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母の残酷さについての気づき [トラウマからの開放]

おはようございます。

今朝、先ほど誘導瞑想をしていて気づいたことがありますので、
書き留めておきたいと思います。

母に私の大事なバラの木を切られたことで、幼児期より継続的にさらされて
きた母からの感情的な虐待(母の共感力のなさによって受けた心の傷、
母から受けてきた深い傷)と相まって、ものすごい痛みが噴き出している
のですが、そのことについて気付きがありました。

というのも、母親という本来ならば私の大事な生物(バラ)を傷つける
なんて考えられない立場の人が平気で私の心を踏みにじってその生物を
勝手にめちゃめちゃに切って、徹底的にダメにする(生命力を殺す)
ということが、どうしても私の心の中で納得がいかなかったのです。

その納得がいかない、というところが私の心の中ですごい傷になって
痛みが出ていたようです。

つまり、母親たるものがそんなことを平気でするということが、私の
中の子どもの部分にとってどうしても理解できず、痛みとなって苦しんで
いたのです。

誘導瞑想の中でその痛みに集中して、自分のハートを愛するように集中
していたら、だんだんわかってきたのですが、ティール・スワンさんが
言っているように、乳幼児期に感情が拒否されたりしてトラウマを受けた
ために、自我のアスペクトがバラバラに分裂してしまっていたのです。
その分裂した自我のアスペクトを取り戻して統合しないといけないのです。
魂を取り戻すということ多と思いますが、英語ではソウルレトリーバルと
呼んでいるようですが。

トラウマを受けていると、自我のアスペクトが分裂してしまっており、
その一つ一つの力が弱いために、何か現在の問題に直面したときに
それを受け止める器が弱すぎるのだと思います。

分裂した自我のアスペクトを統合していけばだんだんと強くなるものと
思います。

また、何故母が平気で私の傷つくようなこと(バラの木を二度にもわたって、
私が切らないでくれ、と何度も懇願しているにも関わらず、私の気持ちや
懇願を無視して勝手に切ってしまうこと)ができるのか、理解できないので、
ずっと苦しんでいました。そしてどうして平気でそんなことができるのか、
を問い続けていたのです。

そして気付いたのです。そうだ、母はそれが平気でできるのだ、と。
それは事実として認めなければならないのだ、と。
それが母なのだ、と。それが母の本当の姿なのだ、と認めることが
必要なのだ、と気づいたのです。
私はこれまではずっと、何故母はそれが平気でできるのか、理解できない
ために、傷ついて、幼児期からの傷も噴出して苦しんでいたのです。
それは、母がそれを平気でできる、ということに抵抗していたのかも
しれません。

母はそれを平気でできるのだ、ということがふっと受け入れられたのです。
母には私の心は通じていないのだ、と。
私にとってそのバラの木が大切なものなのだ、ということが母の心の中には
響いていないのだ、それが通じないのだ、ということが受け容れられるような
気がしたのです。

それが事実なのです。
その事実がこれまではものすごく私の心を傷つけていたのですが、それを
受け容れることにしたようです。少なくとも、そういう気づきがあったのです。
母には私の気持ちを理解しようという気がないし、理解できないのだ、と。
母の気持ちは自分の方にしか向いていないのです。
心が開かれていないので、私の気持ちを理解することはできないのです。
そういう気づきが心の中で与えられたようです。

それは、これまでは頭の中で分かっていても、心の中の幼児期のトラウマが
あったために、痛みが噴出して、心の中で理解できなかったものと思われます。
心の中でそれを理解する気付きがふっと沸いたのです。

それは、母の行動に対する客観的な洞察だと思います。
やっと、心の中で客観的な洞察が与えられて、この傷から少し癒される
ような気がしました。








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自分をネグレクトしていたことに気付きました [トラウマからの開放]

こんにちは

先ほど、誘導瞑想をしていて、その誘導瞑想の文言の中に、
親から受けた色々な形のトラウマを列挙していて、そのひとつに
ネグレクトされていた、または無視されていたという言葉があり、
今回はそれが飛び出して心に響いたのです。

というのも、親からネグレクトされていた部分は、今自分が自分で
ネグレクトしている部分だ、ということに気付いたのです。

つまり、親から認められず、無視されネグレクトされて傷ついていた
自分のなかの一部分(感情です)は、親から無視されていた部分ですが、
その親を取り入れて、自分自身でもネグレクトしていた(無視していた)
ことに気付いたのです。

それは、私の子どもの部分の本来の感情の部分ですが。。

自分でその部分を丸ごとネグレクトしていたことが分かったのです。

親にされて、傷ついているとばかり思っていた部分ですが、実際、
自分でもその部分を無視していたことが分かったのです。
親を取り入れて、自分のその部分を無視するように無意識でそうなって
しまっていたようです。

なので、ネグレクトされていた自分(子供の感情の部分)に気付けたのは
とても良かったと思ったのです。

また、昨日は、「ハートから生きる」ということをテーマにした
ドランヴァロ ・メルキゼデクさんのビデオをずっと見ており、
瞑想の中でも自分のハートにエネルギーを送って、自分のハートに向かって
自分のハートに愛を送ったのです。
ともかく、自分を愛するには、ハートにエネルギーを送ることが
必要だと思ったのです。

ハートチャクラが開かれるように目指していこうと思っています。

ちなみに、ドランヴァロ・ メルキゼデクさんは、大変面白く、
興味深いことが分かりました。
アメリカのアリゾナ州のセドナに住んでいるそうですが、
私も最近はセドナに行きたくなっているところです。
セドナ以外にも世界のいろいろな聖地を訪れてみたいのです。



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シャドーワークが佳境に入ってきた? [トラウマからの開放]

おはようございます!

実は、昨日までの数日間、この前の年末に実家に帰ったときに、
母にダマスクローズを切られていたことが分かったことが
トリガーとなって、私の中の無意識の深いところに沈んでいた
乳幼児期に端を発すると思われる傷が、ますます痛みを増して
きていたのです。

それに加えて、昨日あたりまで、特に幼児期に私が泣こうとしたり、
ぐずぐず言ったり、駄々をこねようとするときに、父親から
ものすごい怖い顔と声で怒られていたときの、まさにその父親の
起こった不機嫌な声が頭の中で聞こえて来て私を悩ましていたのです。

幼児期に父親が私に怒っている声が聞こえてくる前は、母親が私を罵倒する声とか
私をなじる声とか、母がいつも私に浴びせていた被害妄想的な言葉が
その時のままによみがえって来ていたのです。

これは、恐らく、これまでずっと毎日誘導瞑想をしていることによって、
どんどんとこれまでがっちりと固めていた防衛機制が崩れて来て
その奥に固められていた母親と父親によって浴びせられていた私を責めて
迫害する感情と声の記憶が当時のままによみがえっていたものと思われます。

それと同時に、そのような父親と母親が私を幼児期に責め立てる声に対して
私がどう感じていたか、それをどんなに嫌な思いで受け取っていたか、そして
それをどんなに避けたかったのか、という感情も思い出していたのです。

そうしているうちに、昨日は誘導瞑想をしていると、信じられないような
痛みが噴出していたのです。
それは、幼児期に父親から(母親からも)浴びせられるマイナスの感情に
よって私の中に引き起こされていたものすごい痛みです。
これは、感情の痛みのはずですが、体の中で実際に感じる痛みと同じ
ようにすさまじい痛みです。実際に体の芯でその痛みを感じるのです。

今こうして誘導瞑想を通してやっていることはいわゆるシャドーワーク
だと思っており、これから逃げることはできないのでしょう。

こんなにひどい痛みが出てくるときに、感じるのはこの痛みはあまりに
圧倒的な痛みであり、幼児期にはあまりに圧倒的な痛みで耐えられない
痛みであったため(父親から拒絶されること)、抑圧していたものと
思われます。
ともかく、父親と母親の拒絶が交互に浮上しているようです。
特に父親からの拒絶はものすごい恐怖を伴っているために、意識に
登ってくることへの抵抗がすごくあるようです。

そして、今朝の目覚め前にはこれに関連するような夢を見たのです。

その夢の中では、かつて知っていた男性が出てくるのですが、実際のその人は
とてもやさしい、理解のある人です。

その人が何か疲れた様子で布団を敷いて寝ているのです。
そこに、小さな男の子が出て来て、その子はその男性の子供で、お父さんに
話しかけたいようです。
しかし、その男性は何故か自分は疲れているとか何とか言って、その
男の子を邪険に追い返して、近寄ってくれるな、みたいなことを言っているのです。

その子はそれが分からず、何度も近寄ろうとしているのです。

私はそこにいて、その男の子が可愛そうになり、その子に、お父さんは
今疲れているから、近寄ることはできないんだよ、と教えてあげるのです。

そして、私は何かを取りにその男性のそばに行くのですが、その男性は
非常に不機嫌で、私がそばに近寄ったことも気に入らなかったようで、
私にも不機嫌な様子で何か文句を言うのです。

私はその人を刺激しないように、機嫌を取るために特に刺激のない何でも
ないようなことを言って、その場をしのぐのです。

目覚めたときに、その夢はまさに、私の父親との関係を象徴している
ような感情が出てきているのを感じたのです。

ともかく、この父親の不機嫌な感情が出ているのと、父の不機嫌によって
私が攻撃の対象とされて責められ続けて叱られ続けている時のものすごく
辛くて痛い感情が噴出してきているようです。

それに、母親にバラを切られたことから発生している母親からの
虐待のトラウマも同時に出てきていてものすごい心の中の傷と痛みの
噴出になっているのです。

それだけ深く傷を押さえつけていたものと思われます。
身体の左の部分の中に深く深く眠っていたものと思われます。
今も、その母と父の攻撃によって私のその深い部分がマヒ状態に
なっていた、すなわち仮死状態になっていた、感覚がよみがえっています。

これだけひどいことをされたら、麻痺状態になっても無理はないものと
思われます。

今、それがその時のままによみがえっているようです。
マヒ状態が解除されてきているのかもしれませんが、それによって
押さえつけていた痛みをその時のままに感じているので非常に
圧倒的な痛みなのです。
ともかく、その傷と痛みと悲しさを味わっていくしかないと思います。
そして、幼児期には父や母からの感情の虐待に対して、私の中の子供の
感情を誰もわかってくれたり守ってくれる人がいなかったのですが、
今それを私自身がわかってやって、自分の中のチャイルドを愛して受入れて
行くことが必要なのだと思います。
ともかく、自分のチャイルドを見捨てないであくまでも、そばにいて
受入れていくことが必要なのだと思います。

追伸

書き忘れていたのですが、
もう一つ今朝の目覚めに感じたことがあるのです。

それは、目覚め前に見たこの夢の感覚の延長上で感じていることで、
この感覚は、私が子供のころに繰り返し見ていた夢の中に出てくる
シーンの感覚の中に今自分が入ってきている、ということです。

つまり、子供のころの私(小学校まで)は、外の世界では何でも
できて、大人のいうことをよく聞くし、妹や弟の世話を良くするし、
いい子であり、優等生であり、リーダー的な明朗活発な子供として
認められていたのです。

しかし、その割には毎晩見る夢の内容は、母親から迫害されて
ナイフを首に突き刺されそうになっている場面だったり、あるいは、
巨大なトイレの汚物の海の中に自分がいて、そこは汲み取り式トイレの
汚物の桶の中だったり、という具合で、自分でもなぜそんな夢を見るのか、
子供ながら、あまりに自分の学校での優等生のイメージと違う自分が
夢に出てくるので不思議に思っていたのです。

それは、今から思うと、意識と無意識が分裂していた症状が
出ていたのだと思いますが、今こうしてシャドーワークをしてきて、
どんどんと掘り下げて無意識の中に入って行くうちに、ついに
その子供の時に見ていた夢の世界、即ち子供のころに抑圧していた
無意識の中に入って行っているのではないか、と思ったのです。

つまり、子供のころに分裂して、無意識に抑え込まれていたその
疎外されていた自我の部分(迫害されている自分、そしてその痛みと、
あらゆる感情)に突入しているのではないか、と思ったのです。

それは、やっとやっと、分裂していた自我の埋もれていた部分、傷ついて
死にかけていた自分が意識に浮上してきているのではないか、と思い、
ものすごい痛みとまるで地獄のような苦しみですが、それを耐えていくしか
ないと思っています。
そうして耐えて行けば、この埋もれていた自分(感情)が統合されていくの
だろうと思います。

これは、一度だけのことでなく、何度も薄皮がむけていくような感じで
どんどんと中に入って行くことのようです。



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パターンが繰り返された夢をみました [夢日記]

おはようございます

今朝の目覚め前に、また代わった夢を見ました。

そこでは、小学校から高校までの同級生で、幼馴染の女性の友人が出て来て、
他の小学校の友人たちも一緒にいて、懐かしいなあ、と思っているのですが、
その中で、私とその友人が並んで立っているところに、小学校時代に
人気のあった男の子が来て、彼女の隣に立っているのですが、気が付くと
その男の子が彼女の肩に腕をのせて仲睦まじそうにしているのです。

それで、私は彼女に裏切られたという感じになって、パターンが繰り返された
と思い、落ち込んでそこを離れて妹のところに行くと、妹は、彼女が自己中心で
ひどい人だ、というような逸話を私に話すのでした。

現実は彼女がそんなにひどい人だとは思っていませんが、小学校と中学校の
同級生のお個々の子の中でなぜか彼女と私は同じ人に心惹かれる傾向があるようで、
しかも彼女はその男の子たちの心をつかんでしまって、私は悲しく恋に破れる
というパターンがあったようです。

それで、いまだに彼女に対してある種の恨みを抱いているのかもしれません。
ともかく、何か私の心の中で抑圧していたものが出てきているようです。
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ありのままの自分を受け入れるとは、が分かりかけてきました [自己一致(統合)するために]

おはようございます

昨晩、眠る前に誘導瞑想をしたのですが、そのあとふっと気づいたことがあるのです。

それは、私がこれまでにやってきたことのなかで、社会的、道徳的に
良くないと思われることをいくつかやってきていることに気付いたのです。
そして、そのことに対してやましい思いが出て来て、自己嫌悪になりかけたの
です。

ただ、今回はその自己嫌悪がそれだけで終わるのではなく、そのような自分を
これまでのように否定するのではなく、むしろ受け入れようとする気持ちが
働いているのに気づいたのです。

つまり、それがありのままの自分を受け入れる、ということなのだろう、
と初めて分かったのです。

そこへ行く前に、瞑想に入る前、そして入ってからもすごい左側に
苦しいものがあったのですが、ともかくその苦しい自分を受け入れて、
自分をとにかく愛するということを自分に言い聞かせていたのです。

つまり私は幼児期からありのままの自分を愛され、受け入れられたことがなく、
罰されて、責められてばかりだったので、それを変えるために
自分で自分を愛することを試みていたのですが、そこから、
これまでは自分で自分を責めていて絶対に受け入れられないと思って
いたような、自分の罪の性質と言うか、欲の部分を受入れて
認められるような部分が浮上してきたものと思われます。

これまでは、自分の欲はいけないものとして、親からさばかれていたので、
自分でも、自分の欲を良くないものとしてせめて抑圧していたものと
思われます。

欲とは、欲望なのですが、その根は幼児期の甘えから発生する欲望であり、
その欲望こそが生きるエネルギーになっていると思うのでその欲望を
全て押さえていたところからポジティブな生きるエネルギーまでも
押さえつけられていたものと思われます。そして、自分が全く出て
こられなくて、自分が生きられなくなっていたのです。

根本的な甘えが認められて自分の欲望が意識に登って、それから初めて
その欲望を自分の意志で選択できるように自分を育てていくことが
できるのだと思います。

欲望をすべて押さえつけていたのでは、欲望が無意識のままになって
しまい、無意識の欲望によって自分が振り回されてしまうのだと気づいたのです。

それに気付いた時に、世の中の犯罪の多くもそういう無意識の欲望によって
起こされているのではないか、と思ったのです。

そうすると、幼児期に自分の欲望を意識化していくことがどんなに
大切かが分かるというものです。ただし、幼児期にできなかったとしても、
いつからでもそうやって無意識の中に埋もれている自分の欲望を
意識化して、健全な方法でその欲望を満たしていくことが大切である
ことに気付いたのです。

すべては、無意識の意識化から始まることが分かったのです。

また、それは、条件付きの愛から、無条件の愛への移動のようです。
これまでは、幼児期の親から条件付きの愛しか与えられなかったので
自分でも自分に条件付きの愛しか与えられず、無条件の愛と言うものを
知らなかったのです。だから、ありのままの自分を受入れることが
出来なかったわかです。それが、自己愛欠乏症になっていたのです。
それが、共依存と言うものです。

やっとその辺のつながりが分かってきました。

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もう一つのコアビリーフは「裏切られた」だった [母との関係]

おはようございます

昨日、また誘導瞑想しているときに出てきたコアビリーフがあるので
書き留めておきたいと思います。

それは、母との関係において、私は母に「裏切られた」という思いです。

これは、昨年末に実家に戻ったときに発覚した、私の大事なバラを母に、徹底的に
勝手に枝を切り捨てられていた、ということに対するやりきれない母への怒りと
悲しさがいまだに出てくるのですが、それがやはり、根本的に生まれて間もなく
母に裏切られて続けているという、トラウマに通じているのですが、

その「裏切られた」と言う感情を私が抱いていて、そのことがトラウマになってひどい痛みを
起こしていたことが分かったのです。

今回のバラのことは、その根深いトラウマが再び刺激を受けたということです。

コアビリーフには母に「裏切られた」という感情でありそれが波動となって
パターンを繰り返していたのだと分かったのです。

そのコアビリーフが無意識の中にあったために、無防備になってしまい、
無意識のうちに同じパターンを繰り返していたものと思います。

また、母に対してもそれに気づいていなかったので無防備のままで実家に
戻っては、母に裏切られてトラウマを繰り返すというパターンを繰り返して
いたものと思われます。

だんだんと分かることは、母に幼児期からものすごいコントロールと洗脳を受けて
しまい、母に捨てられると生きていけないために、母に思うように洗脳されて
いたことが分かってきたのです。

まさにストックホルムシンドロームであり、北朝鮮状態になっていたのです。
自分で自分を苦しめるパターンを創り出して、母に縛り付けられて母から逃れて
現実の世界を見ることができなくされていたものと思われます。

そして、母から捨てられると生きて行かれないという思い込みを刷り込まれて、
母を理想化してその支配から逃れられなくされていたことが分かってきました。

ともかく、私の脳が完全にマインドコントロールされていたことに気付いたのです。





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父とは別の本来の自分の感情が初めて出たようです [父との関係]

今日は二度目のエントリーとなります。

先ほど、また誘導瞑想をしていますと、今度は父に対する感情がでてきて、
感情に伴う大きな気づきが初めてありました。

それは、私が仕事関係の人は最優先にして、友人たちにもそれを当然として
押し付けていたことが、ちょっとおかしいのではないか、と初めて気付いたのです。

つまりそれは、私が友人たちを粗末にして、友人たちにも私が仕事を優先する
ことを当然のこととして受入れてもらうことを期待していたのですが、それは
普遍的な価値観ではないことに気付いたのです。

そして、私がそういう価値観を持つに至った原因が、私の子どものころからの
父親の価値観にあったことに初めて気づいたのです。
つまり、父が私たち父以外の家族のこと(人格や気持ちや、感情など)よりも、
父の仕事の方を圧倒的に優先することを当たり前のこととして受け入れていたの
ですが、それは普遍的な価値観ではなく、むしろ、家族をおろそかにして仕事に
没頭して仕事を最優先にして、家族を顧みない非常に非人間的で愛のない価値観で
あることに初めて気づいたのです。

つまり、私はあまりに幼児のころから父親の感情ばかりが優先されていて私の
感情は全く顧みられず、拒絶されていたために、自分の感情を感じるように自我が
発達することができずに、父の感情が私の感情となっていたのに気づいたのです。

だから、父が仕事を最優先して私の感情や私の人格が顧みられずに、まったく無視
されていても、それを当たり前のこととして、抗議することも、怒ることも
できずに、父を受容して、そういう父の価値観が自分の中にも入り込んでいることさえ
気付かずにいたことが分かったのです。

それが、当然と思っていたのです。人間的な愛とかつながりとか、を軽く見るように
なっていたものと思われます。

それに気づくとともに、私の中ではそういう父に対して、自分の方を向いて欲しい、
とか、自分の気持ちを聞いて欲しい、とか、興味を持って話を聞いて欲しい、
などという欲求は持つだけむだということで、完全に無意識に追いやって、父親を
表面だけの関係にして、本音ではバカにして(というか恨みで)
無視するようになっていたものと思われます。

だから、父を横目で見て、人間的に浅はかな者だとバカにしていたものと思われます。
つまり、本当の関係を持つことのできない知能の低い人だと思っていたのですが、
実際には父の感情のIQが足りなかったものと思われます。

父親との感情を伴う関係が全くなく、何故そうなったのか、ずっと分からなかった
のですが、やっと父に感情のIQが足りなかったことが分かったのです。

幼児の私の方が父や母よりも感情のIQが高かったのだと思います。
また、幼児の脳は感情脳だけで生きているからなおさらです。。
父の知性の面でなく、感情のIQの低さを馬鹿にしていたものと思われます。

しかし、幼児期にはそれさえも抑圧して無意識に追いやって、父に合わせていい子にしていた
ために父の価値観が自分の価値観になって、本来の自分の感情を無意識に追いやっていたものと思われます。

そして、恨みのために甘えは全く意識に出てこなかったのですが、それがやっと
意識に登ってきたのです。

本当に信じられないくらいにひどい仕打ちを受けていたものだと思います。
ものすごい疲労感。












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さらに下のコアビリーフは私は見捨てられている、と言うものだった [母との関係]

おはようございます!

毎日、瞑想をし、また眠っている間にもいろいろな感情と共に、
幼児期の気づきがどんどん出ています。

そして、昨日はたまたま、10歳くらい年上の女性の友人に久しぶりで
連絡を取ろうとしてテキストメールと電話をしたのですが、いつもなら
すぐに返事があるのに、音沙汰がなく、今日になっても何の返信もないのです。
彼女は数年前に乳がんを患っていることもあり、何かあったのか、
あるいは、海外旅行に行っているとか、も考えられますが、

去年、他の共通の友人も絡んで少しいざこざがあって彼女と疎遠にしていた
こともあるのですが、どうしたのだろう、と気になっていたのですが、

私のインナーチャイルドが頭をもたげて騒ぎはじめて、もしかしたら
彼女が私を嫌になってさけているのではないか、と不安になってきたのです。

このインナーチャイルドの不安発作と言うのは、今回に限ったことでなく、
一旦その不安が出てくると抑えきれないくらいの不安発作になるので、
先ほど、ティールスワンさんがYouTubeで教えているように、その不安から
逃げるのではなく、瞑想しながらその不安の中に飛び込むことをやってみました。

いつもの、誘導瞑想をやりながら(脳波セラピーの音楽付き)、その中で不安のなかに
じっととどまって、その不安を初めて感じたのはいつなのか、を思い出してみたのです。

そして、その不安の中に留まると、だんだんと悲しくなり涙が出てきました。
そして、その不安感は子供のころに母に逆らったりすると必ず母は、
私のところから去っていき、特に家から自転車でどこかへ行ってしまって
、私はいつもその時に母親から見捨てられていると感じて不安の中にとどまっていた
ことを思い出したのです。

それは、母親から見捨てられているという感情でした。
そして、それをその時の感情そのままに思い出したのです。
子供のころはこういう風に見捨てられて家の中に残されて淋しく、見捨てられ感を
味わって不安の中にいたことを思い出したのです。

そして、その不安感をじっと味わっていると、非常に悲しくなり泣きたくなったのです。
子供のころにはあまりに不安で、なくこともできずにじっと我慢して母の帰りを
待つか、そのまま眠ってしまっていたようです。

しかしその時の不安の下には母に見捨てられているというものすごい悲しい感情が
あったようで、今その悲しい感情がこみ上げて泣けてきたようです。

これが私の分離不安の根底にあったようです。
そしてその時私が避けようとしていた感情が、私は見捨てられている、という
感情だったようです。
それはあまりに悲しく、恐ろしく、自分のサバイバルが脅威にさらされるという
ことなので、決して感じないように避けていたようです。

しかし、それを見ることが必要だったのだと思います。
それを見て悲しい気持ちを出して味わうことが必要だったのです。
「見捨てられている」というのも、この前の「拒絶」と共にコアビリーフだったと気づきました。

「拒絶」は父からで、母からは「見捨てられている」というコアビリーフがあったようです。

そして、その見捨てられている、というコアビリーフのためにその見捨てられている
と言う感情の波動が、「引き寄せの法則」に従って、現実化(パターン化)
していたのだと気づいたのです。

その見捨てられているという感情は、赤ん坊そして幼児期から子供時代のそのままの
感情が中核にあったので、あまりにつらく、生存を脅かされる感情なので、
「悲しい」などという生易しい感情が出てくるよりも、抑圧してフリーズしていた
野だと思います。

そして、母は何度も私をそういう目に合わせていたので、そういうコアビリーフが
出来てしまっていたのだと思います。

本当に深いところにうずまっているので、無意識になっているのでこういう埋まった
感情を掘り起こすのはすごく大変なことで時間がかかりますが、ティールスワン
さんの教えていることは私の感覚にあっていて、信じられるので、逃げないで味わうことは
絶対に必要だと思っているのです。

私にとってはこの見捨てられるという不安発作の中でじっとして耐えることが一番の
チャレンジのようです。

その中で、実践的には誘導瞑想の助けを借りてその中に入って行くことで
不安の根本になっている記憶と感情に浸っていくことが唯一の助けになっているようです。

不安発作の中では居ても立っても居られないような気持ちになるので、
誘導瞑想に入ることでしか、それをごまかさずに耐えることはできないようです。

何故なら、見捨てられたら生きていけない、というようなすごい恐怖に襲われるからです。

追伸

あと、書き忘れていたのですが、自分が見捨てられている、と言う感情の裏にある
悲しい気持ちの中には、ありのままの自分が受け止めてもらえない、というありのままの
自分は相手に受入れられないのだ、という気持ちを呼び起こしているようです。

だから、私のありのままを否定されている、と言う気持ちになるのです。
だから、自分を変えてでも受け入れてほしい、という気持ちに代わるようです。
つまり、そこから相手(母)を追いかける方向に変わっていくのだと思います。
そこから共依存が起こって、ありのままの自分を否定していくことになっていたのだと
思います。

だから、ここから脱出するには、相手を追いかけるのではなく、ありのままの
拒否された、見捨てられた自分の心に対して、自分がそれを見捨てないように
その見捨てられた自分の親に自分がなってそのありのままの見捨てられた自分を
慰めて、励まして、育てていくことなのだろうと思います。

これまでは、母から見捨てられた自分を、自分も見捨てていたのだと思います。
ティールスワンさんはそれを言っているのです。リサさんもそう言っているのだと
思います。Hold on to yourself と言っているので。

相手を追いかけたくなるのは、見捨てられた自分を味わいたくなくて、
見捨てられた自分を見たくないからなのだと思います。
しかし、あまりに不安が強いので、瞑想でなんとかそこから逃げないようにしないと
いけないのだと思います。

この見捨てられる不安は何度も出て来てすごく強いので、乗り越えていかないと
意味がないのです。



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コアビリーフ(核の感情)は拒絶だった(目覚めの気づき) [夢日記]

おはようございます!

気付いてみると、2か月ぶりのエントリーとなります。
その間、ずっとYouTubeの助けを借りて、誘導瞑想をして、インナーチャイルルド
を掘り起こしたり、色々な人のビデオを見たり、本を購入して読んだりしていました。
そして、本当にいろいろなことが、だんだんと無意識の中から掘り起こされて
少しずつ自分の核の内側に向かっていっているのです。
しかし、そのプロセスは、まさに玉ねぎの皮をむくような感じで、一皮むけたか
と思えばすぐにさらに下の皮がむけようとして出てくるのです。

それでも、私はリサさんのYouTubeの誘導瞑想を2月からやり始めていて、それをずっと
続けて行けば中核に達するものと思って、毎日やっています。

そして、リサさんの次はリチャードさんのビデオを見て、次に、ここ最近はティール・スワン
さんのYouTubeチャンネルを見つけてずっと見ていました。
また、本も購入して合間に読んでいます。

そして、ティールスワンさんはスピリチュアルな教師なので、非常に最近はその
影響を受けており、すごく意識が高められてきました。
私の忘れていた記憶がよみがえっている感じ。
また、この苦しい境遇に生まれて信じられないくらい苦しい人生の葛藤に
悩まされていたのですが、ティールさんの霊的な視点(世界観、人生観)
がものすごく私にとって納得できるものと感じています。
詳しいことはまた落ち着いてから書こうと思いますが、今朝はそのようにして、
色々分かってきたところで、ティールさんから教えられていることに関連して
昨晩、就寝するときに気付いたことと、今朝の目覚めの前に見た夢との関連に
ついて書いておきたいと思います。

ティールさんの教えは非常にユニークですが、自分がこれまでに感じている
こととか、これまでの同じ教えを別の見方で語っているだけ、ともいえるとは
思います。ともかく、人は生まれる前にコアビリーフ(核の感情=苦しみの種)を持って
生まれて、その苦しみとは正反対のものを求めて、その正反対のものがどういうものかを
学ぶのだ、というのです。

それで私は昨晩、はっきりと私のコアビリーフは拒絶だった、ということに気付いたのです。
これは、感情の学びなので、感情の深いところでそれが私の人生の一貫したテーマで
パターンだ、と気づいたのです。すごい感情の落ち込みがそこにあり、まさにそれだろう、
と思いました。

そしてそのまま眠ってみた夢の中で、私はベッドで眠っているか、目覚めたままベッドに
横たわっていて、そこに誰かがやって来て(若い女性)、色々な冊子のようなものを
見せてくれて説明してくれているのです。それが非常に優しく感じられたのです。
それは子供のころに決して母親から示されなかった優しさであり、本来ならば母親から
そういう風に接してほしかった、というような態度を示された体験として感じられました。

さらに、次の夢では、何か大勢でイベントを行っており、私はその主催者の一人として、
かどうかはよく覚えていませんがともかく、色々な食べ物とかの準備をして、それから
数人の女性たちの中に混じって床にみんなで集まって座っているのです。
そこに、男性たちもやって来て特にそのうちの一人は私の知っている男性で非常に
酔っぱらっていて無礼な態度をしていました(おなかをすかせていたみたいです)。

そうするうちに、私の隣に座っている女性は知り合いの若い女性のような存在で、実際に
1歳の女児の赤ん坊がいるのですが、その赤ん坊が彼女に抱かれてそこにいるのですが、
その赤ん坊が動いているのを見て、私が赤ん坊を抱こうとすると、赤ん坊は素直に
私の腕に抱かれたのです。お母さんは自分の用事をするために立ち上がってどこかへ行った
ようです。

それで、私はその女児の赤ん坊を抱っこして、その体のずっしりした重みを味わって
その子を抱っこしている、という夢です。

そして、目覚めたときに感じたのは、何故、私が赤ん坊の夢を見たかそして、私が
母にしてほしかったような接し方をしてくれる女性に優しく接してもらう夢を
みたのか、ですが、それは、私がそれを必要としていたからだ、と思います。

そして、ティールさんは、スピリチュアルな目が開かれており、彼女によると
夢の中では実際に自分の意識が、別次元に行っているのだ、ということです。
そして、夢の中で出会った人たちは実際に別次元でその存在たちに出会っている
のだ、と言うのです。というか、眠っている間、自分の意識が別次元に行って
色々なことをしている、その記憶が夢になって出てくる、というのです。
そこで出会う存在は、霊的存在であり、別次元にいる存在たちですが、そのなかには、
スピリチュアルガイドや、異星人や、もっと高度な存在もいるそうです。

それを考えると、私のコアビリーフが分かった所で、その核にあるものが、私が
母から与えられなかったもの、即ち、優しく接してもらうこと、赤ん坊として
抱かれて愛されることだった、と分かったのです。そして赤ん坊だったときに
私に与えられなかったものですが、今、夢の中でそれが与えられているのだ、、
と思ったのです。それは全て感情的な体験の問題なので、その体験をすることで
私の中のコアビリーフの拒絶が消えるのではないかと思います。

また、その拒絶されているという自分の核の感情は、自分の中の鏡に
なっていて、それが波動となって、そういう体験を引き寄せていたのだ、
ということに気付いたのです。
ティールさんによれば、この世は「引き寄せの法則」に基づいているそうです。

ちょっとこれまでのクリスチャンの考え方とは変わってきているかもしれませんが、
それは私が狭いクリスチャンの解釈をしていただけかもしれません。
でも、確かにクリスチャンの伝統的な考え方とは違ってきているかもしれませんが、
でも、根本的にはイエス様の教えと同じものと思います。
一般的な聖書の解釈とは違う所もあるかもしれませんが。

ともかく、私は瞑想をして自分の内側に入って行くにつれて、このティールさんの
教えは私の癒しにとって必要なものだと思っています。
また、瞑想の力はすごいことに気付きました。
いろいろな気づきを与えてくれ、さらに宇宙が多次元的であることにも
気付いてきて、スピリチュアルなことにも目覚めているように思います。






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