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今日も朝から眠くてたまりませんが、野外に出たい気持ちも出てきています [手放すこと Letting go]

おはようございます。。

昨日は、また、のんびりと過ごしてそれからお昼すぎから外出して、
近くでカフェやファームをやっている友人のところに行ってみたのですが、案の定
お休みで誰もいませんでしたが、その辺をぶらぶら散歩して、バードウォッチングを
試みたり、のんびりして、そのあと、道の駅でものんびりして、そのあと町にでて買い物したりして
気分転換しました。

最近、天気のいい日は家の中にいるのが嫌になりますね。

今日も朝から眠たくてたまらなくなっています。
でも、今日も車で昨日行った当たりに出かけてこようかな、と思っています。
それから、更に足を伸ばして山中湖の方にも行ってみようかな、と。

何か、最近、気持ちが外に向いてきているようです。

眠たいですが。
今も、左側に何か止めるものがあるのですが、それが取れたらもっと自分の
中の無意識の緊張がとれてきて、自分が自分でいることに安心してリラックスできるの
ではないか、と思います。

緊張が撮れたら楽になれるし、自分が自分でいられるので、これまでよりも
いろいろなことが楽にできるんじゃないか、と思うのです。

緊張がとれているので眠たくなっているのかもしれません。


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何か左側で頭の回転方向が変わっているかもしれません [手放すこと Letting go]

おはようございます。

先週の金曜日に一応、ものすごく仕事で忙しかったのを乗り越えて、
土曜日は山に登って、頂上でおにぎりを食べて、富士山をマジかに見て、この
近辺の風景を見渡してとても気持ちよかったです。

それから、月曜日にはアメリカ人の友人が来て、一緒に近くの温泉へ行って
近くのレストランで食事をして、うちで泊まって行きました。
火曜日(昨日)の朝食は、折りたたみ式の簡単なテーブルというか、台を家の前の
狭い庭に出して、外でのんびりと、コーヒー、紅茶、ヨーグルト、簡単なお好み焼き風のもの
などを食べて、いろいろと彼女と話して、彼女はそれから別のところへ出かけてそのまま帰りました。

そんな感じでやっとのんびりさを取り戻しているところです。
それで、何故か、やはり、また、眠たくなって仕方がありません。
もう、いつとは関係なく、眠たくなってしまうのです。やはり、無意識が動いているのだと
思います。

今朝の目覚めではなんとなく、自分の中で無意識に追いやられていた子供の頃の私の
感じ方とか考えとか、いろいろな想像していたようなことが蘇ってきている感じでした。

たとえば、船を作って湖に浮かべてみたいなあとか。
船をどういう風に作れば水に浮くんだろう、とか。

動かなくなっていた、右脳が少し動き出しているのかもしれません。
私にとっては、右脳が動き始めてくれることが、自分の回復だと思います。
多分、右脳の中に、自分のアイデンティティーがあるのだと思います。

メンタルクリニックにも近いうちに行きたいのですが、東京まで、高速で飛ばしていかなければ
ならないし、クリニックの営業日も毎日ではないので、決まった日に行かなければならないし、
その営業日に前もって電話して予約をしておかないといけないので少し面倒です。

仕事が忙しかったので、それにかまけて家の中がめちゃめちゃなので片付けとか、洗濯もやらないと
いけないですが、雨が降ったりするので、洗濯する日も限られてしまうし、

まあ、いろいろ思い通りにならないことは有りますが、何とかやるしかないですね。

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未完の仕事を終わらせる覚悟 "Necessary Ending" [手放すこと Letting go]

おはようございます

今朝は、目覚めた時にまたいろいろ考えていたら、気づいたことがありましたので、
書き留めたいと思います。

これも、もう無意識下でずっと渦巻いていて、無意識下でずっと考えていたことだと思い
ますが、今朝の目覚めの後で寝床の中で考えていて、こういうことなのだ、と初めて気づいたのです。

それは、米国のクリスチャンベースのニューライフのラジオ・カウンセリングの番組でも
よく紹介されている本があり、そのタイトルが「Necessary Ending」というものなのですが、
そのタイトルが浮かんできたのです。

その時私が考えていたことは、ある友人との関係のことなのですが、しばしば私の
ところに訪ねてきて、まあ、定期的にといえるくらいの交流をするのですが、
私と、いろいろな面で異なる考え方をしていて、それを討議しようとすると
彼女が感情的になるので、あまり本気で自分の思っていることを話し合えないなあ、
と感じているのです。

それで、何とかして私は自分の独立性を維持したいと思っているし、私は
私なりの考えを勧めて、自分の人生を作っていきたいと思っているのですが、
そのためには、友人を変えることも必要だと思っているのです。

まあ、そのためにこれまでの友人と疎遠になる必要もないですが、私の今の
生活上、あまりこのあたりにやってくる人もいないので、どうしても、直に話すように関係は
限られてしまいます。

それで、まあ、いろいろ考えていて、彼女の影響カから離れたいなあ、と思っていて、
それにはどうすれば一番いいか、考えていたのです。
そして、自分の心の中で離れるにはどうしたらいいかいろいろ考えていたら、他にも
過去に関係のあった人との間でいろいろと辛い出来事があったのですがその出来事
とか、その相手との関係について、本当に私の中でまだ、完全にそれから離れきっていない、
それを完全に終わらせる作業がまだ出来ていないことに思い当たったのです。

それは、もうずっと昔のことなのにも関わらず、まだ、自分のなかで感情が完全にそこから
離れきっていないのです。まだ、もつれたままなのです。
完全に相手と自分を許して乗り越えた、と言えないまま、自分の中で未完のままに
なっていて、今でもそれを感情とか、記憶の中で引きずっていることに気づいたのです。

そして、自分がその記憶から解放されていないのです。
そこには、自分を責める気持ちとか、まだ、その関係から自分と相手を開放していない
ことに気づいたのです。

そこで、いまこそ、その一つ一つの出来事から自分を解放して、感情的にも
過去の遺物をずっと持ち歩かないようになるときではないか、と思ったのです。

そして、そのような心理状態、過去を捨てないで持ち歩いている状態が、
あるいはまた、部屋の中が片付かない、昔のモノを捨てられないでそのままに
している状態につながっているのではないか、と思ったのです。

そして、それはつまり、とどのつまりは、分離不安からきているのではないか、と。

そうなのです、不安の根本は分離の不安なのではないか、と。
分離をすると、自分の中に不安を感じてしまう。だから、分離しないで、古いものに
それが、いくら自分を苦しめるものであってもしがみついて、手放せなくなっている。

それは、自分を失う不安なのだ、と。

でも、その辺を客観的に、冷静に自己分析して、過去のものを手放していかなければ
ならないのだと。

先ほどの、今、交流のある友人のことに関しても、ともかく彼女のことは切り離して
行かないと、私の中に別の友人、本当に自分のやりたいこととか、思っていることを
思う存分話し合える友人を作ったり、探したりすることができなくなってしまう、と思ったのです。

つまり、今あるものを手放さないと、新しいものを掴むことはできないのだ、ということです。

だから、昔の出来事で未だに引きずっているものがあるなら、その未完の仕事を
終わらせることが、前に進むためには必要なのだ、と気づいたのです。

そして、それは過去にしがみついているものを手放さないと新しいものをつかめない、
ということだったと気づいたのです。

そのときに、さっきも言った、「Necessary Ending (終わらせる覚悟)」(ヘンリー・クラウド著)
のタイトルが頭に浮かんで、この本はこういうことについて書いてあるのかな、と思ったのです。

これまで、とくにこの本について興味を持ったことはなかったのですが、急にこの本の
タイトルが浮かんで、このコンセプトは、とても大切なことなのだ、と自分のこととして
気づいたのです。


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急に整理整頓意欲がわいてきました [手放すこと Letting go]

こんにちは!!

昨日は台風が愛知県に上陸後、日本を横断したようで、この私の住んでいる
ところもひどい雨と風の大嵐でした。

今朝は打って変わって、晴れていて、嵐の後の静けさというか、
再び太陽が照りつけて、セミが鳴いていて、昨日のことが嘘のように良い天気です。

さてさて、今朝の目覚めは、昨日ほどは落ち込んでいませんでした。

それから、急に昨日から、整理整頓をしなければ、という気持ちがわいてきて、
いま、必要でないものを捨てていこうと思っています。

というか、ともかく、整理しなければ、何がどこにあるのか分かりません。

それと同時に、メールの受信箱の中も、メルマガをあまりにたくさん購読していて
ほとんど読めないのに、受信箱にたくさんメールが来るようになっていたので、
それらのメルマガをどんどんと解除しています。

そのほとんどはセールスメールですからね。

また、そうして、たくさんのメルマガをとっていたのは、気が散る原因です。

ともかく、これからは自分のやることに集中していこうと思っているところです。

これまで、頭の中がどんなにごちゃごちゃになっていたことか、と思います。

家の中も同時に整理していこうと思っています。

この先、どうしようか、ということが少し昨日書いたように明確になってきたので、
そのために、集中していきたいと思います。

頭の回転が左周りになってきているように感じます。

そして、何でも私には不可能だ、と思うのではなくて、私にはできるのだ、
と思って進んでいきたいですし、神様が助けてくださるのだ、と信じてその
方向に進んでいきたいと思います。

これまでの自分は何か、自分はダメなのだ、と思い込んでいて、失敗をものすごく
恐れて一歩が踏み出せなかったのですが、今はなぜか不思議なことに
神様が何とかしてくださるのだ、と思えるようになっているのです。

不思議なことです。
頭の回転が左向きになっているのは、プラス思考になっているのかもしれないです。

自分を赦せるようになってきているのかもしれません
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抑圧していた記憶が浮上して、自分を取り戻している感じ [手放すこと Letting go]

おはようございます!!

昨日から、というか、この前から、少しずつ、意識に浮上してきていて、
今朝の目覚めに、一気にその記憶と感情が浮上してきていることがあります。

それは、私が、以前、いろいろとお付き合いのあった人たちの記憶で、
特に、今朝出てきたのは、私が、最初に信頼を寄せていたのに、
裏切られたひどく傷ついたときの、その私を傷つけた相手のことです。

と言っても、まあ、いろいろと複雑なものではありますが。。。

ともかく、私はそのことに関しても、どうしてもまだ癒されていない部分が
あったのだと思います。

というか、自分を赦していなかったというのか。

まあ、良くわかりませんが、そういう、うまくいかなかった人間関係、
そして、それらの別れてしまった相手とのことを、私はすべて記憶も感情も
すべてを抑圧してしまっていたように思います。

そして、それらの記憶のすべてを、良くないもの、思い出したくないもの、
回想したくないもの、ふたをしたいもの、自分の恥とすべきもの、として、
封印してきたように思います。

というか、自分でそうしたくてしていたのではなく、そうしたくなくても、
私の自動的な反射条件で、そういう風に私の心理が働いてしまって
いたのです。

無意識のところで、そういう風に脳が処理するように、脳のソフトウェア―、
つまり、神経回路が働いていたのです。

だから、私が意識的にしていたことではありません。

ともかく、私は自分の無意識的な反応の虜にされていたのです。
それは、プログラムされてしまった自分の心理的な反応、というものです。
無意識なので、自分で治すことができなかったのです。

ともかく、それが、今、体の左側からものすごい痛みを伴って、自分の
抑圧していたものが出てきている状態だったのですが、その抑圧していた
左側のところから出てきたのが、意識に上ってきたのだと思います。

その、意識に上ってきているものが、それらの、過去において私が恥だと思って、
自分の人生から消し去りたい、と思っていた、人間関係において
失敗した記憶だったのです。

でも、それを冷静に見てみると、それは、そんなに恥に思う必要はないのです。
それは、仕方のなかったことなのだ、と、今、理性的に判断して、整理していく
ために、今、記憶が浮上しているのだと思います。

私の場合は、それらの記憶を整理する前に、抑圧してしまっていたので、
いつまでもその記憶が無意識化で私の恥として残っていて、私が前に進むのを
阻んでいたのだと思います。

それが、今、左から出てきているわけですが、それは、やはり、私が親との間で
甘えを体験することがなくて、私のすべての甘えを抑圧していたために起こっている
ことだと思います。

だから、抑圧されていて、今、記憶の中に浮上しているのは、私の抑圧されていた
甘えの部分が浮上しているのではないでしょうか。

そして、甘えは愛情の芽なのです。

結局、その芽がうまく育っていないのです。
愛情の芽である、甘えがつぶされたままになっているのです。

それが、いろんな、苦い記憶とともに浮上しているのです。

その甘えがうまく親に受け入れられなかったことから、成長してからも、その
甘えが拒絶されるような関係を繰り返して、それがどんどん、抑圧の中に
積み重ねられていったものと思われます。

ともかく、昨日かその前くらいから、少しずつ断片的に、記憶が出てきていたのですが、
今朝は、一気に出てきて、そして、それが、これまでとは違う感情を伴って出てきているのです。

それは、アメリカ大学時代に最初に付き合いのあった相手との関係で、
これまでは、最後に裏切られたことの記憶があまりにひどくて、それ以上
思い出せなかったのですが、今朝は、それが変わってきていて、その
相手のことを赦せる、というか、再び受け入れられる気持ちになってきたのです。

ということは、これまでは赦せていなかった、ということでしょうか?
ともかく、裏切りが起こる前の、記憶と感情がよみがえってきているのです。

つまり、相手に対するプラスの感情というか、が、よみがえってきているのです。
これまで、そのような感情は抑圧されたまま、無意識に封印されていたのです。

ほかにもいろいろありますが、それらの相手に対する感情が、ずっと封印されて
しまっていたのです。

それは、言い換えると、自分を赦していなかった、というのが一番正しいと思います。

そして、そのために、すごい恥と罪悪感にさいなまれて、それらの過去を
過去として清算することができないで、引きずり続けていたのです。

それは、本当に自分を赦していなかったのだ、ということがやっと今
わかってきているのです。

そして、ずっと、自分を責め続けていたのだ、ということが分かります。
だから、本当にそれは、苦しい状態になっていたのだな、ということが
今、改めてわかるのです。

それだけの、過去のいろんな出来事に対して、自分を許さないでずっと
責め続けていたら、それは、本当にひどい状態です。

そういう状態になってしまっていることから、どうしても抜け出せないで
閉じ込められて、責められ続けていたのです。

それを思うと、あまりにひどい状態です。
自分ではそこからどうしても逃れることができなかったのです。

まるで、アリジゴクに落ちてしまった虫のようです。

だから、ある人たちが、私の状態はかなり危険な状態だ、と思われたのも
無理ないですね。
今、こうしてわかってみると。

そして、これまでずっと、体の左側が痛くて、その下から何かが出てきていたのですが、
それが、今、やっと、無意識から意識に上ってきているのです。

それが、でてきたらやっと、日の目を浴びて、封印がとかれて、呪いの呪文が
とかれて、解放されている感じです。

そして、そのあとから、さわやかな、やわらかい日差しが差し込んできて、
神様の光も差し込んできて、神様の愛がやっと私のところに届くのかもしれません。

そして、本当にこれまで、左側が閉ざされていたのですが、体が本当に左側に
回転しているような感じでです。

そして、これまで感じられなかったことが、やっと少しずつ感じられるようになって
来ている感じがします。

つまり、その左側の自分というのは、これまでまるで感性がマヒしていたようなもの
だなあ、と感じています。

言葉ではなくて、感性で感じ取る力がマヒしていたようなのです。
感動する心がマヒしていた部分もあると思います。

そのマヒが解かれてきているように感じます。







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片づけをしながら [手放すこと Letting go]

こんにちは!!

私は今日も、家の片づけをしています。

なんだか、ずっと、家の中を片付けしていなかったので、メチャメチャになっています。

古いものとか、ずっと捨てられなかったためにたまっていて、家の中がいっぱいでごちゃごちゃに
なっているので、片づけているのですが、すごく時間がかかりそうです。

まあ、少しずつ、毎日やるつもりです。

でも、これまで古いものへの執着が強くて、なかなか捨てられなかった、というのも
やはり私の心の状態が、どこかで止まってしまっていた、ということでしょうね。

なので、固着していたものと思います。

しかし、ごみ屋敷になっては困るので、手放す訓練をしていかねば、と思います。

今、仕事でアルゼンチンへ行ったときにホテルでもらったタンゴの音楽、アコーディオンとピアノ
を聴きながら。。

過去を思い出して、過去を手放すために。
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書籍の整理を開始 まずは文庫の整理 [手放すこと Letting go]

こんにちは!!

先日、たまたま図書館の入り口前で安売りしていた文庫本(一冊50円)のなかに、カンタベリ物語を見つけて
買ってきて以来、すごく英国への興味がわいています。

英国だけでなく古典文学への興味が。。。

今朝も、目覚めの時にはすごい苦しい気持ちになったのですが、これも私の中で許されていなかった
甘える気持ち(エネルギー)が外へ向かって出ていこうとするための苦しさだと思います。

でも、だんだんそのエネルギーが外へ向かって言ってるのかもしれません。

これまで、自分の思いの中にあったことを現実の世界に体現することが難しかったのですが、
だんだんとそれができてき始めたのかもしれません。

また、いろいろなことを同時にやるのが難しかったし、整理することが難しかったのですが、だんだんと
頭の中が整理されてきているのかもしれません。

自分を動けないように縛っていたものが少しずつ解けているのかも。

そして、不思議なことなのですが、神様に従うということは、自分が左を向くことで、それは自分の子供の
部分が優しくて愛情豊かで、私のことを本当の愛で愛してくださる神様、つまり天のお父様(親)の導きに
従うことは、自由になることなのだ、ということなのです。

本当に不思議なことです。

神様に従う、ということは、自由になることなのです。
なぜなら、神様は真理であり、真理は人を自由にする、と聖書に書いてある通りなのです。

それは、肉の親から叩き込まれた、絶対服従の私の自由意思のない服従とは違うのです。

私は肉の親から、親に従うことは自分の自由が奪われてしまうことだ、という風に間違ったしつけを
されていたのです。(妹や弟も同じと思います)

でも、自分の自由意思で神様に従うこと(愛にあふれた神様に従うこと)は、自分が自由になることなのだ、
と感じています。

自分の自由意思で従うのです。

絶対服従させられるのとは違うのです。

つまり、自分の自由意思で従うのか、自由意思によらず、無理やり従わされるのか、は、まったく逆なのです。

だから、放蕩息子のお父さんは、それが分かっていたのですね。
自由意思で従わなければ意味がないことを。それが愛の関係なのです。

なのに、わたしは子供のころに父親や母親が私に絶対服従を要求したために、わたしは父や母を憎むし、父親や母を信用しないし、なのに、絶対服従という関係しか教えてこられなかったのです。

自由意思で喜んで従う、ということを教えられてこなかったのです。
自由意思で喜んで自発的に神様に従うことは、自由になることなのです。
それは、愛だからです。愛によって神様に従うことは、神様がよいお方であることを信じていることになるからです。

だから、まずは、甘えの芽が出てこないとだめなのです。

やっと頭でわかっていたこと(子供の時に芽生える甘えは、これから育つ愛の芽であること)が、実際に感じられるようになったのです。

そして、文学への興味も回復して、だんだんと、整理ができるようになり、自然と家の中の文庫を整理し始めました。

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手放すことが大切 [手放すこと Letting go]

おはようございます!!

今朝も、目覚めにいろいろな苦しい感情が出ていました。

でも、昨日は一日、また、いろいろなアメリカのクリスチャンの放送をインターネットで視聴して、さらに確認したことがあります。

それは、やはり、私の中にずっと今まで無意識の中で残っている記憶、ネガティブな感情を伴う記憶、

つまり、幼児期の父親から拒絶されたり、母親から傷つけられたことに対するこだわり、

許せない気持ちや、自分がどうしても手放せない悲しみ。

自分を憐れむ気持ち(自己憐憫)、自分が被害者だという思い(被害者意識)、

また、母や父や人を責める気持ちや、

自分は正しい、と言いたい気持ち、
自分には落ち度がない、と思いたい気持ちを

これらのこだわり、固執を手放すことができるようになることが必要だ、
という事です。

そして、昨日聞いたラジオで、Dr. James DobsonのFamily Talkというラジオ番組ですが、

朝鮮戦争の最中に米兵と朝鮮人の女性とのあいだに生まれた女性で、その後、ストリート・
チルドレンになって7年間親がいなくて生きてきて、9歳の時にアメリカ人の宣教師のところに
養女となって引き取られた女性が、話をしていて、非常に共感するものがありました。

しかし、彼女はそれだけのひどい虐待を子供の頃に経験したにもかかわらず、アメリカに
もらわれて行って、その傷からも癒されて、イエスキリスト様の導きの中で生きているのです。

すごいことだと思います。

やはり、アメリカはキリスト教に根ざす文化が根底にあるし、素晴らしいキリスト教信徒の人たちによる
愛の手が差し伸べられているし、また、ニューライフや、依存症患者の更生施設で救われるひとや、
様々な、立ち直る機会が与えられ、その環境も日本とは全然比べ物にならないのかな、と思いました。

そして、その韓国人Xアメリカ人のステファニー・ファースト(Stephanie Fast)さんは、そこから癒されて行っているのですが、それはやはり、イエスキリスト様の力によるものです。

ステファニー・ファーストさんのことは、下記のサイトで見られます(英語です)。
http://powertochange.com/discover/faith/outcast/

彼女は、まず、ワールドビジョンというクリスチャンの団体によって、ストリート・チルドレンから、その団体の運営する孤児院へ行くことができたのです。

そして、そこを訪れたキリスト教の宣教師の夫妻にもらわれてアメリカへ行って、養女になったのです。
ですから、家庭はキリスト教の宣教師、しかも、彼女が初めてあった時から、ものすごい慈愛に満ちた人だったそうです。

そして、そこから、養父母に愛されるようになって、また教会に通ってイエスキリスト様を信じてクリスチャンになって、成長することができたのです。

でも、やはり、人間関係において、どうしても自分を許すことができなかったり、人を信じて打ち解けることが難しかったりして、過去に埋もれさせていた幼い頃の記憶が原因している、それが癒される必要があることを知ったのです。

しかし、宣教師の父親はものすごく理解のある、愛情の深い人で、彼女にそのことを教えるとともに、イエスキリスト様は、彼女と一体になること、彼女にidentifyするために来て、この地上で生きてくださったのだ、そして、
馬小屋で生まれて、十字架に掛かってくださったのだ、と教えられて、

彼女の心が解かされていったのです。

そのことは、とても肝心なことで、私は以前、イエスキリスト様が私とidentifyしてくださっているのだ、ということを明確に理解していませんでした。

むしろ、私がイエスさまとidentifyしなければならないのだ、と思っていたような気がします。

つまり、私が何かをしなければならない、といつも自分が何かをしなければならない、と思っていたのです。

逆に、私がイエス様からidentifyしてもらう、ということを意識したことはありませんでした。

それは、私が、イエス様の愛を受け取ることができなかった、ということなのではないか、といま、これを書いていて思いました。

イエスキリスト様との関係は、私が何かをするのではなくて、イエス様が私にしてくださることを受け取る、ということではないか、と思います。

私は、これまで自分が何かをしなければならない、とずっと思ってきたのです。

幼児期でさえ、私を怒ったり、泣くなと言ったり、拒絶する父に対して、私は何をしたらいいのだろう、と常に自分が父から怒られないようにするためにはどうしたらいいのか、ということを考えていたように思います。

何かを自分がしてもらう、ということに慣れていなかったのです。
そういうことはいけないことだ、と思うようになって、してもらうことを受け取ることができなかったように思います。

それは、すなわち、言い換えると、甘えることができなかった、という事です。
自分を抑えて、殺していたからです。

だから、イエスキリスト様が、私とidentify してくださっっている、イエス様が私のなかの弱い自分、そして
認めたくないような自分の過去にidentifyしてくださっている、つまり、共感してくださっている、ということが理解できなかったのです。

それが分かってはじめて私の罪がイエスキリスト様の愛によって、そして十字架上での犠牲によって
許されている、と思えるようになり、自分の心の中の重荷をすべてイエスキリスト様に任せることができるようになるのだと思ったのです。

これは、大きな気づきであり、もっとそこを掘り下げて、自分の過去や傷やすべてを
イエス様にお任せして行けたらいいと思います。

今週は、先日もここに書いたように、ベニー・ヒンがテレビ番組で、メロディー・ビアティーさんにインタビューしていて、そのメロディーさんのお話もすごいお話で、ものすごく感銘を受けたし、参考になり、癒されました。

メロディーさんの本で紹介されていたものに
The Language of Letting Go  手放すための言葉

というのがあり、Letting Go 、つまり、こだわりを手放す、ということがひとつの重要なポイントだ
と思っています。

また、ステファニーさんは、キリストが私にidentify してくださっている、共感してくださっている、
ということ、それが自分の本当に見たくない、思い出したくないし、つらい記憶のところで実感して
それを受け入れることの大切さをはなされたと思います。

それらを私も求めていきたいのです。



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