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父に愛されなかった傷が深く無意識に埋もれていたことが浮上 [トラウマからの開放]

こんばんは

今日は先ほど誘導瞑想をしているときに、この前にも記憶が浮上していた子供のころの出来事が再び意識に登ってきました。

その出来事とは、お正月に私が楽しみにして一日中待っていたテレビの新春特番が始まろうとしたときに、父から、「一日中テレビをつけているから、テレビを休ませないといけないから切りなさい。」と命令されたときのことです。

その日、私は一日中この番組が始まるのを待っていたのに、そんなに急に命令されても従うことはできなかったのです。それで、切りたくない、と抵抗したら、父は案の定怒って、あくまで抵抗する私に対して手の甲で私のほっぺたを殴って、無理矢理テレビを切ったのです。

それで、一日中楽しみにしていたお正月の特番を見ることはできなかったのです。

その時のことは非常に思っていた以上に傷になって残っていたようです。
今も、これを書いていると涙が出そうになっているので。。

父は、自分が急に何かを思いついて、言い出したらもう絶対にそれ以外の答えはないのです。
それについて、話し合うとか、交渉するとか、お互いが納得するまで話し合って答えを出す、とか、そういうとにかく話し合いをしよう、ということは全く望むべくもないのです。

父は、自分が絶対者なのです。そして、専制君主であり、独裁者なのです。まさに、北朝鮮状態なのです。

だから、私も父に対して、私はこの番組を一日中楽しみにしていたのだから、この番組だけを見たら切るから、これだけ見させてほしい、と交渉することを考える余地もなかったのです。
何故なら、父は話し合って決める、などということはそれまでの経験からあり得なかったからです。

父は、自分が言い出したら絶対に人のいうことに耳を傾けることはないし、お互いの満足する答えを出すために妥協しよう、という考えがなかったからです。

それをもう一度、なぜそういうことになっていたのか、その出来事について、色々な思いを巡らせているようです。多分、この出来事が今でも引っかかっているのは、まさに、この出来事が私の記憶と感情の中で未解決のままに残っているからだと思います。

何故父がああいう態度をとったのか、そして私と父がぶつかった出来事が私の子供の部分で納得できないまま、引っかかったままになって残っているのでしょう。

だから、再び、誘導瞑想でその記憶が浮上してきて、色々な思いを巡らせているのだと思います。

子供の時には理解できなかった父の態度や私とぶつかったあの出来事はどういうことだったのか、今の私の大人の目で客観的に理解しようとしているのだと思います。

そして、また、分かってきたことは、その時の父の態度は、私が子供の時に普段から感じていた父の典型的な態度であり、私はそういう父の冷酷な石のような態度から、自分が父に愛されていない、とに自嘲的に感じていたけれど、その気持ちを常に我慢していた、ということを思い出したのです。

ともかく、子供のころ、私は父から拒絶されている、私の本来の生き生きとした子供の自分というものは、父から嫌われているし、拒絶されている、と常に思っていたことを思い出したのです。
それが、特にそういう出来事はそれを象徴する出来事だった、ということだと思います。

そして、その非常に私に対して圧迫的な父の存在と言うものが私をすごく圧迫して、抑圧する尊大だったのだ、ということと、そのような父の存在感が私の体の中に入り込んでいる、ということが分かってきたのです。

だから、父のそういうすごく抑圧的な圧迫的な存在感も、私の中にプログラミングされていて、私がこうしたら父がどういう態度で私を攻撃して抑圧するか、ということが一瞬で私の中に反応を起こさせているようです。そして、その反応によって、ホルモンの分泌とか、化学物質の分泌とかが起こって私の身体や感情や精神に影響を及ぼしているのだと思います。だから、これもすごいプログラミングになっているので、このプログラミングも変えて行かなければならないのだ、と分かってきたのです。




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自分で自分の中の子どもの部分を攻撃していたことが判明 [トラウマからの開放]

こんばんは

今日は夜にかけてずっと誘導瞑想していたら、すごい毒的な恥の感情が出て来ていました。
それは、理由のないすごく耐えがたい恥の感情です。その源を考えていると、それは幼い時に親から拒絶されたことが原因であると思えました。

そして、いったん休憩して、また誘導瞑想をしていたら、今度は、また一年前に母に実家で私がブルガリアから輸入して大事に育てていたバラを滅茶滅茶に切られた事件のことを思い出し、特に、その切られたことに対して、私が大泣きをして悲しんでいたのに対する母の非常に不自然な反応を不思議に感じて、なぜそうなるのか、理解できなかったのですが、のことが再び意識に浮上してきて考えていました。

その反応の中でも、特に私が大泣きをして悲しんでいるときに母は、自分が怒って、その怒りを抑えられずに、台所でお皿を何個も投げて割っていたのです。そして、私がそれでも泣き続けていると、今度は別の部屋に行って、その部屋にも食器棚があるのですが、そこでも皿を何個も投げて割っていたのです。

私としては母にひどいことをされて泣いているのに、なぜ母が怒って皿を割らなければならないのか理解できませんでしたが、まあ、母の反応はいつもこんなものなので、またか、と思っていたのです。

しかし、皿にひどいことは、その後で母の前で私が悲しさが抑えられず、大事に育てていたバラをダメにされて、生きる望みもない、と言ったら、母は、じゃあ、一緒に死のうか、と言ったのです。

母は非常に否定的な人だし、私に共感することは絶対にできない人だし、私を傷つけても平気な人なので、まあ、そういうことを言っても不思議ではないのですが、そういう反応が出るということ自体、ものすごく病的でひどいことだ、と改めて思ったのです。

ともかく、私はその時、母に、私は母にバラを切られて嫌なことをされて絶望しているのに、そんな嫌な人と一緒に死ぬなんて絶対に嫌だし、私は母と運命を共にすることは嫌なので、私は母とは関係なく、一人で生きて行く、と言ったのです。

ともかく、そういうひどいことをしておいて、皿に傷つけるようなひどいことを言うことのできる人だ、ということで、とにかく、この人と一緒にいたら傷つけられるだけだ、と気づいたのです。
母親だと思って接していること自体が間違いだった、と分かったのです。

そして、さらに誘導瞑想をしていると、私の中で、身体の左側にいる子供の部分にたいして、右側の大人の自分が、ものすごく怒ってその子供をナイフで何度もさしているような、子供の部分を殺そうとしているようなすごい衝動のようなものが湧き上がったのです。
それは、すごい恨みと言うか、怨念というか、怒りの衝動で、それが子供の部分に向けられていたのですが、まるで、自分の中のどうしようもない怒りというか、怨念を弱い子供に向けて発散させているような感じでした。

子供に罪はないのに、子供は弱くて、自分に依存しているので決して自分から離れて行かないので、自分の中の怒りや怨念やカルマをぶつけるのにちょうどいい対象なのだ、と言うのがその時に分かったのです。

これが、母が私につらく当たっていた原因なのだ、と。つまり、母の中にある色々な母自身が多分親から受け継いだ怒りや恨みを、ただ単に弱くて、決して自分から逃げない、ちょうどいい対象として私に怒りをぶつけていたのだ、ということ。つまり、母が私にしていたことは、いじめだったのだ、ということです。

それをはっきりと理解できたのです。いじめっ子の気持ちなのだ、ということが分かったのです。
そして、いじめっ子は強い相手や、外の人には怒りを出せないので、外では猫をかぶって、家の中の弱い対象で自分から逃げることのできない相手の子どもにその刃を向けるのです。

その心理がやっとわかってきたのです。だから、私はいじめっ子に対して自分を愛してもらおうとして尽くしていたのだ、ということです。それはしょせん無理だったのです。母の私に対する感情はいじめっ子がいじめの対象に持つ感情と同じだったのです。だから、私はいじめっ子から逃げるしかないのだ、ということです。父も同じかもしれませんが、父のはもっと巧妙かもしれません。

ともかく、母を母親として見ていたことが間違っていたのだ、と気づいたのです。
母は、私をいじめの対象として見ている、ということを理解して、そういう心理を理解して、いじめっ子としてみなければいけないのだ、ということでした。

私の無意識で母親としての態度を求めていたのが間違っていたのだ、ということが分かったのです。

そして、自分の中にもその母親の心理が無意識に移り込んでいて、母を取り入れて、自分で自分の中の子どもを攻撃して、ナイフで殺そうとしていたのが分かったのです。そして、それは無意識に怒りとなってそうしていたのです。

本来、母にひどい仕打ちをされて母に怒りが出ていたのが、今度は自分の中に取り入れた自分の中のひどい親が自分の中の子どものを部分を怒りに任せてその怒りで攻撃して殺そうとしていたのです。

やっと、それが分かってきました。
本当にひどいことです。
だから、親からされた仕打ちを自分は子供に繰り返すまい、と思っていても知らないうちに、親と同じことを自分の子どもにしていた、ということになるのは、こういうことなのでしょう。

いかに、意識と無意識がずれているか、ということです。
そして、無意識が圧倒的に強いということであり、それだけ、幼い時に親から無意識にプログラミングされているものはなかなか変えられない、ということでしょう。

だから、無意識が親から子へと代々、伝えられていくのでしょう。意識は関係ないのです。

親からされたことを無意識は習得しているのです。
本当にひどいことです。






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