており、それが私の体験した幼児期の家庭環境や、私の色々な症状にぴったりなのです。

しかし、私の両親はアルコール中毒ではないし、私の家族はアルコール中毒の人はいないし、ただ、母親のお父さんはお酒を飲んで暴れていたという話を母から聞いたような気がするのですが、私が生まれる前に母の両親ともに亡くなっているので、実際のところはわからないのです。

なので、アルコール中毒という問題から私の問題を紐解くことはできないと思っていたのです。
しかし、それにしても、ACOAに関する話を聞いていると私の問題と瓜二つなのです。
で、ACOAというか、共依存は、しかし、感情の抑圧された家族からも発症すると書いてありますし、
そもそもアルコール中毒の家族の環境というのは、アルコールを除けば私の家庭環境と全く同じような感じです。つまり、親が独裁的で、子供の感情は抑圧されいて、子供は自分を持つことができず、親子の関係が逆転していたのです。

そして、父は仕事中毒だと思っていました。
そうして、瞑想しながら考えを巡らしているうちに分かったのです。
依存症は症状なのだ、と。原因は感情の抑圧なのだ、ということ、そして自分がないことなのだ、ということ。その原因は幼少期に親から自分の感情を持つことを許されなかったからだ、ということ。
そして、子供中心でなく、親中心で、子供は親の感情の世話をさせられたということです。

だから、アルコール依存症の親を持つ子供と同じような家庭環境だったのです。
アルコールがあるかないかは関係なく、私の親も依存症だったのです。
父は仕事依存症で、母はなんというか、自分のマイナス感情を子供にぶつけることが依存症だったのかもしれませんし、世間体を心配することの依存症なのかもしれませんし、子供をコントロールすることの依存症かもしれないし、ともかく、依存症には変わらないのだ、とおもうのです。

自分がないと、そして自分の本当の感情が感じられないと、偽りの自我(エゴ)を持つことによってそのエゴの飽くなき欲求に仕えることをしなければ自分が持たないのだと思います。

ともかく、ACOAとか共依存はアルコール中毒に限らないので、その方面に関する話は私の問題にぴったりだとわかったので、それに関する資料をもっと調べてみようと思っています。

リサさんも、そういう資料を調べて行って、いやされたのだと分かったのです。


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今朝の目覚めは体の左側で怒った父に押さえつけられている感じでした [トラウマからの開放]

おはようございます!

今朝の目覚めも昨日と同じように、身体の左側でものすごくつらい感じでしたが、今回はもっとはっきりと、身体の左側に父親がいて、幼児期にいつもされていたように怒った顔で私に怒りをぶつけていて、私が悪いと言うことを攻撃していて、私はその父の怒った顔のエネルギーによって押さえつけられている、という感じでした。

そうして本当の力がそこで私に対して働いていて、左側にいる父親の怒った顔のエネルギーと力がものすごく強くて、私はそこで押さえつけられている、という感じでした。

だから、昨日書いたたように、自分が左に行こうとすることは、私が自分の意志で自分の思うようにしようとしていることだと思いますが、それに対してそれを阻止しようとする父の怒った顔のエネルギーが働いているのだと思います。

昨日そしてその少し前から感じていたのですが、私はアンビバレンスがものすごくひどかったのです。
左に行こうとする衝動と、右に行こうとする衝動が同時に存在して、それが短期間で右と左に揺れ動いていて、その繰り返しでものすごく苦しかったのです。それは、人間関係において親密な関係になるとそのアンビバレンスが出ていたのです。

そして、以前のカウンセリングを受けた際にもそのアンビバレンスがひどくて、それが非常に耐え難いもので自分で自分をコントロールできない苦しさを味わっていたのです。

この心の病とは自分が自分をコントロールできない苦しさだと思います。
それは、幼少期にあまりに親からコントロールされていたために、自分が自発的に自分をコントロールする力を持てなかったからだと思います。

本来ならば、自分が自分の内側から湧き上がるものがあって、それを自分で徐々にコントロールできるようになるものを、あまりに小さいうちから親にコントロールすることを押し付けられて、親を取り入れて自分で自分をコントロールするようになるために、自分の中で自我の分裂が起こってしまい、幼少期にはそれでいいかもしれませんが、成長していくうちにそれでは自分で自分をコントロールする力が持てなくなってしまうのです。自分の中で自分が分裂しているからです。

なので、本当に自分が自分であることを幼少期に味わうことがいかに大切か、と言うことだと思います。そのためには、本当の自分を出すことを親から受け入れられないとだめなのだと思います。そして、自分が親を取り入れて無理やりにコントロールすることを絶対にやめて、あるがままを愛されるようにすることが大切なのだと思います。そして、感情を受け入れることなのです。感情を受け入れた後で、少しずつ理性が育っていくようにして、言葉で自分をコントロールすることを教えられることが大切だし、親子であっても話し合って交渉することが大切なのだと思います。

つまり、独裁主義の親であってはならない、ということであり、民主主義の親でなければならない、と言うことだと思います。

ともかく、私は独裁主義の親からプログラミングされているので、頭の働きが自分で自分を攻撃するようになっているので、ともかくその自分を攻撃している左側にいる怒った父を突き破ることがますます必要なのだと思います。

それには、誘導瞑想をすることは絶対に必要だし、ケロッグさんのような話を聞くことや、そういう民主主義の神髄に触れることも必要だと思うのです。アメリカの独立宣言とか、リンカーンの演説とかもいいと思います。

私の価値観が変わることが必要だし、頭だけで変わるのでなく、ハートチャクラが開いてハートでそういう本来の価値観を取り戻すことが必要なのです。
ともかく、プログラミングを変えるということは頭の中の価値観を変えるということでもあるようです。というのは、無意識で親の独裁的な価値観がプログラミングされているからです。プログラミングとは無意識がプログラミングされているからです。

癒されるとは無意識のプログラミングを変える、と言うことだと思います。

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幼児期に父との暗黙のコントラクト(契約)を結んでいたことが記憶に浮上しています [トラウマからの開放]

おはようございます!

今朝の目覚めにも昨日と同様に、ものすごくつらい気持ちが浮上していました。
それで、いつも通り、目覚めの時に浮上してくる色々な思いや感情をそのまま出てくるに任せていました。

最近は、このブログにも書いている通り、ものすごく本当に幼い時の最初の記憶の中にある父からの怒りによるコントロールと攻撃に対して、逃げないようにしてそれに立ち向かっているのですが、そうすると起こった父の顔が出てきてその私の行こうとする方向に立ちはだかっているのです。

ともかく、そうしているうちに、だんだんとタイトルに書いた通りのことが記憶に浮上してきたのです。
つまり、私は本当に幼い時に、父親とコントラクト(契約)を結んでいたのです。
つまり、父は私がありのままにふるまうと我慢ができ居ないらしくて、すぐに怒り出すのです。
この辺は、父の忍耐力のなさだったのですが、私は幼いころから父が私に怒るのは私を良い子にしたいから、私のために怒っているのだ、私が悪いことをするから起こるのだ、と頭で自分に言い聞かせていたのですが、それは完全に間違っていたことがだんだんと分かってきたのです。つまり、父は私がありのままにふるまうことで、自分の中の癒されていない傷が刺激されてうずくので傷ついてしまうので、我慢ができなくて、自分を守るために私を怒っていたのだ、と言うことが分かってきたのです。

私は父をあまりに聖人として、奉りすぎていたのです。そして、父には一つの欠点もない、人間以上の存在として頭の中で父を奉っていたのです(幼児期に)。なぜなら、父は私の気持ちを全く受け入れることができず、自分が一番賢いものだとして、私たちを怒り散らしていたから、私たちの中では父が一番偉くて、父に対抗するものはすべてやり込められるので、父が一番聖人で、欠点のない人間だったのです。(幼児期にはそう思って、自分を守るしかなかった)

ともかく、今朝の目覚めに分かったことは、私が自分の中で、また父との間で、つまり、私の無意識と父の無意識との間で暗黙の取り決め(コントラクト・契約)をしていたことが意識に浮上したのです。

その取り決めとは、父は私のこと(考え、感情、思い、欲求など)を完全に支配する。私は父の了解なしにそのようなものを持つことは許されない)。そして、父は私を完全に父の思いの中で決めた枠の中に束縛される。そして、父はそのほとんどを許さない。父の許さない感情や行動をしてはいけない。

そして、私が完全に父の支配に従ったときに、私は父から受け入れられることができて、父の家で養ってもらうことができる。私が父に受け入れられる方法はそれしかない。父は完全に私を支配している。
それしか私の生きる道はない。

それが、幼児期に私が父との間で暗黙に(無意識に)結んだコントラクト(契約)だったのです。
父は私に対して完全なる所有権を持っていて、私は私に対する所有権がなくて、私は私の所有権を完全に父に与えていたのです。そうしないと生きて行くことが許されなかったのです。

考えてみたら、それは、完全に「条件付きの愛」だったことがわかったのです。
ものすごい条件付きの愛だったのです。
だから、条件付きの愛は人を心の病にしてしまうことが分かってきたのです。

条件付きの愛がどんなに毒のあるものか、がわかってきたのです。

ともかく、そういうコントラクトを幼児期の私が父との間に交わしていて、それを完全に意識では忘れていて、無意識の中に埋もれて、その無意識に動かされていたので、そのコントラクトを変えることができなかったのです。しかし、今そのようなコントラクトをしていたことが分かったのので、これからこれから変えて行くことができるのではないか、と思います。
私の内側で出てくる父に対して、私はもうそのコントラクトを破棄した、と言えばいいのです。
もう、古いコントラクトを守らなくても良いのです。


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今朝の目覚めでは「自分はダメだ」という感情が全開になっていました [トラウマからの開放]

こんにちは

今朝の目覚めでは、タイトルに書いた通り、ものすごい自己否定の感情が出ていて、自分はダメだ、という全否定の感情がものすごく出ていました。

これも、子供の頃、幼少期の頃から、自分の欲求であれ、感情であれ、自発的な動きであれ、すべてが親から否定されたり、無視されたり、価値のないものだとみなされ、重要視されなくて、存在する価値がないかのように粗末に扱われたために、自分を全否定するようになったものと思われます。

そして、そのありのままの自分を出した時の親の反応があまりに否定的だったために、あまりの悲しさとつらさのため、その本当の自分のすべての感情や動きや自発的な感情をすべて抑圧して、ないものにしていたため、それが今、ふたが取れて出てこようとするときに、「自分はダメだ」「生きる価値がない」絶対にい人から拒絶されるから、出たくない、というすごい抵抗が起こるものと思われます。

本当にアリのままの、元気な自分がこんな風に否定的な思いを持つようにさせられてしまったのはあまりにひどいことであり、悲しいつらいことだと思わざるを得ません。

こうしてありのままの自分が出てこようとすると、父の怒った顔が出てきて、父が私を怒って攻撃している姿がでてくるのです。

だから、それを押し破って突き抜けてそれに対抗していくことはものすごくつらいことなのです。

そのために、その怒った父に直面するのを避けるようになったものと思われます。
そうして、本当の自分を出すことができなくなったものと思われます。
出そうとすると、その怒った父の顔と禁止令が出てきてそれを阻んでいるのです。

なんとか、その父のイメージを突き破れないものかと思うところです。

少しずつ、突き破っていくしかないのかな、と思いますが、私の体の左の下の法にその怒った顔の父がいまだに潜んで生きているようです。


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乳幼児期の依存欲求が満たされていなかったことが判明、& 昨晩の夢 [トラウマからの開放]

こんにちは

最近、すごく頭の中がぼっとして身体がだるいです。
抑圧されていた幼児期の満たされていない欲求がでてこようとしているのかもしれません。

ここ数日前は、少し、ジョン・ブラッドショーさんのビデオを再び見ていました。
そうしたら、すごく重要なことを話していました。
それは、乳幼児期には依存欲求というものがあり、それが満たされないと自分という意識が持てないのだ、ということです。

それはまさに私が今、直面している問題だと気づきました。
特に、今出ているのは、父親が私の依存欲求を完全に良くないものとして拒絶していたので、私は完全に自分の幼児期の依存欲求を抑圧して、良くないものとして無意識に追いやって、自分でもそういう依存欲求を感じられなくなっていたことが分かったのです。

父にとって、私の依存欲求は忌み嫌うべき最悪の者だったのです。完全に父は私の依存欲求を拒否していたので、私は自分の依存欲求を無意識に追いやっていたのです。自己疎外です。

しかし、幼児期には依存欲求が満たされないといけないのです。
それをジョン・ブラッドショーが話していて、それともう一人、テリー・ケロッグという人の話がYouTubeで聞けるのですが、その人の話していることがものすごく今の私の心境にぴったりあったのです。
その人は、共依存のことについて話していましたが、まさに今の私が必要なメッセージだったのです。
本当に、子供の立場で話しているので、私にはそれが必要だったのです。

その子供の頃のニーズが満たされるべきであったのに、満たされなかったことで、問題が生じているということを何度も聞く必要があるようです。色々な角度から。

そして、昨晩というか今朝の目覚め前の夢はまた、変わっていました。というのも、高校時代に憧れていた同級生だった紅顔の美少年が出てきたのです。というか、私はそういう感情を抑圧していたんだな、と言うことを改めて感じているのですが、その抑圧していた感情が無意識から浮上しているのかもしれない、と思ったのです。

また、それと同時に私は幼児期に父に対する依存欲求を完全に抑圧していたのだ、ということが改めて目覚めの時に分かったのです。そして、それが以前に牧師のカウンセリングを受けた際に、牧師が私の幼児期の依存欲求を引き出したのだ、ということがやっと分かってきたのです。
それは、幼児期の依存欲求がそのまま出ていたのだ、ということです。それは私の中の父への依存欲求は完全に否定され、無意識に追いやられていて、私の人格の中に統合されていなかったのです。
その依存欲求は、父と母への依存欲求だったと思いますが、父に対してはものすごい恐怖を持っていたので、依存して近寄ることさえ恐怖だったのです。

ともかく、幼児期に依存欲求を満たされていなかったのが問題であり、私はその生きていなかった依存欲求を蘇らせて私の人格に統合することが必要なのだ、と分かったのです。

そして、私の中の依存欲求を今は大人の自分が受け入れて、自分がその依存欲求を満たしてやることなのだと分かったのです。


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今朝の目覚めは信じられないくらい身体全体がマヒしていました [トラウマからの開放]

おはようございます

昨晩も眠ろうとして寝床に入ったけれど、全く眠れず、再び起きだして本をしばらく読んで再び寝床に入ったら眠ることができました。

無意識が動いていて、内側でエネルギーが動いているようで、すごく眠っていたエネルギーが出てきて興奮して、そのために眠れなくなるようです。

そして今朝目覚めたら、体中がものすごく麻痺した感じになっていて、全く動かすことができないような感じになっていました。
そこには恐怖もあったのですが、おそらく、初期の赤ん坊のころの自分が泣いても泣いても母に来てもらえず、自分が見捨てられたという恐怖感がどっときて、それから身体中が死の恐怖に襲われてパニック状態になり、爬虫類脳に影響されて、体中の機能をマヒさせたのだと思います。

そのことは、昨日のブログにも書いた、「隠された児童虐待」という本に詳しく書いてあり、本当に私のことが書かれているような感じです。昨晩も眠れないときにこの本を読んだら、私の状況を言い当てているので、この本を読むと自分のことが認められているような気になり、落ち着くようです。

というのも、私は自分が親からそのような虐待ともいえるような心理的、感情的な攻撃やコントロールや愛されないつらさを味わわされ、人間として本来の欲求である自分を自己実現したいという欲求を持つこと自体を悪いことだと攻撃され、絶対に自分を認められないために、そのつらさを表現しようとすると、その自分の感情が傷ついてつらい、悲しい、という正直な傷ついた気持ちを表現することさえ攻撃されて、それは悪いことだ、と責められて、自分のつらさを認めて表現することさえできない、という状態だった、ということがいかにひどい仕打ちで、拷問のような、非人間的な責め具にあわされていたか、ということが分かってきたからです。

その私が乳幼児期に、また子供時代に、置かれていた親からの仕打ちがいかにひどいものであったか、私がいかに傷ついてしまっていたか、ということがますますわかってきたのです。自分で認識できないくらいにひどく傷ついていたのです。そして、傷ついているということを自分で否定しなければならなかった、親にそれを否定させられた、自分で自分の感情を否定するように仕向けられた、ということがいかにひどいことだったか、が分かってきたのです。

父からは本当にそれを強制されていたことが記憶に浮上しており、すごくそれに対する憤慨が出てきています。本当に父はひどい人だったのだ、ということ、ひどいことをされたのだ、ひどい被害にあったのだ、と言うことを本当に認めることが必要なのだ、と分かってきたのです。

本当に自分の本当の気持ちを掘り起こすことが大切であり、それを父親に合わせて否定させられて、自分で自分にうそを言うように習慣づけられてしまっていることが問題なのです。つまり、うそをつく癖をつけさせられたのです。自分で好んでうそをつくようになったのではなく、自分の本当の気持ちではない、逆の気持ちを表現させられたので、うそをつくようになったのです。
うそをつくという行為も、学習によって親からそうするように仕向けられたのです。
自分の気持ちに正直であると罰せられたからです。だから、うそをつくようになったのです。親を恐れて、親から罰せられるのを恐れて、自分の気持ちを偽るようにさせられたのです。
傷ついているのに、傷ついていないようなふりをさせられている間に、うそをつくのが当たり前になってしまったのです。

これは大きな問題であり、つまり、本物(オーセンティック)でなくなったのです。
さっき、ティールスワンさんのビデオでとても参考になったのですが、そのビデオで、共依存とは、オーセンティックでないことだ、とティールスワンさんが言っていたのです。
コークリエーション(共同で想像する)と、共依存の違いについて、説明してくれ、と言われたときに、ティールスワンさんは、それは、オーセンティック(自分の本心からの行為、本物)であるかどうか、の違いだ、と言っていました。

それは、すごく参考になりました。つまり、自分が傷ついて怒っているのに、怒っていないふりをしたりするのは共依存だということです。それは、良い子が身に着けた処世術なのです。
そして、良い子はオーセンティックではないのです。良い子は、いい人間関係を築くことができないのです。それは、自分の本当の気持ちを出さないから、うそをついているからです。

しかし、それは習慣になっているため、直すのがとてもむずかしく、しかも本当の自分を出したら親から攻撃され、怖い目にあわされたので、恐怖があるため、本当の自分を出せなくなっているからです。

だから、良い子は防衛機制なので、その防衛機制を破らないといけないので、なかなか変えるのは難しいのですが、私も良い子の壁を破ろうと思っているのです。

「隠された児童虐」の著者の鈴木健治さんは、別の「良い子の心の闇」という本も書かれていて、私は先に後者のほうを読んだのですが、どちらも幼少期の親から受けたトラウマのことを扱っていて、私にとってはとても参考になっています。


良い子の心の闇―「バカの壁」を越えたいと思っているあなたへ

良い子の心の闇―「バカの壁」を越えたいと思っているあなたへ

  • 作者: 鈴木 健治
  • 出版社/メーカー: 東京図書出版会
  • 発売日: 2011/01/15
  • メディア: 単行本




隠された児童虐待―PTSD・依存症の発症メカニズムと効果的なトラウマセラピー

隠された児童虐待―PTSD・依存症の発症メカニズムと効果的なトラウマセラピー

  • 作者: 鈴木 健治
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 単行本




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