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子供のころに子犬のシロが車にはねられた悲痛な記憶が浮上 [トラウマからの開放]

こんばんは

今日は二度目の投稿です。
今日の午後、誘導瞑想をしていて、ともかく、このところ子供のころの悲しい記憶が改めて深いところから悲しみとして浮上してきているので、さらにその悲しみの記憶が埋もれているらしい体の左側の肩の裏のあたりにエネルギーを送って、何かが浮上するのに任せていましたら、今回は、何となく子供のころに生まれて初めて住んでいた家の様子が浮かんできて、それと同時にその家に住んでいたころに家で飼っていた、初めて飼った子犬のシロのことを思い出したのです。

今も、これを書いていると本当に悲しくなって涙が浮かんでくるのですが、その私たち子供の3人が初めて子犬を飼って、白っぽい雑種だったのですが、シロと名付けて可愛がっていたのです。

そして、子供のころは田舎で、夏休みはプールでなく、川で水泳をしていたのです。
そして、親が交替で見張りをしていたのです。

恐らくその時は母が当番で子供はそれぞれ自転車に乗って、母も自転車で川まで泳ぎに行って、その時にシロを放して私たちが自転車で行く後についてくるようにしていたのです。

それで、川で泳いで、みんな自転車で家に帰ってきたのですが、後ろをついてきていたはずのシロが待てど暮らせど戻ってこないのです。
それで、皆で心配して、歩いてきた道を引き返していったところ、家から150メートルくらいのところで、シロが車にひかれて死んでいたのが見つかったのです。

シロは頭を車に引かれたらしく、頭が少しつぶれたように平たくなっていました。
それを見たとたんに、私たち3人兄弟は火が付いたように鳴き声を上げて、これまで泣いたことがないようなものすごい大きな声で制御できない大声で泣いて悲しんだのです。

そのシロのことは、私の中でも本当に悲しい記憶として残っていて、忘れることができなかったのです。
それが、今回、なぜか再びその悲しさがその時のままによみがえってきたのです。

恐らく、やはり、親に甘えて悲しみを受け止めてもらって、慰めてもらうという経験がないために、本当に悲しみを出し尽くして立ち直る、ということをしていなかったのかもしれません。

ともかく、その心の傷が解決されないままに残っていたのです。

自分の中でその悲しみを解決できないまま、抑え込んでしまったものと思われます。
そういう悲しみは解決しないと、傷のままに残ってしまうもののようです。

その悲しみを理解して、そのような自分の心の傷に対してどのように対処したらいいのか、というのは、本当に誰か理解のある大人(親)が、話を聞いてくれて、自分の心の中にあるものをすべて話して心の整理をして、乗り越えて行くことが必要なのだと思います。

しかし、私は親に自分の悲しみとか本音の気持ちを話して、理解してもらったり、親と話し合ったりするということが全くなかったために、総ての悲しみを自分ひとりで抱えて行かなければならなかった、というそれが問題だったのだと思います。

理解のある大人に、悲しみや色々な感情を話して、受け取ってもらって、理解してもらって、話し合って、その傷をいやしていくことが必要なのです。

それがなかったために、その時の子どもの時のままの感情がそのまま記憶の中に埋もれてしまってうずいていたものと思われます。今、その時の自分の子どもの気持ちに対して、大人の自分がその気持ちを理解して、わかる範囲でその悲しさを包み込んで、ペットの霊魂も生きてまた向こうの世界で再開できるのだ、ということを子供の自分に話聞かせて、その傷をいやしてやることが必要なのだと思います。

ともかく、そういう風に、身体の左側の中に、これまで、特に子供のころに親との心のきずながなく、感情レベルのコミュニケーションがなかったために(むしろ感情レベルのコミュニケーションを拒否されていたために)、色々な悲しみや、悲痛な体験を子供の心のなかで癒されないまま、自分ひとりで抱え込まなければならなかったために、その時のままで埋もれてしまった記憶や感情があるのだと思います。

ともかく、そういう風に、ものすごく悲痛な感情も、親が理解してくれて、癒してくれていればよかったのですが、そういう助けが全く親から与えられなかったことが、トラウマとなって埋もれているようです。

もう、どんどんと、辛かった記憶と痛みを浮上させていくことが必要なのだと思います。



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