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母から私は自分を持つことを拒否されていたことが判明 [トラウマからの開放]

おはようございます

今朝の目覚めにも出て来て、先ほど、誘導瞑想を30分ほどして、また出てきたのですが、それは、生まれてこの方現在に至るまで、母は私が自分を育てようとすして出てくる芽をことごとくつぶしてきた、ということです。

今朝の目覚めにまず気が付いたのは、母がこれまでずっと今に至るまで、私の持ち物を勝手に捨てていることです。そしてそのことについて私は一切知らされず、気付いても、「捨てたのか。仕方がない。」と言う風にあきらめさせられていたことです。

それについて、不満を持つことは会っても捨てたものは仕方がない、取り返しもつかない、ということで、諦めていたのです。

しかし、今朝の目覚めに気付いたことは、それが本当はいかに私を傷つけていたか、そして私の個人としての人権をいかに損害する者であったか、そして私の自分意識がいかにそれによって育たなくされていたか、ということです。

また、それによって、母から自分が分離できなくされていた、というこことです。
私が自分を主張して母に抗議しても、母はそれに対して気分を害して、自分が傷つけられた、と言う風にそして、私がおこったことに対してまるで私が悪い人間で、母に対して残酷な人間であるかのような扱いをされるのです。

だから、私は自分が母にされて嫌なこと、自分の個人の権利を侵害されても、自己主張することがいけないことのように思いこまされていたのです。そして、自分を責める母の声に自分を殺されて、自分はほとんど意識に登らないようになっていたのです。

母が勝手に捨てたものはすべて私にとっては大事なものだったのです。
そして、その大事なものは私の人生に幸せをもたらしてくれるものなのです。
そしていつまでも大事に取っておきたかったものであり、捨てるにしても自分の意志で決定して管理したいものだったのです。

つまり、私は自己管理の楽しさを母から奪われていたのです。
母は勝手に私を管理していたのです。だから、私は自分の意志と言うものを育てることができなくされていたのです。

まさに、この前の、私の育てているバラを勝手に殺されたのと同じことです。
つまり、母のそばにいたら絶対に私は自分の大事なものを育てることができない、ということであり、私は自分で自己管理をする楽しさや、自分の人生を作る楽しさ、そういう喜びを持つことができない、ということです。

母は私が幸せになって欲しい、と口では言っていても、行動では、私の幸せになるチャンスを勝手に奪っているのです。

母は私に乗っかって生きていたのが分かってきました。
ともかく、それが分かって来て、これまで子供のころからいかに母から私の喜びを奪われていたか、そして、それを抗議することもできず、もし、抗議したら、私が母を責める悪い子だ、と言われるか、あるいは、母が怒るか悲しむか、いずれかなので、私は母とは別の自分の感情を持つことができなかったので、そのことによっていかに本来の自分が傷ついているか、が分かってきたのです。

そのために、誘導瞑想をしていると、その痛みがものすごく出てくるので、耐えられないほどの痛みになるのです。
だから、その痛みを味わうのはものすごくつらいので、それを感じることを避けて、本当のことを見ないようにしていたものと思われます。

つまり、母はものすごく信じられないくらいに痛い母だったのです。

母が「痛い」とは本当にひどいことで、実際に自分がどんなに母から痛い目にあわされて傷つけられていたか、どんなに母が自己愛性人格障害のひどい人だったか、が分かってきたのです。

特に長女の私に対して母は自分の母親を投影して怒りをぶつけていたのかもしれません。

そのことによってどれほど、私が傷つけられていたか、そして自分を持つことができないことでどんなに痛い目に合ったか、分かってきたのです。


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