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午後から寝て、母の重みと戦っていました [自己一致(統合)するために]

さっき書いたブログの続編です。

・・・さっきの続き・・・

また、今日は、午後、早い時間から再びものすごい眠気と疲労感に襲われてきて、
起きていられず、これまでと比べてもかなりひどい感じがしたので、
布団に入って寝ました。

そうしたら、すごかったです。体の左側にすごい引っ張りが起こっていて
まるで、体がすごく変な感じで引っ張られている感じで、ずっと寝ていました。

それで、感じたのは、やはり本当に多分赤ん坊のころからの記憶だと思いますが、
母に自分の依存欲求が受け入れられなくて、私の泣いているのを、
受け入れて慰めて欲しいという欲求が母に無視されて、その自分の
ありのままの感情が埋もれてしまっていたのが分かってきました。

それが、左の腕の下の方からすごい力で塊となって出てこようとしている
のが感じられました。
それでそこらへんがすごい筋肉の痛みとなっているのです。

また、昨日あたりからは、ピア・メロディーさんという方の「Facing Codependency」
という本を読んでいるのですが、すごく私にぴったりの箇所が
ありました。

まさにそれが、乳幼児期に泣きながら母にすがりついていって、
台所でお皿を洗っている母の足許に泣いて行っても、母は見向きも
せず、無視してお皿を洗い続けている、というシーンが描かれていて、
そういう体験をした子供は、自分の感情を抑圧して自分の感情や
自分というものが分からなくなってしまう、と書かれていて、

まさにそれが私の体験なので、その私の体験を認められた、という
感じたしていたのです。

それを認められる、ということはとても大切で、本で読んだだけでも
カウンセリングを受けているのと同じ効果があるのではないか、
と感じています。。

自分一人だけが体験した苦しみで誰もわかってくれる人はいない、と
思っていたらとても苦しいですが、それと同じ体験をしたという人がいて、
そして、私の体験したことは確かに苦しい体験であり、私の体験した
感情は、それは虐待ともいえる、ひどい体験だったのだ、ということを
認めてもらうことは、自分の感情は間違っていないのだ、とお墨付きを
もらうことになるのです。

つまり、私の感情を、批判されることなく、受け入れてもらえるという体験を
することになるのです。

これまで誰にも認めてもらえなかった幼児期の感情を認めてもらえるという、
カウンセリングにも似た体験ができるので、それはとっても必要なことだと
思います。

そういうことで、すごく左側の部分が再びすごく痛くなっていて、下から
自分のこれまで抑圧していた母に押さえつけられて出られなかった自分が
出てきているようなのですが、

今日、昼に寝ているときに、私が子供のころ繰り返し見ていたもうひとつの
夢を思い出したのです。

それは、母が私の上にのしかかって、私の首を絞めているか、
あるいは、母がナイフを持って振り上げて私の首にそれを振り下ろそうと
している、という夢です。

おそらく、首を絞められそうになっている、という夢なのかな、と思います。
母に押さえつけられているので、私は重くて動けなくて、殺されかかって
いる、という夢ですが、それも繰り返し見ていたのでした。

そして、今日の昼に感じたのは、母の下に埋もれている自分というのは、
本当にすごく下の方に行ってしまっていて、すごく無意識のずっと下の
方にある、ということです。

だから、母から分離することはそれだけ難しかったということなのかもしれません。

それだけ、母からは押さえつけられていて、自分が本当に無意識のうちに
母の怒りとか私に対する敵意とか、母の悲しみとかマイナスメッセージとか
私への無視とか、とにかく、母のマイナス感情の全てを私がそれに対応して
母を受け入れさせられていたんだな、と思います。

そして、そんな母に対しては、本来の自分の感情を出すことはできず、
常に母の感情に気を使って、母に気に入られるようにいい子に振る舞って、
本来の自分の感情とか、気持ちとか、欲求を隠すようになってしまって
いたんだな、ということが分かってきたのです。


Facing Codependence: What It Is, Where It Comes from, How It Sabotages Our Lives

Facing Codependence: What It Is, Where It Comes from, How It Sabotages Our Lives

  • 作者: Pia Mellody
  • 出版社/メーカー: HarperOne
  • 発売日: 2003/04/29
  • メディア: ペーパーバック



「狭き門」を読み終えた感想 [ブログ]

こんばんは

ジッドの「狭き門」は読み終えました。

(以下、結末について少しだけネタバレあり)

最後がなんだか、ちょっとがっかりでした。
というか、あまりにあっけなく終わってしまい、主人公のジェロームの
恋い慕う従妹のアリサがなんのはっきりした理由もなくこの世を去って
いってしまうから。。

若いのに子どものころから相思相愛だったジェロームと
結ばれるはずだったのに、みずから幸せになることを
拒否して、悲劇で終わっているからです。

まあ、全体的には、子どものころから思春期そして青春時代の
生き生きとした明るい家族関係と、青春の希望と喜びと
恋愛の喜びや、家族愛の麗しさが描かれていて、
それに加えて田園風景や植物の描写も素晴らしかったし、

また、いろいろな本のこととか、キリスト教の信仰において
自分を純粋なものにしていこうとする心と、葛藤の描写も
すばらしかったです。

最後に、アリサが幸せになる選択をしなかったことだけが、
どうも悲しくて、納得できなかったのですが。

あとで、解説を読んでみると、やはり、清教徒的な非常に
ピューリタンな信仰を求めすぎるがゆえに、自らの幸せを
求めることさえ犠牲にしてしまうことに、疑問を投げかけて
いるようです。

あと、心当たりとしては、アリサがそうなってしまった原因には、
彼女の母親が不倫をして家を出て行ってしまったという事情が
少なからず影響していたのかな、と思えます。

それは、もし、このお話が現実世界の出来事だと仮定した場合の 
私の想像なのですが。
結局、アリサを始めとするアリサの母親の子どもたちは、
自分の母親から捨てられたのですし、アリサは
長女として父親の偽配偶者的な役割を与えられてしまったのですから。。。

解説を読んで知ったのですが、ジッドもノーベル文学賞を受賞していたのですね。
もっと、他の作品も読んでみる価値があるかもしれません。
非常に、キリスト教的なテーマが描かれているようです。


狭き門 (新潮文庫)

狭き門 (新潮文庫)

  • 作者: ジッド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1954/08/03
  • メディア: 文庫




ジッドの「狭き門」を読書中 [ブログ]

こんにちは

バルザックの次は、ジッドの「狭き門」を読み始めました。

これがまた、キリスト教的な信仰の色彩の濃い作品なのです。

そういう側面が出てきますし、主人公も、キリスト教を大切な信仰としています。

タイトルの「狭き門」は、まさにイエスキリストの「狭き門より入れ」から引用された
ものであり、そのイエス様のお言葉が、話の中で牧師の説教の一部として
聖書から引用されています。

まだ、途中までしか読んでいませんが、これはバルザックの文章とは違って
簡潔な文章なので、ずっと読みやすいですね。

しかし、話の筋ははっきりしているけれど、大変面白くて考えされられるものです。
やはり、異国情緒たっぷりで、フランス文学、面白いです。

キリスト教の影響がとても清らかな考え方として出てくるしそういう
信念を持った人々の物語はなんていうか、心が洗われるような
気がします。

是非とも、また、フランスに行きたいですが、フランス語をもう少し頑張って、
フランス文学ももっと読んでいきたいです。


狭き門 (新潮文庫)

狭き門 (新潮文庫)

  • 作者: ジッド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1954/08/03
  • メディア: 文庫



あるがままの感情が出かかっている感じ [トラウマからの開放]

おはようございます

今朝は、目覚めの時に、また体の左側から自分の本来の感情が
出かかっているのを感じました。

そしてその感情とは、これまでに私が味わったことのない感情なのですが、
どちらかというと、味わいたくなくて避けていた感情であり、
これまで、避けていたためにこういう感情が自分の中にある、ということさえ
気づかなかったような感情です。

また、その感情は、今、夢中で読んでいるフランス文学を読んでいて、湧き上がって
来ている感情と一致している、ともいえるのです。

つまりそれは、人生の希望や理想や、宗教的な崇高な思いや願いや、
そういう精神的な高さを求める自分の中の理想像、と現実の世界の
実際に起こる出来事や、自分の力ではどうしようもない運命ともいえる
現実世界の厳しさや、

罪を背負った人間として、自分の力ではどうしようもない力に流されてしまう
この世の中の定めというか、厳しさに対する諦め・・・

というか、諦めざるを得ない現状との間の悲しさ・・・

という現実を見つめたときにおのずと湧き上がってくる
世の中の無常に対する何とも言えない悲しさであり、諦めの気持ちなのです。

そのような感情が湧き上がる時、自分の現状を受け入れざるを得なくて、
その時に、湧き上がる感情に身を任せて湧き上がる感情に身を任せて
泣くなり、神様にすがりつくなり、懺悔をするなり、なんなりして、
神様に自分の意思を明け渡して、神様の御心の通りにしてください、
というしかないのです。

そして、私はこれまでそういう感情に自分がなることを、ずっと
否定して、踏ん張って、そういう運命に自分をゆだねることを拒否し続けて、
自分の力で何とかしてやるのだ、という変な前向き精神によって生きていた
のだ、ということに気付いたのです。

それは、さらに左側に自分が出てきてそうなって行っているようです。

そして、文学を読んでいると、ますますそういう気持ちになってきます。

自分の望むような展開に話が進まないからです。。。
そして、主人公の中の葛藤がどんどん大きくなっていくので、
とても感情が引き延ばされます。

今は、ジッドの「狭き門」を読んでいるのでその途中の感想は次の
エントリーで書きたいと思います。

母の幻影からのマイナスメッセージとの戦い [トラウマからの開放]

こんにちは

この前までは父の幻影の禁止令を本来の自分の感情から切り離すことを
していたのですが、今は、昨日も書いたように、

今度は生まれてすぐから
子供時代にかけての母から受け続けてきた言葉と態度の暴力と私を
貶めていくメッセージ、そして理由もなく母の不幸の原因とされる
メッセージで責められていたことの記憶が

その時の母の幻と共に浮上してきて、私を常に攻め続けていることが
分かってきました。

これも、父の場合がそうだったように、母のその幻hとメッセージも私の中に
既に入り込んでいて、私の頭の中で絶えず本来の私の人格に向かって
私を責め続けていることが分かってきました。

なので、この母の幻影は私の本来の自分ではないことに気付いてその
幻影を追い出していくことが必要であることが分かったのです。

本来の自分はその下で、母からの攻撃を避けるために、無意識の中に
隠れてしまっていたのです。

だから、自分がそこにいなくて、母(と父)だけが私の人格を乗っ取っていたという
ことになります。
今は、母からの影響に集中して、それを意識化して、本来の自分の人格から
分離して、切り離していかなければならないのだと思います。

それが、これまでは父の場合と同じように、私の人格の中に入り込んでいて、
本来の自分がいなくなっていたことが問題なのだと思います。

そして、本来の自分は腹の中で固まっていたようです。
今、本来の子供の時の自分は下腹のほうから出てきているようです。

そして、今朝の目覚めの時にじっとそれを味わっていたら、だんだんと
小学校の建物の中の光景が浮かんできて、何十年ぶりかに小学校の建物の
中が鮮明に思い出されたのです。

きっとそのころの記憶がイメージと感情と一緒になって閉じ込められていて、
それが出てこられるようになりつつあるのかもしれません。
もっとさらに出てこられるようにしていくことが必要なのだと思います。

ゴリオ爺さんの最後 [ブログ]

こんにちは

昨日はバルザックの「ゴリオ爺さん」を読み終えたのですが、
最後のところはとても悲しかったです。

ちょっと、期待した通りの物語ではなかったですが、
まあ、色々複雑な人物模様が絡み合って、社会の闇も取り上げており、
まあ、いろんな読み方ができるというものでした。

私は、「谷間の百合」のような非常に甘美で、麗しく、幻想的な
自然とアートの絡み合って、精神と肉体の相克、キリスト教的思想
とか、内面的な描写の細やかさとか、比ゆ的な表現という、
そんなものを期待していたのでしたが、

「ゴリオ爺さん」は、まったく違うタイプの、もっと社会的な小説だった
と思います。
また、主人公も、タイトルの「ゴリオ爺さん」ではなくて、若くて社会に
出始めたばかりの、そして、田舎からパリに出てきた世間知らずの
若者である、ラスティニャックという青年のようです。

その伏線として、いろいろな下宿人や、社交界の人物が出てくるんで、
まあ、当時のフランス社会のことに触れるという意味でとても面白い
小説でした。

ただ、ゴリオ爺さんという人物については、ちょっと最後のところが
悲しすぎるかな、と思いました。ネタバレしないように書いているので、
抽象的な言い方しかできませんが、まあ、人間社会も自然界の掟
に従っているので、そういうこともあるのかな、と思います。
つまり、親は子供に道を譲る、ということですが。

しかし、現代ではというか、昔もそうかもしれませんが、必ずしも
「ゴリオ爺さん」のような親ばかりでなく、自己愛的な親が子供を利用していいる
という心理的な問題もあるわけですが。。
ゴリオ爺さんはその反対ですが、でも、反対に行き過ぎて甘やかしてしまった
ということですが。

しかし、主人公のラスティニャックの人柄は良い人柄として描かれている
ので、救われます。

そして、彼はこれからパリの上流社会に対決していくという決意をして
終わりになっているので、これからの展開を期待するということで終わっています。

これらのバルザックの小説は「人間喜劇」というテーマで一致した集合体に
なっていて、同じ登場人物が別々の小説に再登場するということなので、
他のものも読んでみたいと思っています。



ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)

ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/09/16
  • メディア: 文庫



ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1972/05/02
  • メディア: 文庫




対訳 フランス語で読む「ゴリオ爺さん」《CD付》

対訳 フランス語で読む「ゴリオ爺さん」《CD付》

  • 作者: 松村 博史
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2016/05/27
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ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)

ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/09/16
  • メディア: 文庫



ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)

ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/09/16
  • メディア: 文庫



母からのマイナスメッセージが浮上しています [トラウマからの開放]

こんにちは

今朝の目覚めにもまた、気づきがありました。

それは、この前から自分の左の下の方から幼児期からの抑圧されていた自分が
浮上しているのですが、その自分の本音の自分というのは、ともかく、父と母が
嫌いであり、父と母と出会うのを避けたい、何としてでも関わりたくない、と
感じていることが分かってきたのです。

それが私の本音だったのですが、それは、結局父と母を嫌って、避けているということであり、
つまり、言い換えると、この前、メンタルクリニックの先生から言われた、
「ゆるしていない」状態なのだ、ということが分かったのです。

それは、自分が傷つけられているのでそういう常習的に私を傷つける
人には近づきたくない、ということに他ならないのです。

子どものころには、それでも逃げるわけにはいかないので、依存して生きていかなければ
ならないので、本来の自分は、防御の下に隠れてしまって、もう一人の自分をその上に
被って、その自分ではない自分の仮の姿で生きていくしかなかった、ということなのです。

ともかく、その下の本来の自分の本音は、父も母も信用もしていないし、
傷つけられる相手だし、嫌いな相手なので、関わりたくない、と思っているようです。

関わるためには、仮の自分で演技をして、何でもないような顔をして、
親の機嫌を取るような、自分を殺して、親の機嫌だけをとるような、結局は
心の通わない、自分の本音を隠した付き合いしかできなかった、ということだ
と分かってきました。

つまり、一方的な親の期限を損なわないように、こちらが常に注意をして
親に気を使って付き合うしかなかったことが分かったのです。

そして、それは、今も同じなのです。親の性格が変わっていない限り、
それは、今も同じなのだ、ということが分かってきたのです。

父はもう他界していますので、今は、母に対してどういいう風に
付き合うか、どういう態度を取るべきかを、じっくり考えた方がよいでしょう。

母はいまだに私を傷つけるような言葉を発するし、行動をとるので、
しかも、それが私の不意を突いてでてくるので、いつも、不意打ちの
ような形で傷つけられるので、注意しないといけません。

あとは、今、バルザックの「ゴリオ爺さん」を読んでいますが、
最初の半分くらいは、結構、あまり変化がなく、むしろ、「谷間の百合」
のほうが断然面白いと思っていたのですが、後半くらいから
だんだんとストーリーの展開が早くなり面白くなってきました。

やはり、バルザックは面白いし、フランスの宮廷の世界とか
階級社会の話とか、歴史的なことも面白いです。

ますます、フランス語をもっと勉強してフランスの文化や文学や社会の
ことを勉強したくなりました。


ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1972/05/02
  • メディア: 文庫



自己愛性人格障害の友人に共依存の自分が執着されて悩まされた件 [トラウマからの開放]

おはようございます

今朝の目覚めもさらに自分が左側に行っているような感じでした。

また、先日から少し書いている、アメリカ人女性の友人にまとわりつかれて
困った件で、気づいたことがありました。

また、その友人から悩まされたときに、ネットで調べてみると、どうも
彼女の特徴は、自己愛性人格障害というものに近いのではないかと思いました。
それに、彼女は母親も、彼女自身もアルコール依存症だということも聞いていました。

彼女自身はもう何十年も前に、AA(アルコール依存症の自助グループ)に
参加してアルコール依存症からは回復しているのですが、彼女のお母さんは
生涯アルコール依存症から抜けられなくて亡くなったということを聞いていました。

彼女はアルコール依存症から立ち直った後は、職業においても趣味のけいこごとに
おいても達成していて、金銭的にも豊かな生活をしているように見えます。

ですから、私も、ある程度の警戒はしつつも、依存症からは立ち直っているものだと
思っていました。。

それで、彼女とは普通に付き合っていたのですが、彼女がどんどんと私に接近して
来ることに対して、警戒が足りなかったことに気付きました。

今回、私が彼女に執着されてしまい、まとわりつかれてすごく悩まされてしまったのですが、
また、最終的に変なメールまで送られてきて、すごく気持ち悪いし、気持ちがものすごく
かき乱されて、いまだにその後遺症に苦しんでいるわけですが、、
(でも、そのことでかえって、いろいろ調べることができて、いろんな情報に出会えたのは、
逆に良かったのですが。。。)

その、彼女がどんどんと私に接近してくるのに対して警戒が足りなかったことに
今朝目覚めの時に気付いたのですが、それは、前々からその彼女の性格の兆候が
現れていたからです。

つまり、自分の思い通りにならないと、あくまで自分を通そうとして悪態をつく、
という性格の悪さです。

それは、依然彼女の家に行ったときに彼女が海外へ行くので駅まで私の車で
送って行ったのですが、私がカーナビの指示に従って駅に行っているときに、
彼女が自分の都合の良い道順を私に示したのですが、私がカーナビの言うとおりに
行こうとしたときに、私にものすごい罵声を浴びせてきたことです。

そして、私が彼女の言うとおりの方向に行かなかったことでその後の彼女の
態度が罵声にとどまらず、ひどい悪態をついたことです。

それは、駅の別の入り口から入るだけで、階段を上るのが一つ増えるだけの話で、
そんなに私に対して失礼な態度をして大きな悪態をつくほどのことではないと
思うのですが、そういう態度えてをとられるということ自体、私にとっては恐怖体験だった
わけです。

その他にもいろいろとそのような彼女の怒りの爆発をみていたの
ですが、その駅に送って行った時の悪態がひどかったので、あの時、結局彼女の
自分の思いをどうしても通そうとする性格とか、私の都合や意思や判断をまったく考慮しない
という傾向があったのです。

それは、今回の私の都合を無視して私を誘って来たり、押しかけて来たりする
傾向や自分の都合のみで行動して私の状況を察することができないという
傾向と同じことなのだ、と気づいたのです。

結局は、同じ彼女の思考回路から発現していることなので、彼女の中では
同じことなのだ、と気づいたのです。

それが、自己愛性人格という彼女の性向なのだと分かったのです。

だから、今後も彼女のそういう傾向は変わらないでしょう。
そして、彼女に執着されているときに感じたことは、彼女が主導して私を
引き込んでいる状態は、共依存になりつつある、と思ったのです。

これは、彼女は私を共依存の関係に引き込もうとしている、という感じを
持ったことが、そこから抜け出さなければならない、という危機感を感じた
ことなのです。

また、YouTubeでビデオをいろいろ見ていると(海外、主にアメリカのビデオですが)
自己愛性人格障害の人は、自分の獲物として、共依存の人に目をつけて
その人を餌食にするのだ、ということが言われています。

そういうことで私は共依存者である、ということにも気付いたのです。

また、強い自分になるため、また、近いうちにメンタルクリニックの先生に会いに
行った方がいいなと思っています。




親から受けたすごい痛み(傷)が出てきました [トラウマからの開放]

おはようございます。

昨日もまた、午後からすごく眠たくなり、起きていられなく、また
苦しくなったので横になっていると、すごく左側にまたエネルギーが
向かって、筋肉が引き裂かれるような感じで、また、さらにに
体の中がバラバラに引っ張り合って、すごく体中が色々な
方向にひっぱ入りあったり、曲がったりしている感じで、
ものすごくひどい感じになっていました。

それから、今朝の目覚めにはまた、さらに左側に引っ張られて
左側の特に方の下と、腰のほうが痛くなっていました。

そして、祖の目覚めの時に、左側の下の方からものすごい
親から受けた傷が出かかっていて、ものすごく信じられないような
心の痛みが出てきていたのです。

本当にすごい負傷を追っているすごい傷の痛みでした。

それで、あまりに痛くて外に出てこられないような感じでした。
本当に耐えられないほどの痛みだったので、こんな痛みを感じる
のを避けて、その上に何かをかぶせて、感じないようになっていたの
に違いありません。

それからまた、昨日のその苦しい状態の時もそうだったのですが、
自分の中のセルフトークが、「自分はもうだめだ」という
言葉をいつも言っているのです。

私がこういう苦しい気持ちになったときに必ず口を付いて出てくる
ことば(感情)が

「私はもうだめだ」
「生きて行かれない」
「生きていくのが辛すぎる」

という言葉なのです。
そして、それもすごく否定的なセルフトークであることに気付いたのです。
自分の根っこの部分でそんな否定的な言葉を自分に向けているのです。

それが分かったのも、ブラッドショーの本を読んだり、YouTubeで
ピアメロディーやその他の共依存相から回復した人のビデオを見ていて
分かったことなのですが。

そして、その私が自分に向かって発しているセルフトークは、実は
本当に幼い子どものころから母親から主に私に向けられた言葉を
自分が取り入れてしまって、いまだに自分に向かってそれを発して
いることに気付いたのです。

だから、そのようなセルフトークがあるということ自体、まだ、母親との
癒着から脱していないのだ、ということに気付いたのです。

そして、母親からの、生まれたときから特に子供のころ、幼児期のころに
私に向けて発されていたものすごく否定的な言葉、言葉の暴力、
そして、言葉による虐待を私がずっと受け続けていたことに気付いたのです。

もちろんそれは気づいていたことですが、今は、下から自分の感情が少しずつ
出てきているので、それに対抗していくことが必要なのです。
そして、その自分に向けられている母からの言葉に反発して、私の中に
取り入れている、私に言葉の暴力をし続けている私の中の母を排除
していかなければならないのだということに気付いたのです。

そして、また、私は母に対しても「いい子」になって愛されようとしていたことに
もっと気づかなければならないし、母に対して持っていた怒りが抑圧されている
ことに気付いて、その抑圧された怒りや悲しさや悔しさを、本当の自分の
ありのままの感情のところで再度体験して解放されていく必要があるのだろう、
と思ったのです。

母に対してものすごいアンビバレンスがあることもあり、また、母に対しても
自分が防御しているので、つまり、自分の本当の感情が分からなくなっており、
怒りを抑圧しているので、母に対する本当の怒りや悲しさや、いろいろな感情が
今でかかっているようです。

凄い憎しみもあると思うのですが、それを感じることを自分に禁じて、
抑圧して愛されようとしていたのだと思うので、その抑圧を取って、本来の
自分の感情を取り戻すことが必要なのだと思います。





左側の親支配に気付く [トラウマからの開放]

こんにちは

昨日も夜眠る前に恐怖になっていたのですが、今朝の目覚めには
また、体の左側がすごくさらに左に開かれていくようでとても痛かったのです。

ですが、そこでさらに自分がでてきているようでした。

昨晩はジョンブラッドショーの本を読んでいて、エクササイズがあり
それをやっていました。

祖のエクササイズでは、自分の嫌いな人を何人か挙げて、書き出し、
それから、その人がなぜ嫌いなのか、その人の嫌だと思う性格とか
特徴を書き出すのです。

そうすると、その嫌な人の嫌な性格や特徴は自分の中だ
無意識に埋もれている自分の性質に反対の関係がある、というのです。

つまり、自分がその嫌いな人の性格は、自分の中で無意識に追いやって
いて、気づいていない性格であり、それを現在の自分は意識的に
過剰補償しているというのです。

そのことはピンと来なかったのですが、ともかく、自分の嫌いな人は誰だろう、
と思ったときに、私の頭の左側のほうで、父と母が浮かんできたのです。
あと、今現在では、この前書いたしつこくて、支配的なアメリカ人女性です。

ともかく、今の私の左側のほうで、すごく父を嫌っているのが分かったのです。
それは、最近意識化された自分の感情なのですが、これまでいかにその
父が嫌いだという感情が抑圧されていたかということが分かりました。

左側の父を見るとものすごい嫌悪感が出てくるのです。
そして、その父の嫌いな理由は、一方的に私をせめて私の言い分を全く認めないこと、
高圧的で自分だけが偉いと決めつけていること、私の言い分を聞こうとしないこと、
私の感情を認めないで自分の怒りの感情のほうしか認められないこと、
頑固で、絶対に私の言い分を理解しないこと、謝らないこと、などなどです。

一方、母が二番目に嫌いな人としてでてくるのです。
そして、嫌いな理由とか、母の嫌な性質としては、人におべっかを使うこと、
人を喜ばして、うちではその人の悪口を言っていること、つまり、裏表がある、
二重性がある、ということで、それはすなわち、誠実でないということでしょうし、
正直でない、ということでしょう。つまり、人に気に入られるようにいい子を演じて
いる、ということでしょうか。信用できませんよねそういう人は。
表でいい顔をして、裏で悪口を言っているのだから。

今、書いていて感じたのですが、母の父はアルコール中毒だったのか、
酒乱だったようです。
それで、母は共依存なのかもしれませんね。

ともかく、そんな母が大嫌いだと言えます。

それで、まず、父の嫌いな性格に対して、私は逆に、自己主張ができない
傾向にあるようです。。父を恐れているため、支配的な人に対して
自己主張をすることをやめて、迎合的になっていると思われます。

しかし、この迎合的な態度を改めて、自己主張をするようになることが
必要だと思われます。

また、母の嫌な面に対して、それは人に対して過剰にいい子になっていて、
自分は絶対に人に対して正直に自分の思っていることを言わない、という
ことだと思います。それも、自己中心というか、お都合主義であり、正直で
ないところだと思います。

それに対して、私の傾向は・・・私も過剰にいい子になっている面はあると思いますが。。。

同じく、自己主張をしないところもあると思います。

ともかく、そういう風にして、父親の嫌いな面、母親の嫌いな面、というものを
考えられるようになっていること自体が、進歩していることになるし、親から
分離してきているのかな、と思います。

ということは、逆に言うと、それほど私というものが、親と一体化していたのか、
ということでもあり、それだけ、重症だったのか、ということを感じざるを得ない
ともいえます。

そんなにひどい親との一体化があり、同一化が行われていたということであり、
親を自分とは別の独立した人間として、対象化できていなかった、ということ
なのかということを改めて感じざるを得ません。

また、今朝は、さらにブラッドショーの本の続きのところを読んでいて、、新たな
気づきがあったのです。

それは、以前、カウンセリングを受けていた牧師のカウンセラーとの関係性
についてですが、これまで、知らず知らずに、自分を責めていた部分があった
ことに気付いたのです。

また、それは、私の恥として感じていたことでもあったのです。

しかし、気づいたことは、結局、そのカウンセラーがあまりに未熟であり、
本当に私の問題が現れたときに、それを解決する糸口を与える代わりに、
逃げ出した、ということを思い出したのです。

そのことが、私の行動化を引き起こしたのですが、その私の行動化が
起こったことを自分で責めていたのに気付いたのです。

しかし、そもそも、その行動化の引き金を引いたのは、その牧師カウンセラーが
肝心の問題が出たときに、逃げたことが原因だったのです。

その、問題というのは、私の中の「恐怖」が出てきて、消えなかったことです。

そこには、私の中の「拒絶の恐怖」があってそれが引き出されていたのですが、
どうしても、その向こうにある感情は出てこなかったのです。

で、その「恐怖」の感情についてですが、これも、ブラッドショーのこの本を
読んでいて、それは、「ラケット感情」だったことに思い当たったのです。

ラケット感情は、以下のように説明されています。


   「多くの人は幼い頃に家族や属する集団の中で奨励されたり禁止されたりすることによって,
特定の「本物の感情」を常に別の「代用感情」で置き換えてしまうことを習慣化してしまいます。
この,「本物の感情」に置き換えられる「代用感情」のことを交流分析では
「ラケット感情(racket feelings)=ニセモノの感情」(racketとはペテンとか不正とかの意味)
と呼びます。」

つまり、自分で自分の中に「恐怖」の感情を作り出していたのだ、ということが分かったのです。

しかし、そのカウンセラーは、それが理解できなかったのか、
「ラケット感情」という概念を知らなかったのか、その取り扱い方が
分からなかったようです。

それで、逃げてしまったのですが、途中でそういう形で置き去りにされたという
のは、本当にひどい残酷なことであり、カウンセラーとしての倫理に反する
ことだと思います。

それで、私の中で行動化が起こったり、いろいろな弊害が起こってすごい被害を
受けたのですが、考えてみると、その「ラケット感情」が起こったことが理解できな
かったカウンセラーの失敗であり、私には何の罪もなかったことが分かったのです。

つまり、私は自分を責める理由は全くない、ということです。

本当にカウンセラーのレベルが低かったとしか言えません。
実際に、何の免許もなくやっているのは問題でしょうね。


Healing the Shame That Binds You (Recovery Classics)

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